6話 ラッキースケベの対処法→ハグ
逃げないと。
身体を離そうと後ろへ動くと、またしてもぱしりと手をとられる。
「アギオス侯爵令嬢」
「やめ、」
目があった。
躊躇いを見せる瞳は潤んでいた。なに、その反応。女子なの。
それどころじゃない、逃げよう。それかモードを俺つえええとかに変えるとか?
意外にもかたく私の手を掴んだまま離さない。手を引かれ私を引き込もうとするから、全力で抵抗した。まあ無理な体勢にあって徒労に終わったんだけど。
「すまない」
謝れると逆にこちら側の申し訳なさが半端ないんだけど。
私の無駄な抵抗は絡め取られ、ふわりと引き寄せられ抱きしめられた。
細身に見えたのに意外としっかりしている。
気付かなかったけど背も高くて大きくて、私がすっぽりおさまってしまう。
ああ、あったかいな。
「アギオス侯爵令嬢」
とても近いところから名を呼ばれ震えてしまう。回された彼の腕に少し力が入った。
上品な香水の匂いがする。昨日は野営のはずだろうに、この人謁見用に整えてきたの。
「よし、いいぞ」
しばらくそのまま借りてきた猫のように大人しくなった私を抱きしめ続け、次に蔓がしなる音が聞こえなくなって、アステリからやっと離れる許可がでた。
「これで、いいのか?」
「……」
解放された魔物たちも一様に息をつく。
「終わった?」
「昨日なかったから不思議だったけど、やっぱりあったね」
蔓に縛られてた魔物たちがやんややんや騒ぎながら大きな扉の向こうに去っていく。アステリがそう指示したのだろう。
見られたくないモードを見られてしまった。
よりにもよってラッキースケベだなんて。
「あ、な、」
「……大丈夫か?」
するりと王子殿下の大きな手が私の手に重ねられる。
こんなことになってしまったのに、目の前の人が純粋な心配しかしてないのが嫌でも分かってしまった。
相手が真面目であればあるほど、恥ずかしさが増す。
「う、あ、」
「?」
「わあああああああ!!」
その場をダッシュだ。
全速力だ。
急にダッシュを決め込んだを私を誰も追いかけることができず、私は一人逃げ切りを果たした。
モードがここでチェンジだ。
誰にも会いたくない。恥ずかしさに爆発する。
部屋に戻って鍵をかけてベッドのシーツに包まる。
人の股間にダイブして? 皆に縛りプレイして? それを見られた挙げ句抱きしめられる?
明らかにやばいでしょ。
魔王と思われない、これは痴女よ痴女。
「うわああああ恥ずかしいいいいい」
「おい、イリニ」
ベッドの上でもんどりうっていると、扉を叩かれた。
アステリだ。様子を見に来たの。
「あ、引きこもりモードか」
鍵を魔法で開けようとして跳ね返され、そう判断したらしい。いや、許しを得ずに開けようとするのはどうなの。
「さっきから、そのモードって?」
「!」
ちょ、アステリ一人じゃない。
その声は第三王子殿下。嘘、なんで連れてきてんの。
「帰って!」
「イリニ、ヘソ曲げんなよ」
「帰って!」
「アギオス侯爵令嬢……話をしたい」
「話はないから! アステリと仲良く話してればいいでしょ!」
「……ははーん」
アステリがしたり顔をしてるのが分かる声音だった。
「お前、俺のダチが来てるの羨ましかったんだな?」
「!」
やば、ばれた。
友達いいなあからの友達いなくて淋しいなあと思ったのがばれて恥ずかしい。もちろん気付いたのはラッキースケベモードになってからだったけど。
扉越しに、こいつ淋しいんだよ。とアステリが説明していた。
やめてよ、恥ずかしい。
「アギオス侯爵令嬢」
「……」
「当面の間、この城に住まわせてほしい」
「……え?」
扉越しの突然の要望に顔のほてりが一気に引いた。
「なんで?!」
バンと扉を開けた。
お、最速の引きこもりモード解除、とアステリが感心していた。
扉向こうの王子殿下は眉根を少し寄せて、なぜか不機嫌さを滲ませ、私を見下ろしていた。
やっぱり背高い。
「アステリがいるなら、俺がここいても問題ないだろ」
「貴方、国の王子でしょ」
公務が多くあることは、元婚約者のかわりに仕事していた身だからよくわかる。それを全部放るのは難しいはず。
「国王陛下には許しを頂いている。しばらく君と一緒にいたい」
「え?」
「アステリのように君の側近として置いてくれないか?」
何を言っているの? 側近?
アステリ側近じゃないけど? ただ都合上ここにいるのが助かるってだけでいるんだけど?
それ説明するの手間だから、話合わせる方がいいかな?
「お、お給金払えないよ?」
「いらない。しばらくは試用期間でいい」
「兵は」
「王都へ下がらせる。申し訳ないが、カロを連れるのだけは許してほしい」
「よろしくー」
ひらひら手を振り、王太子殿下の後ろから顔を出すちゃら男。やっぱりちゃらいな。
「王子殿下を側近?」
立場的に逆でしょ。
というか、この人さっきのラッキースケベ怒らないの? 昨日の俺つえええのことも何も言わないし。
「……名前」
「え?」
「名前で呼んでもらえないだろうか」
「え、と?」
アステリに目線を寄越すと肩をあげ苦笑するだけ。
そのやり取りを見て、王子殿下はさらに眉間の皺を寄せた。
「アステリはよくて俺は駄目か?」
「そういうわけじゃ」
「なら、名を」
名前だけでそんなすごまれても。
彼の後ろでちゃら男が両手を合わせてお願いお願いとばかりのリアクションをしていた。
小さく溜息が出る。なんで、ここにきてこのやりとり?
「……エフティフィア、だっけ?」
「エフィだ」
王子殿下を愛称で呼べって? てか親しくもなっていないのに急に愛称で呼べって?
言い返そうと思って見上げ、譲らなそうな強い瞳に私は諦めた。
「エフィ」
「ああ」
「……いいわ、好きなだけ城にいなよ」
「ありがとう」
「けど側近とかそういうのいいから。好きに過ごして」
「ああ」
もうちょっと一人にして、と伝え扉を閉じようとして、ふと思い至り手を止めた。
「?」
「私のことはイリニでいいわ」
「……ああ、分かった!」
扉を閉じる。
エフィの衝撃的な申し出で、ラッキースケベの恥ずかしさは紛れたけど、ちょっと整理したい。
落ち着くために紅茶でもいれようと、私は部屋の奥へ戻った。