132 無職の少年、臆する心
こんなに緊張するのはいつぶりだろう。
身体が冷たく硬い感じ。
そのくせ、鼓動は激しく脈打っている。
どうにも気が静まらない。
「準備はできた? って、どうしたの⁉ 震えてるじゃない⁉」
慌てた様子で姉さんが近づいてきた。
そうだ、準備しないといけないんだった。
姉さんが用意してくれた皮鎧を着て、あとは……えっとえっと、何だっけ。
頭が上手く回らない。
いや、それだけじゃなく、手も上手く動かせやしない。
「無理しないでいいの。やっぱり延期しましょう」
「いえ、そん──ケホケホッ」
知らぬ間に、口や喉が酷く渇いていた。
堪らず噎せてしまう。
「喋らなくていいから。さ、お水を飲みに行きましょう」
ベッドに腰かけてた僕を抱え上げると、階段を使わずに一階へと飛び降りた。
着地の衝撃は全く感じない。
するりと椅子に座らされ、素早く台所へと消えて戻ってきた。
「焦らずゆっくり飲んでね」
強張って動かし辛い手で、どうにかコップを受け取る。
吸いつくように口のほうを持ってゆき、中身を飲み干す。
自覚してる以上に喉が渇いてるらしい。
「もう、ゆっくりって言ったのに。まだ飲む?」
「お願いします」
落ち着かない。
カタカタ鳴っているのは、小刻みに自分が震えている所為か。
早く準備しないといけないのに。
起きたときはこんな状態じゃなかった。
食事を作って、食べたときだって。
おかしくなったのは、準備のために二階へ上がった辺りのこと。
立ってられなくなって、ベッドに座り込んでしまった。
「はい、水差しごと持ってきたわ」
「ありがとうございます」
……駄目だ。
両手を使っても、上手く水が入れられない。
「……いいわ。お姉ちゃんがやってあげるから」
やさしく手を解かれる。
実に容易く、コップの中が満たされてゆく。
どうしてこんな簡単なことができなくなっているのか。
いそいそとコップを空にする。
やっぱり変だ。
いくら飲んでも喉が渇いてる感覚が消えてくれない。
「そんなに怖かった? けど、もう大丈夫よ。何も心配いらないわ」
抱きしめられる。
強く強く。
震えを止めるとでも言わんばかりに。
「今日はゆっくり休みなさい。みんなには延期するって伝えておくから」
「いえ、僕は大丈夫ですから」
「全然大丈夫じゃないわよ。普通に動けもしてないじゃない」
「大丈夫、大丈夫ですってば」
大丈夫、大丈夫。
ちゃんとやれる。
そのために準備してきたんだから。
そう、そうだ、準備しなきゃ。
「姉さん、放してください。早く準備しないと」
「いいの。もういいのよ。今は全部忘れていいの」
「でも、でも倒しに行かないと」
「倒しには行くわ。けど、今は駄目。きっと後悔することになるわ」
「倒さないと、戦わないと、準備しないと……」
「何も考えないで。怖がらなくていいのよ。お姉ちゃんがそばに居てあげる」
「放して、放してよ」
どれだけ藻掻いても抜け出せない。
どうして邪魔をするの。
僕は大丈夫だよ。
きっとこれで終わらせられるのに。
どうしてなの、姉さん。
どれぐらいの間、そうしていたのか。
少しずつ頭が回り始める。
あー、準備するのは皮鎧と短剣、あとは薬の入ったポーチだったっけ。
何でこんな簡単なことが、すぐ思い出せなかったんだろう。
ドンドンドン。
荒いノックと共に、玄関の扉が開かれる。
「ちょっと! 何で来ないの──」
現れたのはアルラウネさんだった。
勢いがすぐ収まる。
「……何かあったの?」
「ちょっとね。悪いけど、今日は延期にしてくれる」
「……分かったわ。アタシから伝えておくから」
特に理由を尋ねることもせず、再び外に出るとそっと扉が閉じられた。
「姉さん。本当にもう大丈夫ですから」
身体の震えは、既に治まっている。
「心の準備も必要だったのよね。気が付いてあげられなくて御免ね」
力が弱まる。
けれども、放してくれるつもりはないらしい。
「姉さん?」
「怖いよね。怖いのが当たり前よね」
どうなんだろう。
緊張はしてたと思うけど。
怖がってたのかな。
「怖がっていいのよ。いいえ、怖がってくれてて良かったわ」
どういう意味だろう。
分からない。
「お姉ちゃんも怖いわ。もしかしたら、二度と弟君に会えなくなるんじゃないかって考えると、ジッとしてられない」
姉さんが怖がってる?
何だか、上手く想像ができない。
誰も敵わないんじゃないかってぐらい、凄く強いのに。
「ホントはね、弟君には戦いには参加して欲しくないの。家で、安全な場所で、待ってて欲しい」
「それは……そういうわけにはいかないよ、姉さん」
「そうかな。お姉ちゃんが全部何とかしてあげる。それでいいんじゃないかな」
「僕が戦わなきゃ駄目なんだ。僕が倒さなきゃ意味がないんだ」
「そんなことない。そんなことしなくたって、生きていけるんだよ」
あの時は何もできなかった。
けど、今は違う。
戦える。
自分一人の力じゃないけれども。
「倒されることを望んでたんじゃないんです。倒すことを望んでたんです」
「どうしても? 死んじゃうかもしれないのよ?」
「怖かったのかもしれません。今も怖いのかもしれません。それでも、忘れることなんてできません」
失われた日々、奪われた日々。
考えるだけで頭が痛くなるし、気持ち悪くもなる。
自分の中の”何か”は、未だあの日で立ち止まってる。
そんな気がする。
「弟君に傷ついて欲しくない。死んで欲しくないよ」
「今、こうしていられるのは姉さんのお蔭です。助けに来てもらえなかったら、何もできずに終わってたと思います」
「危ないことなんて、しなくていいよ」
「……御免なさい、姉さん」
姉さんの望みではなく、僕の望みを優先する。
何て恩知らずなんだろうか。
御免なさい。
これだけは、譲れないんです。
絶対に勝てる保証なんてないけど。
ずっと昔から決めていたこと。
果たさずにはいられない。
「全部終わったら、いつだか言ってた冒険に連れていってください」
本日は本編135話までとSSを1話投稿します。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
 




