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箱庭の怪物たち  作者: 暫定とは
一章『残火』
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「いくよドボロ!」

「ンだ!」

 互いに声を掛け合いながら、二人は数メートル前方の地面を突き破って現れた、巨大なモグラのような魔物へと駆け出していく。右少し前を行くリリへ、ドボロが右の拳を突き出すと、リリはそこへ左の拳の側面を当てながら、唱え、そして強く地面を蹴った。

「〝共鳴(チェイン)〟!」

 全身に山吹色の光を纏わせながら、リリは凄まじい勢いで前方へと跳んでいく。〝共鳴(チェイン)〟が(もたら)すフォルスの力が、リリとドボロの身体能力を著しく向上させたのだ。

 黒っぽい毛皮に身を包んだモグラ型の魔物――モールは、この中央アンモス平野に於いてそう珍しい種ではない。リリもかつての旅の中で、何度か出くわしたことはあった。地上に現れるのは成体のみで、大体が二メートル前後の躯体(くたい)を持つ。大きなもので全長三メートル程度(今、リリとドボロが対峙しているのはまさしく三メートル近く、かなり大型の個体であった)、これが地中から現れたかと思えば、二本の足で立ち上がるのだから初めて見たときは驚かされたものだ。しかし、その動きは鈍重且つ単調で、しっかりと見切れば苦戦することはない。留意すべきは精々、背面に備えられた頑強な鱗状(うろこじょう)の皮膚と、地中を掘り進むために(先端の尖ったスコップのような)特殊な形へと進化を遂げた巨大な爪くらいなものである。

「〝破骨脚(はこつきゃく)!〟」

 モールの手前で跳躍したリリは、助走で付けた勢いのままにドロップキックを放った。凝縮させた土のフォルスを、右足裏のある一点に強く集中させ、標的に触れた瞬間に炸裂させる――破骨脚は中級の共鳴術技(きょうめいじゅつぎ)であった。

 この技で隙を作ったところを、ドボロが更に強い力で叩く。必要ならばリリが追撃を加える。通常のモールならば、それで容易く完封できるはずだった。そう、通常のモールならば。

「⁉」

 爆裂の反動で跳ね返り、地面へと着地しながらリリは違和感に表情を歪ませる。攻撃がヒットする手応えがなかったのだ。破骨脚程度の共鳴術技で衝撃を与えれば、小さなモールなら吹き飛んでいくし、大きな個体でも仰け反るくらいはするはずであった。しかし、このモールはリリの破骨脚に怯むどころか、そこへ追いつくなり放たれたドボロの右ストレートを、右肩の辺りで受け止めたのだ。リリは己の目を疑った。モールにしては反応速度が速すぎる。しかし、本当に驚いたのはそこではない。通常、背中側にしかないはずの鱗状の皮膚だが、この個体のそれは肘の間接辺りにまで及んでいたのである。だから軽々とドボロの攻撃を受け止められている。そして、リリの中で一つの合点がいく。先に感じた手応えのなさ――あれはリリの放った共鳴術技が、リリの狙い通りに腹部にヒットすることなく、ドボロの右ストレートと同じく肩の鱗で緩衝されたことによるものだったのだ。その証拠に、モールの左肩の鱗は一部が剥がれ落ちていた。リリがそのことに気付いた、次の瞬間――。

「ドボロ! 右に()けて!」

 リリの言葉にドボロが反応できる間もないほどの速度で、モールは右肘を引いた。通常のモールにも見られる、爪による攻撃の前動作だ。しかし、通常のモールのそれとは比較にならないほどに速い。

「――ぐァっ!」

 ギリギリで身を(かわ)したかに見えたドボロだったが、僅かに避けきれなかったらしい。痛みに声を上げると、踊るように転げながら、ドボロはリリの傍まで下がった。

 「大丈夫?」リリの問いに、「ンだ。掠っただけだよ」と左手の甲を押さえながらドボロは答える。モールの爪に抉られたのか、土で出来た左手の一部がさらさらと地面に落ちていく。が、ドボロが幾らか(さす)ってやると、左手は元の通りに修復した。

 肉体のほぼすべてがフォルスで構成されるフォルス体であるアーツは、アシリアに巡るフォルスを受け取ることで、基本的にはその修復が効く。ただし、万が一戦闘などで身体を真っ二つに分断されるなど、修復のしようがないほどに損傷したり、修復する間もなく損傷に損傷を重ねた場合は、この限りではない。アーツにも死は訪れるのだ。(もっと)も、死を以てすべての生体活動を終了する通常の生命体とは異なり、フォルス体であるアーツはアシリアを巡るフォルスの流れへと還り、数年を経てフォルススポットから、ドルミールとして再生することにはなるわけだが。

 とはいえ、それが死と何ら変わりないほどの痛みと衝撃を、本人や周りの人物に齎すということには変わりはない。リリはそのことをよく知っていた。そしてあんな痛みは、どんな人にも、アーツにも、決して訪れるべきではない――訪れさせてはいけないと、リリは強く感じていた。

「ドボロ、こいつは危険だ。間合いを見ながら慎重に行くよ。モールとはいえ、油断は禁物だ」

「ンだ。ひょっとすると……――」

 ドボロが言いかけたその時、リリたちと睨み合っていたモールは突然咆哮を上げながら、両腕を振り上げた。次いで両手の爪を器用に使い分けながら、モールは恐ろしい速度で地面を掘るなり地中へと消えた。掘り進む速度も、通常のモールとはまるで違う。リリとドボロが困惑している間に、土を掘り進む音は地響きと共に、二人の足元へとやってきた。

「――ひょっとするかも知れないね! 避けて!」

 リリの声を合図に、二人はそれぞれ左右へと跳ぶ。その瞬間、二人が立っていた地は轟音と共に崩れ落ち、その真下には巨大な空洞が現れた。今の数秒で、こいつはこれだけの穴を掘ったというのか、とリリは戦慄すると共に、脳内に幾つかの作戦パターンを描き始める。

 アリジゴクのようなこの攻撃は、こののち十数回に渡って続いた。流星群でも落ちたかのように、一帯の地形は最早原形を保っていない。向こうの狙いはどうやら、こちらの体力を消耗させることらしかった。モールの狩りのスタイルなのかも知れないが、そこまではリリには分からない。そしてどうやらこの個体、運動能力は他の個体より頭一つ抜きん出ているとはいえ、知能(というよりも知識)自体は、他とそう変わらないようであった。〝共鳴(チェイン)〟状態の人間やアーツの体力を、跳躍の連続程度で削ることは出来ないということを、このモールは理解していなかったのだ。リリの作戦は消去法的に決定した。自分たちよりも先に、モールの体力が消耗してきたらしく、動きに隙が出来始めたのがその決め手となった。

「ドボロ、次、奴が穴を開けたところを確実に叩く! 隕星だ!」

 高い跳躍から地上へと落ちながら、リリはドボロへと告げる。「分かっただ!」と答えると、ドボロは握った右の拳へと土のフォルスを集中させ始めた。

 リリたちの下方では、モールが地中に次なる空洞を(こしら)えている。リリの狙いはモールが穴を開けた直後、一瞬だけ現れるその頭部だった。頭部にも鱗の皮膚は及んでいたが、あの程度の鱗、この技なら――。

「いくよ、ドボロ!」

「ンだ!」

 ドボロよりも先にリリが着地する。その瞬間、狙いを澄ませていたかのように、リリの足元の地が崩落する。リリはすかさず跳び退()けた。こちらは囮だ。そして本命のドボロは、空中で体勢を変え、頭からこの空洞に突っ込んできている。握り締められた右の拳には、凄まじい質量の土のフォルスが、渦を巻くように纏わされていた。

「〝隕星(いんせい)――〟」

 ドボロの声に呼応して、山吹に輝く六つばかりの小さな光球(こうきゅう)が、その右の拳を取り囲むように顕現(けんげん)する。ドボロが構えると、それらフォルスの凝縮体は猛スピードで拳の周りを旋回し始めた。空洞の底のモールへと、ドボロは勢いよく拳を振るう。と、光球はそこから一斉に放たれるなり、列を成してモールの躯体の各部へと衝突した。

「〝――乱墜打(らんついだ)!!〟」

 激しい空襲の最後に、ドボロの拳が直接モールの頭頂部を穿(うが)った。閃光を伴った凄絶(せいぜつ)なる爆裂と共に、大きな土煙が巻き起こり、辺りのすべてを覆い隠す。風がそれを拭うように吹き去ると、そこに残ったのは地面に横たわって動かなくなったモールの(むくろ)と、どこか堂々としてその(かたわ)らに立つドボロの姿だけだった。

 数メートル後方へ着地したリリが、ドボロの元へと歩きながら「お見事!」とふざけた調子で言う。煙のような山吹色の光が、二人の身体を離れて辺りの大気へと飛散していく。リリが〝共鳴(チェイン)〟を解いたのだ。リリを振り返ると、ドボロは横長の口を縫い合わせるようにして、ニンマリと笑った。

「でもリリ、やっぱりこいつは……」

「うん。普通のモールの動きじゃなかったよ。箱庭現象の影響と見て間違いないと思う」

「この近くに、門が開いてるってことだな」

「そういうことになるね」

 辺り一帯に、リリとドボロはぐるりと視線を渡す。リリたちは今、中央アンモス平野の中でも東寄りの、帝都アルバティクスの北方を通過するところだった。南には帝都の王城が霞んで見え、北にはラノーム山脈が、土の山肌を讃えている。今少し進めばガルダバム川が、東の地平線に見えてくるはずであった。

 周囲をくまなく見回してみても、少なくともリリたちのいるところからは、門らしきものは見えなかった。改めてドボロへと視線をやると、リリは言う。

「この辺りにはないみたいだ。少し離れたところから来たのかも知れない。とはいえモールであの強さ。一介の魔物でも軽視はできないってシンの手紙には書いてあったけど、本当にそうだね。ここから先も気を付けていこう」

「ンだ」

 ドボロがリリへと頷き返し、二人が目的地であるファンテーヌの方角を向き直ろうとした、その時――。

 「ドボロ!」リリの腕がドボロの進行方向を遮って、その歩みを止めさせた。リリの目が見つめる先へと、ドボロも遅れて視線を向ける。

 ラノーム山脈の方角、リリたちのいる地点から二、三百メートルほど先の上空に、か細く小さな黒い稲妻が複数本、突如として走った。稲妻は現れては消え、その都度ジジジ、という低い音をリリたちの鼓膜まで届けた。嫌な感じのする音であった。その身に敢えて警戒色を呈することで、自分が危険な存在であることを知らしめる蜂などの生物の生態とも通じるものを、リリはそこに感じた。数秒を以て稲妻は止むと、次いでそこには一本の亀裂が発生した。地鳴りのような音を轟かせながら、亀裂は徐々に広がっていく。ついにはそれは、〝空間ごと切り抜かれたかのように、ぽっかりと空中に開いた黒い穴〟へと姿を変えた。あれは――。

「――……門だ」

 リリの言葉にドボロが頷くのとほぼ同時に、ごう、と暴風が巻き起こる。身を屈めて踏ん張るリリを、ドボロが右の腕で抱き留めた。二人の心には確かな恐れがあり、それはその顔色にも表れていた。風はあの門へと向かって吹いているようにも見える(たぶん、門が大気を吸い込んでいる)。門の真下はまるで砂嵐だった。喉の奥から分泌される熱い唾を飲み込みながら、自分たちがいたのがあの場所でなくてよかった、とリリは思う。と同時に、リリは妙な違和感を覚える。シンの手紙に記されていた門の特徴から考えるに、あれはまず間違いなく、門なのだ。しかし、門の周りで風が巻き起こるなどと、シンからの手紙には記されていなかった。これほどまでに強い風が吹くのであれば、それは注意事項として、そこへ書き添えられるはずである。手紙の主はあのシンなのだ。いくら混乱し、焦燥(しょうそう)に駆られていたとしても、これほどの風が吹き荒れることを彼が書き損ねるとは考えづらい。

(門であることには違いない。ただ、恐らくこれは普通の門じゃない)

 その結論に思い至るなり、リリはドボロの腕を掴むと言った。「様子がおかしい。ここを離れようドボロ」

「あ、ああ、でも、リリ」

 砂嵐を見つめながら、どこか歯切れの悪いドボロに、リリは焦りながら返す。

「どうしたの? 早くしないと! 巻き、込まれ……」

 ドボロが指さした砂嵐の中心へと、リリは視線をやる。彼の指が指し示す先にあるものに気が付くと、リリはしばし言葉を失った。砂嵐の中心には、ふらふらと頼りなく揺れる影が一つ、見受けられたのだ。門が巻き起こす暴風に、それはいつ吹き飛ばされてもおかしくなかった。白い髪をした、それはどう見ても人であった。

「――助けてくる」

 安全かどうかを判断するよりも早く、リリはドボロへとそう告げながら、砂嵐のほうへと走り出しかけた。「オデも行くだ!」とドボロがリリの後を追うと、リリはその足を止めて、ドボロを制止した。

「駄目だ、危険すぎる。ドボロはここで待ってて」

「なんでだ⁉ 危険なら尚更、二人で行くべきだよ!」

 リリの背後で、砂嵐が激しさを増していく。門の周辺の空間には、再び無数の黒い稲妻が、現れては消え始める。それが何を意味しているのか、リリとドボロには分からなかった。

「いいから待ってて! 時間がないんだ!」

「嫌だ。一人で行くって言うんならオデが行く。オデのほうが身体が重い分、風には強いだ!」

「そうじゃない。お願いだから、言うことを聞いてドボロ! 僕はもう――」

 リリが言いかけたその刹那(せつな)、またしても横殴りの暴風が吹いた。リリが飛んでいってしまわないよう、ドボロがリリの身体を抱き締める。次の瞬間、門から放たれた特大の稲妻が、大地へと(ひらめ)き落ちると共に、雷鳴が二人の耳を(つんざ)いた。次いで、壊れたモーターが高速回転するような音を立てながら、門は周囲の空間もろとも、大気を吸収しつつ輪転(りんてん)し、徐々に縮小し、数秒ののちに収束した。と同時に、あれほど激しかった風と音は、嘘だったかのようにぴたりと止んだ。嵐の夜に、間違って開けてしまった窓を閉めたときのような具合にだ。

 リリは直感する。あれは人が手を出していい領域のものではない。たぶん、この世界の一部ですらない。あの門の向こう側の、嵐の夜のような世界。良くてもあれは、この世界とは別のもう一つの世界への入り口だった。そして悲観的な見方をするのであれば、あれはこの世界をも軽々と飲み込む、桁違いの規模を持った別次元の宇宙だ。出鱈目(でたらめ)に巨大な魔物の口と言ってもいい。或いは既に、世界はその魔物の胃袋の中にあるということだって考えられる。言ってしまえばこの世界は、ちょうど嵐に晒された、小さな家屋のようなものなのかも知れないのだ。

「あっ」

 少しの落ち着きを取り戻したリリは、門のあった空中を見つめていた視線を地上へと落とした。そこにはもう、さっきの人影は見当たらなかった。白い髪をした、あの頼りない人影。傍にいって確かめるまでもなく、彼の姿がそこにはもう存在しないことは、遠目に見ても明らかだった。あの人物は、門へと吸い込まれてしまったのだろうか。旅人か何か分からないが、あんなものに巻き込まれるのは運が悪かったとしか言いようがない。目を閉じて数秒、リリは祈った。彼の行く末に、ほんの微かでも希望の光が輝くことを。

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