25 無職の少年、黒い群れ
黒いナニカは部屋から溢れ、通路まで浸蝕して来る。
緑の光が黒に塗り潰されてゆく。
「姉さん!」
姉さんの姿は黒の群れの向こう側に消えたまま。
声すらも聞こえては来ない。
その代わりとばかりに、カサカサという不快な音が何十にも重なって迫って来ていた。
「これヤバいヤツ⁉ いっぱい来ちゃったよぅ!」
「二人とも、下がりなさい!」
背後から、凄まじい速度で通り過ぎて行くナニカ。
これは……蔦?
無数の蔦が通路を覆い隠してゆく。
迫る黒と併せ、互いに緑の光を食い潰し衝突を果たす。
「痛ッ⁉ こいつら昆虫型の魔物⁉ 相性が悪いわね。何してるの二人とも! 早く下がりなさい!」
眼前には漆黒が広がり、ギチギチガチガチと不快な音を鳴らしている。
唐突な事態の急変に頭も身体も追い付かない。
姉さんはどうなったの⁉
僕たちはどうなっちゃうの⁉
「は、早く逃げないと! オトートクン、走って!」
暗闇の中、片手を掴まれ背後へと引っ張られる。
「でも、まだ姉さんが!」
「ウチたちじゃ、どうしようもないよ! ほら早く!」
引っ張られる力は強い。
それでも抗うように、暗闇の向こう側を目指す。
「駄目だよ、オトートクン! 行っちゃ駄目だってば!」
「早く下がりなさい! もうそんなに持たないわ! ブラックドッグ、お願い!」
『無論』
無数の不快な音が迫る。
ブラックドッグが何かをしているのか、時折、黒が欠け光が漏れる。
が、すぐさま黒が覆い尽くしてしまう。
「ぐうぅっ、も、もう……」
『多い』
「オトートクンってば!」
助からない?
どうしてこんなことに……。
姉さんが来ようとしなければ。
でも、姉さんが来ようとした理由は。
僕たちを、僕を鍛えようとしてくれたからなわけで。
なら、これは僕の所為なの……?
「二人とも、逃げて!」
黒の群れが一気に迫って来た。
カサカサギチギチガチガチ。
周囲を不快な音が満たす。
「キャー――ッ!」
すぐ隣りからは悲鳴が上がる。
あぁ、あぁ、何で僕は弱いんだろう。
あの時も、今だって。
何もできないままで。
――でも。
姉さんを助けないと。
妹ちゃんを守らないと。
アルラウネさんをコロポックルを。
みんなを。
僕だけじゃ無理なんだ。
だからお願い。
力を貸して――。
≪魔装化≫
全身を圧倒的な力が包んでいく感覚。
全能感。
攻撃するのは不快な音を出しているヤツだけ。
みんなは攻撃しちゃ駄目だ。
決して理性を手放すな。
手を繋いだままの妹ちゃんを抱きしめるように、背後へと身体を向ける。
必然的に背は部屋側を向く。
つまり、背後の通路には敵しか居ない。
床、壁、天井、自分よりも後方へ全身を棘と化し、ダンジョンを串刺しにすべく伸ばす。
硬い何かを貫く感触が伝わる。
それも無数に。
魔物が上げる悲鳴が通路に満ちる。
きっと酷いことをしている。
でも、みんなが傷つけられるのは耐えられない。
棘を何度も何度も伸縮させる。
どれだけ魔物が居るのか。
通路に光が戻らない。
姉さんを助けに行かないといけないのに。
焦燥。
姉さんは強い。
そう思っても、心配で堪らない。
だからって、この場を放っては行けない。
助けるんだ。
今度こそ。
どれだけそうしていたか。
棘は感触を伝えてくるが、耳に悲鳴が届かなくなった。
倒せた、の?
でも、通路に光は戻っていない。
「ボウヤ、もういいわ」
「え、でも……」
「もう魔物は来てないわ。背後を見てみなさい」
アルラウネさんの言葉に従い、棘の伸縮を止める。
そのまま恐る恐る背後を向く。
「姉、さん?」
通路は暗いまま。
でもその奥から光が差し込んでいた。
部屋に唯一佇むのは、黒い鎧を纏った存在。
身の丈ほどもある大剣を手にしている。
「ハアァーーーッ。何でこう、やることなすこと裏目に出るのかしら」
その鎧は酷く落ち込んでいるようだった。
魔装化が解け、みんなで部屋に移動する。
通路は魔物の死骸と棘の攻撃でダンジョンの光源が機能していないらしかった。
見慣れぬ姿の姉さん。
室内は死骸と言うよりは、欠片があるばかり。
「で、どういうこと?」
「アントが大繁殖してたのよ」
「アント……やっぱり昆虫型の魔物だったのね」
「何それ?」
「蟻の魔物版ってとこかしら。ただし、大きさが30センチはあるけどね」
「うへぇ、気持ち悪い」
「ダンジョン内の魔物が一種類だけなんてあり得ないはずなんだけど、封鎖してた所為か、この有様になってたみたいね」
「いつまでその姿でいるわけ?」
「転移魔法陣だけで、あんなに増えるはずはないわ。きっと母親が居るはずよ」
「この部屋には居なかったのね」
「えぇ。ダンジョンの構造から考えて、転移魔法陣そばの食糧庫が怪しいわね」
「食糧庫なんてあるんですか?」
聞き慣れぬ言葉に、思わず口を挟む。
「魔物専用のね。ダンジョンは魔物を増やし生かす場所なのよ」
魔物にとっての家、みたいなものなのかな。
だとしたら、僕たちの方こそ、外敵に他ならないんじゃ。
鎧姿の手を握る。
「弟君?」
「帰りましょう」
「え?」
「ここの魔物たちは、外に出て襲ったりしたわけじゃないですよね」
「えぇ、まぁそうね」
「ただ生きてるだけなのに、魔物ってだけで倒すのは、おかしいと思います」
「今回はこっちが侵入した側だしね。確かに気分の良い行為じゃないわ」
アルラウネさんも同意してくれた。
「色々と失敗しちゃったかしら」
「奥にどれだけ居るかも分からないし、さっさと出ましょう」
「実戦経験を積ませるのって難しいわねぇ」
姉さんの鎧が消える。
ようやく元の姿に戻ってくれた。
「怖い目に遭わせちゃって御免ね。じゃあ、帰りましょうか」
「はい」
「そだね。いっぱいの虫は気持ち悪いよ」
そのとき、ダンジョンが縦に揺れた。
堪らず床にしゃがみ込む。
揺れは治まらず、強さを増して連続する。
「今度は何なのよ⁉」
「ッ⁉ 下から来るわ!」
みんなが下を、床を見やる。
黒い四角が組み合わさった床全体に、一瞬で亀裂が走った。
ピシッ、だか、バキッ、だか音がした。
床が砕ける。
上にではなく下に向けて。
聞こえたのは誰の悲鳴だったか。
吸い込まれるようにして、みんなで落ちていった。
本日はあとSSを1話投稿します。
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