5、初めての[揚先生の『戦術』と『戦略』の授業]。
5、
☆
再びしんと静まり返った教室。
授業開始のチャイムとともに、ガラリと扉を開ける音がした。
と同時に、手にした出席簿で黒板消しをかわす人影。
「ふむ。黒板消しが見えたから、落とし穴でもあるかと思ったけど、無かったね。」
と、落ち着いた声がした。
入ってきたのは、揚先生。にこり。と笑っている。
レヴィちゃんの情報通り、揚先生は、黒髪で落ち着いた雰囲気の、知的な容姿をした、30代くらいの方だった。
揚先生は、続けて言った。
「で、誰かな?こんな事をするのは。誰が仕掛けたかは、この際問わない。だけど、トラップを仕掛けるなら、もう少し先を読まないといけないよ。」
ニッコリと微笑み、これくらい何でもないと躱した楊先生。当たり前の様に繰り広げられた光景に、私は驚愕した。
学園生活とは、こういうトラップとかを仕掛けるのも、仕掛けられるのも普通なのか、と。
その衝撃はすさまじく。人間社会の奥深さに感嘆した私は、この講義は外しちゃいけない、学ぶべき、未知なる知が此処にはあるぞ、と直感した。
揚先生は何事も無かったかのように、さらに続ける。
「さて、それでは授業を始めようか。まず、注意事項の説明から。私は出席はとりません。それから、基本的に私のテストには、ノート等の持ち込みオッケーです。ですから、真面目に授業をしたくない者は出ていって構いません。授業を受けなくても、テストの点数が良ければ単位をあげます。」
半分くらいの学生が、この時点で教室を出て行った。
授業が楽しみで目を輝かせる私とは対照的に。
「さて、もう出ていく人は居ないかな?もし受けたくない人が居たら、遠慮なく出ていってくれたまえ。」
揚先生は重ねて言った。
「参加します。是非参加させてください!!」
思わず立ち上がり、右手をピンとのばして私が宣言すると、
「俺も。」
「ボクも。」
「私も。」
と、アルヴィンさんにリースさん、更にはクレアさんも同意した。
「私もです。揚先生、師匠と呼ばせてください!!!」
レヴィちゃんに至っては、師匠と仰ぐほどの感銘を受けたらしい。大絶賛で参加を表明した。
参加の表明をしないで残る人も幾らかはいたが、私達の賑やかさに呆れたのか、
「こんな奴らとは机を同じくしていられるか、バカらしい。」
と、席を立つ人もいた。
そうした騒ぎが治まると、揚先生はボソリと呟いた。
「予想以上に残ったな。めんどくさい。」
私の鋭い聴覚は、うっかりその呟きを聞き取ってしまった。
(え?教師って、そんな態度をとっても大丈夫なの???これ、普通なの?それとも、この先生が非常識なの????)
軽く混乱していると、ちょっとめんどくさそうに小さくため息を漏らした楊先生が、姿勢を正した。これから授業が始まる様だ。
そう察した私は、少しでも多く学ぼうと、意識を先生に向けた。
「さぁ、今度こそ授業を始めようか。よく残ってくれたね。まず皆は、『戦術』と『戦略』の違いがわかるかな?」
揚先生は皆に向かって問い掛ける。
私は物語の本にあった事を思い出し、実行する事にした。
つまり、すっとまっすぐ手を伸ばし、
「はい。先生。全く区別がつきません。そもそも、それって何ですか?」
と、質問したのだ。
物語の本曰く、『分からない』又は『知らない』ことを放っておくのは良くない。自己理解の為にも、分からない事は、積極的に尋ねるべし。である。
すると周りから失笑が漏れた。
私は気にせず、
「全く分からないので、是非詳しく教えてください。定義とかあるんですか?」
と続け様に質問した。
すると揚先生は、くすりと笑って、
「君は確か、トリスティーファ・ラスティン君だったね。君の言う通り、知らないことを明確にすることは重要だ。知っている人の復習にもなるので、まずはそこから説明しようか。」
とおっしゃってくれた。
知らない事を知る事の喜びが私の中を満たした。私は、一言たりとも揚先生の言葉を聞き漏らすまいと、目を輝かすだった。
☆
「では、『戦術』とは何か。『戦術』とは、実際に戦場に於いて兵を動かしたり、計略を練る事を言う。それに対して、『戦略』とは何かと言うと、実際に戦争になる前に、自分が有利になるようにする技術の事を言う。相手より多くの兵を集めたり、有利な地形に相手より先に陣取ったり、同盟相手に援軍を求めたりする事だね。」
落ち着いた声で、淡々と語る先生。
ノートを録りながら、揚先生の言葉の意味を反芻する。
「はい。質問です。」
と、手を挙げる。
「どうぞ。トリス。」
と、指名されたので、遠慮なく疑問を口にする。
「例えば、隣国と戦争にならないようにする為に行う交渉、外交なども戦略に含まれるのですか?」
揚先生はにこりと笑って答えた。
「それは、『謀略』という、また別な分野だねぇ。」
「え、違うんですか?びっくりです。」
そう呟いた私に、隣からレヴィちゃんが言った。
「そうですよ。トリスさん。『謀略』は、宰相とかの文官が行う、知的な駆け引きです。戦争とは別な戦場になります。私は『謀略』の方が得意ですが。」
「俺、『謀略』って大嫌い。胸糞悪いし。」
アルヴィンさんが言う。
「私も苦手ねぇ。出来なくはないけど。」
クレアさんも言った。
そうこうしているうちに、第一回目の揚先生の授業が過ぎていくのだった。