69 無職の少年、休日の終わり
スライムをブラックドックに預け──背に乗せて、床を雑巾がけしてゆく。
姉さんの言った通り、細かい破片がまだ残っているみたいだ。
木製の床は、隙間が多い。
取り逃さぬよう、速度よりも精度を重視。
姿勢がキツイものの、以前よりも身体が軽い感じがする。
訓練の成果が僅かでも出ているのかもしれない。
『ワンコ、ケイカイ!』
『言われるまでもない。偉そうに指図するな』
『ワンコ、ナマイキ!』
『抜かせ』
そばを賑やかしくブラックドッグが付いて来る。
姉さんは二階の物置きを片付け中。
代わりの護衛らしい。
けどやっぱり、手伝ってはくれないんだね。
まぁいいけど。
床を何度も何度も雑巾がけしてゆく。
こうして身体を動かしていれば、余計なことを考えずに済む。
不安を忘れられる。
現実から、これから先のことから。
目を逸らすように。
床にだけ集中する。
吹き抜けの空が暗くなってきたころ。
大体の片付けが終了した。
「ひとまずはこんなものかしらね」
元々、そんなに物が多い方ではないけど。
今回のことで更に物が少なくなってしまった。
直近で困りそうなのは食器。
あとは、食料の残量と水や火の不安定さが気に掛かる。
前者は外に出られないと解決しないし、後者はドリアードさん次第だろうか。
多分だけど、世界樹が破壊されたことが原因なんだと思う。
「そうそう、さっきの話し合いで聞いてたかもしれないけど、今夜はお姉ちゃん、集落の警邏に出ないといけないの。だからブラックドッグと一緒に寝て頂戴ね」
「あ、はい、分かりました」
確か、姉さんと魔族の何体かで、交代で見回りをするとか言っていた気がする。
けど、本当にこんな場所まで、襲ってきたりするのだろうか。
世界樹自体、他にも沢山あるはずだし。
「あ、しまった! 洗濯が遣り掛けだったわね。まぁ、明日済ませましょうか」
「なら、僕がやりますよ」
「沢山あるんだし、お姉ちゃんも手伝うわよ」
「姉さんは、ゆっくり休んでください。夜は見回りなんでしょう?」
「えー、一緒に寝てくれないの?」
「僕は普通に寝ますから」
「お姉ちゃん、寂しいなぁー」
そう言って、背中に覆い被さってくる。
「……これから、しばらくは夜の見回りなんですか?」
「そうねぇ……絶対とは言い切れないけど」
「そうですか……」
「やっぱり、弟君も寂しい?」
「……と言うか、色々と不安です。これからどうなるか、とか。妹ちゃんたちのことも心配ですし」
「世界樹が倒れたのが、人族側だったのが不幸中の幸いかしらね。すぐに境界を越えるようなことはしないと思いたいけど」
精霊の住処の中であれだけ揺れたのだ。
外の、地面の上にいたら、どれだけの振動に見舞われたか想像も付かない。
賢姉さんの住む協会は結構遠くにあるから、影響は少ないと思うけど。
「ホント、とんだ休日になったものね。けど、母のところに居たら、今度は帰って来れなくなってたわけだし。良いんだか悪いんだか」
ドクン。
単語に反応して胸が疼く。
「あの、グノーシスさんのところは、大丈夫だったんでしょうか……?」
「土の精霊だもの。地面が揺れるぐらいで、どうともならないわよ」
えっと、そういうものなのかな?
特に心配している風ではなさそう。
本心までは分からないけど。
「お風呂に入っちゃいましょ」
『オフロ!』
「そう言えば、アンタはまだ帰ってなかったのね」
『オトマリ!』
「……まぁ、構わないけど。果物はそんなに備蓄されてないわよ」
『フエナイ?』
「明日明後日ってわけにはいかないでしょうね」
『オマチカネ』
「欲望に忠実だこと。じゃあ、ブラックドッグも含めて、一緒に入っちゃいましょうか」
「そうですね」
みんなで居間の奥へと進み、お風呂場に向かう。
「温いわね」
「ですね」
火加減が余り上手く制御できていないのか、お湯が温い。
「複数の精霊の力を借りてるわけだしね。中継してる世界樹が破壊されちゃ、上手く機能しないのかも」
やっぱりそうなのか。
「なら、まだ温い程度で済んで良かったですね」
「? どうして?」
「冷たかったり、熱過ぎたりするよりかは、マシじゃないですか?」
「なるほどね。今後は、その辺も注意しないといけないわね」
残る二体は、特に不満もないのか、大人しくお湯に浮いている。
『プカプカ』
何だか大変なことになったわけだけど、こうしていると、まだ平和に見える。
『ブクブク』
「コラ、潜らないの」
姉さんに手で掬い上げられる。
『モグル、ダメ?』
「踏みつけられても知らないわよ」
『コマル』
「なら、大人しく浮かんでなさい」
『プカプカ』
浮かぶのは、何となく分かるんだけど。
どうやって沈んでみせたんだろう。
重くなんてなれないし、空気を吐き出したからかな?
あれ?
そもそも呼吸してるのかな?
鼻も口も無いんだけど。
スライムの謎は未だ解き明かされない。
お風呂を上がれば、居間で姉さんと別れることになる。
いつだか見た、完全武装を整えて。
「じゃあ、後のことはお願いね。もしまた揺れるようなことがあったら、ドリアードの住処に向かいなさい」
「分かりました」
「魔物が襲ってきた場合も同様にね。ブラックドッグ、頼んだわよ」
『承知』
「姉さんも気を付けてください」
「もちろん。寂しかったら、さっき脱いだ服を──」
「しません」
意味など考えず、反射的に否定しておく。
「それじゃあ、行ってくるわね」
「行ってらっしゃい」
『バイバイ』
「そこは、またね、とかがいいと思うよ」
『マタネ?』
「そうそう」
玄関から、夜の闇に歩み去ってゆく姉さんの背を見送った。
本日は本編70話までと、SSを1話投稿します。
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