7、大学での日常の風景
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日常の風景・座学の時間
本日の午前中の授業は、経済学と語学の授業だった。
経済学の先生はジョン・スミス先生、32歳。やり手の商人らしい。首までの癖のある鳶色の髪で、変わったイントネーションで話す。
語学の先生は、白い毛並みの猫人族で、ウェルツ先生。年齢不詳。妻帯者。奥様は猫。これらの人物の情報は、情報通のレヴィちゃんに教えてもらっている。
午前中の授業は、早朝訓練の疲労で、眠気との戦いだった。けれど、どちらの授業も興味深く、私は必死にノートをとった。
そうして何とか午前中を乗り切って、午後の授業を迎える。
本日の午後の授業は、グリーンヒル先生の技術訓練の時間だ。とは言っても、まずは理論の説明だった。
自分にとって、どんな得物が合っているのか、正確に命中させるためのコツ、得物に合った攻撃手段、など、事細かい説明を受ける。
小柄な私でも大丈夫だろうという事で、ケルバーソードの扱いを中心に座学を受ける事となった。
ウッドゴーレムとの一戦で、純心人と機械人と遊旅人の神々の欠片を宿したらしい私は、先ずは的に攻撃を当てる事に集中して鍛練する事が重要みたいだ。
その為にも、早く武器を振るえるだけの膂力を身につけたいと思った。
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日常の風景・座学~楊先生の授業~
「じゃあ、授業を始めようか。」
そう言うと、揚先生は板書をしながら話しはじめた。
「『兵は国の大事。国家存亡の時なり。』これは、兵法家・孫子の纏めた兵法書『孫子の兵法』の最初の言葉です。意味は、『兵つまり戦争は国家の一大事です。戦争をするという事は、国家存亡の危機です。だから、戦争をしてはいけないよ。』と、言っているのです。」
それを聞いて、即座に私は質問の手を挙げた。
「え?その孫子さんは、戦略と戦術の専門家さんなんですよね?そしてこの授業は、戦略や戦術を学ぶ時間なんですよね?」
教室内のあちこちから、同意があがる。
「ああ、そうだよ。この時間は、そういう時間だからね。」
揚先生は、泰然として肯定した。そして続けて言った。
「この孫子という人、基本的に兵法家なのに、戦争反対派なんだ。何故だと思う?」
そう問われたので、何人かが挙手する。
「うん。反応がいいね。順番に聞こうか。まずはアルヴィン君。」
「え?面倒だから、とかじゃないのか?」
アルヴィン君が答えた。
「じゃあ次はトリス。」
「はい。争いが嫌いだからではないでしょうか?」
私が答えた。
「レヴィ、君は?」
「アルヴィン君達、貴殿方、端からお話になりませんわ。私なら、戦う前に、そうならないよう、和平をむすんでおきますもの。戦争は消耗にしかならないんですわよ。馬鹿らしい。」
レヴィちゃんは、熱く語った。
揚先生は、クスクスと笑いながら、
「はい。実はね。レヴィが正解なんだ。戦争をするって事は、国の蓄えを消費する事。人を兵士として養うのは、お金や食料がかかるからね。鍛える為の時間も要るし、その間の、給料や食事だって必要なんだ。無償で、兵士をやりたいなんて人は、普通いないよね。戦争になれば、命懸けなんだし。ましてや、負けた場合、人的被害もさることながら、補償金もばかにならないんだよ。こんな風に、不利益ばかりなのが、戦争なんだ。」
揚先生の説明は解りやすく、とても説得力があった。
と、同時に、私は如何に、自分が無知であるかを痛感したのだった。
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日常の風景~ガールズトーク~
揚先生の授業は、質問がしやすくて解りやすい内容であり、私としては大満足の時間だ。
私達学生は、時に激しく、時に熱く、意見を交わしあいながら、見識を深めていく。
結果、たびたび質問する者達が、自然と親しくなるのも、当然の成り行きといえるだろう。…物語の本ではそうなっていたので、間違いないだろうと私は思う。
そして、今、自分は、本で学んだ知識を実体験できているのだ、というこの状況に心を躍らせていた。
さて、今日は、揚先生の講義で、いつも意見を交わし合う4人で、女子会である。メンバーは、レヴィちゃん、リースさん、クレアさん、そして私。 場所は、学園の外にある美味しいクロワッサンが話題の《クロワさんのクロワッサン》というお店だ。
ここは、売り場スペースとは別に、木目の美しいウッドベースのレストスペースがあり、個室も完備されている。なかなかに落ち着きのあるお洒落なお店だ。
私達は予約していた個室に入り、思い思いのメニューを頼んだ。
私は、クロワッサンとアイスクリームのプレートセット。レヴィちゃんが、季節のケーキとアッサムティーセット。リースさんは、ナッツタルトのベリーソースセット。クレアさんが、特製ミルクココアのマシュマロ添え。
人気というだけあって、クロワッサンはサクサク、じゅわりとした口当たりで、仄かなバターの塩気が甘いアイスクリームを引き締める。熱々のクロワッサンと冷たいアイスクリームのハーモニーにうっとりとする私。
美味しいスイーツに女の子の幸せを噛み締めていた。
ひとしきり食べ、満足しながらコーヒーを飲もうとした時だった。
クレアさんが唐突に話題を振ってきた。
「ねぇ、あんた達。気になる男のコいるの?」
真っ先に答えたのは、レヴィちゃん。
「今の揚先生の受講者で、ですか?3人ほど気になっていますね。」
懐から、何やら黒い手帳を取り出して、ぱらりぱらりとめくる。
「まずアルヴィン君。何をしでかすか、不安で目がはなせません。次にカーティス君。地質学に詳しく、戦略的な陣地取りの上手い発言に注目しています。最後に、アリス・トートス君。なかなか優秀な軍師だとか。性格が悪いので、要注意です。」
「そういう意味じゃないわよ。」
クレアさんが嗜める。
「男性として、という事ならば、私は揚先生一択です。他はガキですね。」
レヴィちゃんは、力強く断言した。
「ボクは特には居ないなぁ。あ、アルヴィン君をからかうのは楽しいけど。」
リースさんもそう呟いた。
「私は、今のところ、友人が出来るのが楽しいです。色恋の感じがわかりません。でも、グリーンヒル先生に褒めて貰えるのは幸せですよ。」
と、私も乗っかった。
「クレアさんは如何なのですか?」
お返し、とばかりに、聞いてみる。
「私ほどの女になると、だいたいはガキに見えるわね。堅物をおとすのも楽しいんだけどねぇ。だから、物色中?」
…。クレアさんの恋愛スキルが高いという事が分かった女子会なのでした。
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日常の風景~戦闘訓練・グリーンヒル先生と私。~
入学から二週間もすると、グリーンヒル先生の早朝訓練にもようやく慣れてきた。日々の筋肉痛にも、あまり悩まされなくなったし、座学の時間の眠気も無くなってきた。
そう報告したところ、グリーンヒル先生より、新たな訓練が降された。
木刀を持っての素振りに更に重りが追加されたのだ。
木刀の先端に500gの重りが加えられただけなのに、今までとは比べものにならないくらい、とにかく重く感じる。
それでも私は、頑張ってメニューをこなした。
グリーンヒル先生は、頑張ればそれだけ褒めてくれたし、先生のもふもふな羽毛が頭上をポンポンと撥ねる感触は、私の学生生活でのストレスを少しだけ、癒してくれるからだ。
何度も言うが、私は、ヒトというものにあまり慣れていない。
というより、あまり他者と関わった事がない。
なので、好意はともかく、悪意や害意の念にはとことん耐性がない。ちょっと悪く言われたり、悪口を耳にすると、私の体は、心は、固まって動けなくなってしまう。
「お前の意見は違うと思う。」
と言った、ほんの些細な言葉にさえ、対応が分からなくなり、パニックに陥ったりする。
でも、それではいけないと、気持ちを奮い起たせ、泣きそうな気持ちを抑えつけて、グリーンヒル先生の所へと訓練に向かう。
すると、グリーンヒル先生には、すぐに私の不調を見抜かれてしまう。
「トリス。悩みを抱えているな。今日はどうした?思っている事を、何でもいいから話してみろ。支離滅裂でもいいから、言葉にしてみろ。解決法を一緒に探してやれるかも知れんぞ?」
と、先生は、私をフサフサでモフモフの翼で匿いながら、じっくり話しを聞き出して、私のメンタル面でも、ケアしてくれるのである。
「グリーンヒル先生。先生は、何故、私のメンタル面の不調が分かるのですか?何故、相談に乗ってくださるのですか?私は細かすぎる事にいちいちメソメソとして、ご迷惑では無いですか?」
ある時、余りにも的確にアドバイスをくれる先生に、私は思い切って質問してみた。
先生の答えは明瞭だった。
「トリス。お前は私の大事な指導対象だからな。弟子にアドバイスするのは、師として当然な事だ。」
そうニッコリと笑うと、先生は更に続けて言った。
「トリス。お前に必要なのは、生きる『自信』だ。小さな事から、それを身に付ける事が、お前には大切だ。お前には、『生気』と言うモノが全く感じられない。だから、『生きる』事に罪悪感を感じない様に、少しずつ学んでいけばいい。大学とは、知識だけを学ぶ場所ではない。悩んだり、落ち込んだ時は、いつでも私の翼の下に来るといい。弟子であるお前の為に、私は如何なる時も、相談にくらい乗ってやるし、アドバイスもしてやる。そういう所は、甘えていいんだ。」
グリーンヒル先生の言葉に、私は涙が止まらなかった。
それから、何かある度に、私はグリーンヒル先生に背中を押して貰った。
私は、何度、先生のアドバイスで、人間関係の修復を図った事だろうか。何度、先生のアドバイスで、励まされただろうか。
グリーンヒル先生は、私にとって、最高のトレーナーであり、避難場所なのである。
グリーンヒル先生は熱血指導者。そしてトリスの保護者の一人。