2
どれくらい歩いてきたのだろうか。というよりも、いつから自分はこの世界を歩いていたのだろうか。気付いたときにはこちら側にいた。そして歩いていた。当て処なく、実感もなく、意味も分からぬまま。
なぜこの世界を、いま歩いているこの世界を、自分が『こちら側』だと認識できるのか、自分でもいまいちよく分からない。ただ、自分はずっと、ここではないどこか別の世界へ閉じ込められていたような気がするのだ。幽閉というのが正しい。あそこは暗くて、何もなくて、心細かった。何かの流れのようなものをずっと見つめていたと思う。あそこでは歩くこともなかった。できなかったのだ。いや、できたとしてもそうしたくなかった。孤独だったから。あの孤独が、気力という気力を自分から奪っていったのだ。
(今は)と天を仰ぎながら思う。真昼の空が、砂嵐と薄雲の向こう側に見える。今は孤独ではないのだろうか。あの無の世界に比べれば、確かに幾分かましではある。時折、どこか遠くから自分を呼ぶ声も聞こえてくる。しかし孤独でないということはなかった。
この世界に意識を(そして恐らく肉体を)取り戻したときから今までずっと、辺りの一帯は完全なる砂地であった。どれほどの規模であるのか、皆目見当もつかない。恐ろしく強い風が吹き荒れて、砂嵐を巻き起こしているのだ。それが酷く視界を妨げている。いつになれば止むのかということもまた、皆目見当もつかない。ただ分かるのは、砂地であること。暴風が砂嵐を巻き起こしていること。いまが昼であること。それらの色と形、そして感触――。
砂の粒が肌に当たる感触があるということは、ここに自分の肉体があるということに他ならない。そしてその肉体が概ね無事であるということ。それ自体はきっと歓迎すべき事柄なのだ。しかしどうにも喜んではいられなかった。ここがどこであるのか分からないとか、そういうこと以前に、悲嘆すべきことが山ほどあったのだ。
あれから――あの無の世界に幽閉される前、こちら側の世界にいた頃から、どれだけの時間が経ったのか分からないこと。皆がどこでどうしているのか分からないこと。なぜ自分があの世界に幽閉されることになったのか分からないこと。あの世界がなんだったのか、そしてこちら側の世界がなんなのかさえ分からないこと。皆の姿も、声も、名前も、その人数すらも思い出せないこと。そしてこの自分自身、一体何者なのか、その名も、過去も、姿かたちも、何もかもを思い出せないこと。
ただ、この砂嵐のように朦朧とした記憶の中に霞んで見えるのは、この世界で生まれ、何人かの誰かと幾許かの時間を過ごしたのち、どうしてかあの無の世界に送り込まれ、そこへ囚われ、それからまた幾許かの時間をその世界で過ごし、少し前にこちら側の世界に戻ってきたという、断片的で不鮮明な映像だけだった。それは残像というに相応しい。すべての時間的な感覚は曖昧であり、それらがそれぞれどれだけの長さだったのか分からない。しかし、かつてこちらの世界で過ごした時間も、あの無の世界で過ごした時間も、それぞれが途方もないものであったという感覚だけはあった。そしてこの感覚はかなり正確だった。であるからこそ、僕は悲嘆しなければならなかったのだ。
(……どうして)
どうしていまこの時、僕はこの世界へと引き戻されたのか。そしてこの世界は、今更この僕に何をしろというのか。名前も記憶も、何もかも根こそぎに奪っていきながら。
そしてまた、あの声が胸の中に響く。
「……ン、来て……ここへ来て……」
呼ぶ声のするほうへ、歩くよりほかになかった。その先にきっと、何かがあるのだと信じて。膿んだ心の奥底に燻る、弱く微かな残火だけを頼りに。