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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

かさぶたスクランブル 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 へえ〜、いまのすり傷治療のトレンドは湿潤治療なんだってさ。

 いわく、ケガの程度によっては、湿っぽさを保った方が、身体の自己治癒能力が促進されるんだとか。

 小さいころは、傷にはかさぶたをこさえるべきって、教わったもんだけどなあ。治りかけている証拠だから、ヘタにいじるなとも。

 ケガしたばかりのときは最近も少ないから、実は消毒をあまりしなくてもいいとか、昔から真逆のことをいわれてきた身には、目からウロコが落ちそうになる。もう出ないだろうと思っていた、オリンピック新記録に立ち会った瞬間の心持ち、みたいな?


 でも、できちゃったかさぶたに関しては、従来通りの対応が望ましいらしい。

 身体が善意で作ってくれたもんなんだ。それを無下にすると、ろくな目に遭わないのは科学的にも証明されている。

 それでも。多くの人はできちゃったかさぶたを、ついついはがしたくなってしまう。

 悪いといわれることは、ついついやってみたくなる……だけで、世の中なんでもかんでもまかり通ったら、苦労しないよねえ?

 僕の兄ちゃんが体験したっていう話、聞いてみない?



 兄ちゃんが一人暮らしを始めて、数カ月が経った。

 夏休みも終わりを迎えて、ぼつぼつ新学期の準備をしないといけない。

 昼間の飯屋へいけるのも、もう限られた回数だから……と、その日は平日ランチタイム限定の食べ放題を実施するレストランへ、時間いっぱいまで居座ったとか。

 あがり30分は、ひたすらドリンクバーで粘ったんで、お腹はたぶたぶの水っ腹。好物ばかりを頼んだけれど、過ぎたるはなおなんとやら。欲望に膨れた胃袋は、幸福感どころかびんびんに苦痛を訴えている。

 未成年だから、もちろんアルコールは入っていない。意識も記憶も飛ばして、あとは野となれ山となれともいかなかった。帰り道がしんどい。



 そんな、うっぷうっぷのどざえもん寸前な心地の兄ちゃんは、アパートの自室前までくるも、距離感をあやまってドアに激突。「あたた」と後ずさって、はじめて気づいた。

 ドアスコープと、いま自分が頭をぶつけたところの、ちょうど中間あたり。白っぽい肌をしたドアの表面に、黄色いぷつぷつがくっついている。

 たらこか、めんたいこか? と兄ちゃんは最初思ったらしい。よくもまあ、満腹な状態から真っ先に食べ物が浮かぶものだけど……。

 でも、ひと呼吸置くと、それが虫のくっつけた卵のように思えてきた。ドアと壁の違いこそあれ、これまでに何度か同じものに出くわし、こそぎ落としたことがある。

 今回もその手合いかと思い、兄ちゃんはティッシュでもって、つぶつぶを落としたんだ。



 その日の夜のことだ。

 ぐっすり昼寝をかまして、お腹もいい具合にこなれた兄ちゃんは風呂をいただく。

 兄ちゃんは湯船に浸かるのは好きだが、それ以上に頭を洗うことを気に入っていた。厳密にはシャンプーごと、頭皮を刺激することかな? 小さいころに体験した、美容師さんのシャンプーが、ことのほか印象に残っちゃったらしい。

 たっぷりシャワーからお湯をかぶって、シャンプー泡立てつつ、がしがしと髪に指を通していく兄ちゃん。けれど、今日はやけに指先をなでてくるものがある。


 小石に似た感触だった。

 地べたへ横になったりすると、髪に石が挟まることがあるが、さすがにこの歳でそれはない。しかもかいたらかいただけ、固い手触りの量が増していく。

 いちどシャワーで流してから指を見ると、爪の間にいくつか粒が挟まっている。やや赤みを帯びたそれは、かさぶたのように兄ちゃんには思えたんだ。


 真っ先に思い当たるのは、昼間にドアへぶつけた一件。気づかないうちに、あれが傷になって血が出ていたのか。

 もう一度、兄ちゃんは頭へ手をやってみる。手触りを感じたところを中心に、そうっと指でなぞってみた。

 まだ、かさぶたらしき手ごたえが残っている。慎重にこすってみると、確かに頭皮を通じて音や刺激が広がった。神経の集まる指先だと、実際にどれくらいの大きさかは、正確に判断できない。

 けれども、血が出ていなかった。爪に挟まるほど、細かくなったかさぶただ。それほどまでに力入れてはがされたなら、新鮮な赤色がにじんでもいいだろう。

 なのに、おそるおそる引き寄せた手元は、少しシャンプーの泡を残して、水にぬれているだけだ。



 つむじ近くにあったがため、鏡を使っても自分でははっきりと見えない。

 風呂からあがって髪を乾かした後に、もう少しだけコリコリとかいてみる兄ちゃん。やはり血は出てこない。

 へたにいじるのもまずいと思って、その日はさじを投げちゃったそうなのさ。

 ところが、翌日になると被害はつむじだけにおさまらなかった。

 首筋、わき腹、足の甲など、全身の合計11カ所。いずれにも、大小さまざまな大きさのかさぶたが、生まれていたのさ。

 かさぶたそのものは、寝ている間で虫に食われたところを、無意識にかきつぶしたりすれば、できないことはない。

 けれども、いっぺんにできた数が多すぎる。


 ――こいつはおかしい。


 兄ちゃんはあえて、そのうちのひとつをはがしてみた。

 これまで、指折りの頻度でかさぶたをこさえていた右の膝小僧。今回できた中でも最大の大きさで、きれいに重ねたレンガを思わせる表面をもつかさぶたの端に、兄ちゃんは爪を立てていく。



 悪いといわれることも、いざ始めてしまえば、みるみる心の抵抗が弱くなる。

 爪の先が数ミリ、連なるかさぶたを持ちあげ出したら、もう止まらない。

 こりこり、そりそり。はがれかけたところを手掛かりに、となりあうところから、少しずつ「離陸」を促していく。

 砕けるのも構わず、むしっていくことを選ぶ人も多いだろう。けれど兄ちゃんとしては、形あるものをできるだけ保ちたく思ってしまった。


 はがしていくかさぶたの下には、すでに真新しい皮膚が張っているように思える。周りに比べて白みを帯び、生えたての毛がいくつか、ちょこんと頭をのぞかせていた。

 やがて完全にかさぶたをはいでしまったけれど、肝心の、かさぶたの原因となったであろう、傷の痕は見当たらなかったらしい。

 そして買い物のために、いったん部屋を出てからはっと振り返ると、昨日はがしたはずの卵がまた引っ付いていたんだ。

 前日より、ひと回り多く大きく、黄色い身体を見せつけながらさ。



 その時より、兄ちゃんの身体のあちらこちらで、たくさんかさぶたができ始めた。

 いずれも眠っている間に、こさえられるもの。かさぶたたちは長いものでも二日とたたず、兄ちゃんの身体からはがれていく。

 その代わり、一度できれば、それでおしまいとはいかない。はがれたはしから、また新しいものができあがり、何度も兄ちゃんの肌の一部を覆い隠した。



 決して、兄ちゃんの意識があるときに、こいつらは生まれない。ずっと起きられれば、あるいはかさぶたができるのを防げるかもしれなかったが、常人には不可能なこと。

 この数日間で、どれだけのかさぶたをゴミ箱へ突っ込んだかわからない。兄ちゃんはもう、どの部分にかさぶたを抱えているか、気を払うようになっていた。

 それが10分、20分のうたたねであっても、目覚めたときにはどこが増えたか、判断がつくようになっていたそうなんだ。

 その日は、顔の側面をやられた。頬から耳にかけて、まるで群れなすカラスのごとく。

 それぞれがある程度固まって、されどくっつきすぎることなく広がりながら、ぽつぽつ、ぽつぽつと、兄ちゃんの顔の右側へ赤いかけらをちりばめていた。


 さすがにここまで目立つと、放っておけない。

 すでに慣れっこになっていたこともあって、兄ちゃんはコリコリと指でこすり落としながら、カーテンにかけていたハンガーから適当に肌着を選ぶ。いちどシャワーを浴びて、顔を洗い直すつもりだった。

 ぽろぽろと、フローリングへ落とした顔のかさぶたたちもそのままに、風呂わきの洗濯機の蓋の上へ、肌着とタオルをポンポン重ねていく。

 風呂の明かりをつけ、ズボンを脱ぎつつ、中折れする戸を開きかけた。



 それは、ほんの数ミリのすき間。

 けれど、そこから目に飛び込んできたのは、見慣れた浴室の景色じゃなかった。

 色は黄。臭いは膿。痛みは塩水。刺激はアンモニア。

 思わず兄貴がたたらを踏んで、後ろの壁へ激突してしまうほど、強烈な液体がべっとりと浴びせられた。

 ものの一秒に満たない間の放出。それが兄貴の顔から上半身までべっとり濡らし、先に示したような奴らが、一斉に上半身へ襲い掛かってきた。

 たまらず、そばの流しの蛇口をひねり、兄ちゃんは頭からざんざか水をかぶる。

 刺激はすぐに薄まるも、臭いはかすかにしがみつき、痛みはじんじんと尾を引いていった。それでも何とか視界は回復し、兄ちゃんは改めて浴室の戸を見やる。


 指先ひとつ、入らないほどの小さなすき間。その戸とレールの間に、びっしりとかさぶたがくっついていたんだ。

 色を問わず、サイズを問わず、ありったけ集まった彼らは、浴室とこちらを完全に隔てていたらしい。あの液体は、そのかさぶたたちの間から、わずかににじんですらもいなかった。

 兄貴はそれをいじる気になれなかったらしい。もしはがしたら、まず間違いなくあの液たちが噴き出してくるだろうから。


 一晩そのまま放置して、翌朝になるとかさぶたたちは消え、その向こうにいつも通りの浴室がつながっていたらしい。

 戸が呼んだか、浴室が呼んだかは分からない。ただそいつはきっと、僕たちの身体がケガをしたところへかさぶたのもとを集めるように、あの液が飛び出してくるところへかさぶたを集めて、塞ごうとしたんじゃないかな。

 そして兄ちゃん自体の身体へ召集をかけて、あのドアの卵らしきものは、その召集令状だったんじゃないか。だから、奴らはできてすぐにはがれるし、兄ちゃんもはがすことに抵抗が薄れちゃったんじゃないかと思うんだよ。


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