35 無職の少年、今と昔
スライムがようやく満腹感から解放されたころ。
空からはもう日が去り始めていた。
色の変わりゆく風景を前に、そろそろ帰宅することに。
「もう苦しくないのよね?」
『ナオッタ!』
「それなら良かったわ。けど、当分の間、果物はあげないからね」
『ヒドイ、オウボウ!』
「人聞きが悪いこと言わないでくれる? 少しは反省なさい」
姉さんがスライムを掴み上げた。
そのまま横に引っ張る。
『ボウリョク、ハンタイ!』
「オネーチャン、落ち着いてよぅ」
「弱いモノイジメ、カッコ悪いデス」
「何よみんなして。ハイハイ、アタシが悪いってわけね」
パッと手を離され、地面でポヨポヨとスライムが跳ねる。
『ミゴト、セイカン!』
「スライムのためにウチたちも付いて来たんだから。ちゃんと反省しないと駄目だよ。じゃないと、テッケンセイサイ、だよ」
「ごーれむちゃんのパクリ、デス!」
しがみ付いていた手を離し、スライムの前で拳が空を切る。
風切り音が聞こえてくる辺り、当たったらとんでもないことになりそう。
「妹ちゃんも、大概乱暴じゃないのよ」
「オネーチャンに似たんだよ」
「酷い責任転嫁もあったものね」
ブラックドッグの背からコロポックルを片腕に抱くと、空いた方の手でスライムを鷲掴みにする。
『フタタビ、ピンチ⁉』
「いい加減大人しくなさい。ほら、もう帰るわよ」
「また来てくださいデス」
「えぇ、またすぐ来ることになると思うわ」
≪門≫
世界に開く穴。
地面に少し隙間を空けて、空間に歪みが生じる。
今回は魔物に襲われることも無く、外出した割にのんびり過ごせた気がする。
とは言え、ずっと姉さんにしがみ付いてたんだけど。
「またね~、ごーれむちゃん。次も新しい技教えてね~」
「またパクる気デス⁉」
「あんなのは技じゃないわよ。じゃ、またね」
「バイバイデス」
フリフリ衣装の巨大な石像がブンブンと腕を振っている。
見た目凄いけど、話してると怖がる必要が無いって分かる。
ずっと門番だけをし続けてるなら、やっぱり寂しかったりするのかな。
僕ならきっと、すぐに耐えられなくなると思う。
そんなことをぼんやりと考えながら、姉さんにしがみ付きながら空間の歪みへと入って行った。
家に向かうよりも先に、精霊の住処へと向かう。
コロポックルを帰してから、妹ちゃんとも別れ、ようやく家の中へ。
『オトマリ!』
「いいけど、大人しくなさいよ? また勝手に果物漁ってたら追い出すからね」
『ガ、ガンバル』
「何でそこに努力が必要になるわけ」
精霊の住処でスライムは帰らずに、家まで付いて来ていた。
言葉通り、家に泊ることにしたみたい。
『イッショ、ネル』
「弟君と一緒に寝るのはアタシよ」
そこにスライムを加えるのは、姉さん的に無理なんだね。
『ズルイ!』
「お姉ちゃん特権なんだから」
『トモダチ、トッケン』
「む」
『トモダチ』
「ぐ」
『トーモーダーチー』
「ぐぐぅ、ひ、一晩ぐらい、なら、もしかしたら、耐えられる、かも」
『マイニチ、オトマリ』
「あ、それは無理」
苦し気な様子が一変し、抑揚の無い声が発せられた。
「弟君だって、お姉ちゃんと二日も離れて寝たくないもん、ね?」
妙に強調された語尾。
コクコクと頷いておく。
「ほらね。一晩だけ、涙を呑んで譲ってあげるわ」
『ア、アリガト』
スライムも心なしかブルブル震えている気がする。
はしゃぐスライムと共に、どうにかお風呂を終える。
どうやってスライムが泳いでいたのか、結局分からなかったや。
姉さんには怒られちゃったし。
『ポカポカ』
「そりゃ良かったわね。お蔭でこっちはヘトヘトよ」
『オツカレ?』
「主にアンタがはしゃいだ所為でね」
スライムを抱えて、姉さんの後ろを歩いてゆく。
階段を上がり、寝室へ。
いつものように同じベットに行こうとするのを、姉さんが踏み止まる。
「我慢、我慢よアタシ。たった一晩限りのことじゃないの。大丈夫、きっと耐えられるはずよ」
ブツブツと何かを呟いている。
『オツカレ、ミタイ』
そうなのかな?
取り敢えず、僕はいつも通りにベッドに向かう。
姉さんは昨日までアルラウネさんが使っていた、元々は姉さんのベッドへと、随分とゆっくり移動してゆく。
「弟君。寂しかったら、遠慮なくこっちにいらっしゃいね」
『ミレン、タラタラ』
「うっさい!」
あれだけずっとしがみ付いていたのに。
僕はもう気持ちが落ち着いたけど、姉さんは違うのかな。
それとも、抱きつかれるのと抱きつくのとじゃ、違ったりするとか。
「早く寝れば、それだけすぐ朝を迎えられるはずよ!」
就寝前とは思えないぐらい、姉さんの気合が凄い。
あれで寝付けるのだろうか。
『イッショ、ヒサビサ』
「そうだね」
昔は姉さんも、今ほどの距離感ではなかった。
そのころは姉さんとじゃなく、スライムやブラックドッグと一緒に寝ていた覚えがある。
まだ、ぎこちない姉弟だったころ。
「随分と久しぶりね」
「そうですね」
姉さんも同じことを思っていたのか、主語の無い会話が成立していた。
「おやすみ。それと、寂しくなったら――」
「行きません」
「酷いわ、弟君⁉ お姉ちゃんが寂しがってるのよ」
やっぱり姉さんが寂しいんじゃないか。
だからって、こっちで一緒に寝るつもりはないらしい。
よく分からない拘りがあるのかも。
「おやすみなさい、姉さん」
「おやすみ、弟君」
『ヌクヌク、ネムネム』
ほんのりとまだ温かいスライムを抱きしめる。
久しぶりの感覚。
いつもとは違うけど、孤独ではなくて。
昔の僕は、今の生活なんて、思いもよらなかっただろうな。
懐かしい記憶。
あれからずっと一緒にいる。
そう、あれからずっと、孤独じゃなかったんだから。
本日はあと、SSを1話投稿します。
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