かつての聖女
その日、剣と魔法の世界へと転移した。
当時小学五年生だったわたしは、通学途中で異世界へと旅だったのだ。突然地面にぽっかりと穴が開き、抵抗する間もなく落ちていった。
そして目が覚めると、煌びやかで荘厳な空間で目を覚ました。これが天国か……、と呆気にとられるのも束の間。沢山の人に囲まれていることに気がついた。
「聖女が、聖女様が召喚されました!!!!!」
「これでこの世界は救われる! 魔族どもなど、もう敵ではないわ」
いかにも王さまです、とでもいうような立派な髭を生やして王冠を被った初老の男がわたしに近づいてきた。そのまま跪くと、声高らかに言った。
「聖女よ。我が国を救い給え」
拒否することなど許されなかった。
この世界へと転移したのは良いけれど、無一文で身寄りもないのだ。その上、まだ十も其処らの子どもだ。そんな少女が生きていくためには、彼らの助けが必要だった。
幼いながらにもそれを理解していたわたしは、ゆっくりと彼らに向かって頷いた。
「分かり、ました」
国を救うような力があるのか、そんなことは知らない。けれどほんの少し、期待もしていた。小さい子どもならば誰しもが憧れる、魔法の世界。そんな世界にこれたのだ、きっと面白いことも楽しいことも沢山体験できるのだろう。役目さえ終われば、きっと元の世界にだって帰して貰える。
幼かったからこそ、無邪気だったからこそ楽観視していた。
けれど、現実は甘くなかった。
聖女になってから、厳しい修行の毎日だった。
朝昼夜。食事の前は祈りを捧げることを義務づけられた。
皆が食事を始める前に席に着き、皆の食事が終わるまでずっと祈りを捧げる。皆が食事を食べ終えてから初めて食事に手をつけることが許された。祈りを捧げている間、食事は目の前に置かれたままであったから、食べる頃には当然冷たくなっていた。
異世界に来てから、温かいものを口にすることはなかった。いや、出来なかったのだ。
けれど文句は言えなかった。食事を用意して貰えるだけありがたいのだから。
食事前の他に、暗い洞窟や神殿の地下、湖につかりながらなど様々な場面で祈りは要求された。それは季節関係なく行われていた。
用意された部屋と普段着は本当に最低限、というかんじだった。生かさず殺さず、ぎりぎりの生活を強いられているようで今思い返せば相当体に負担をかけていたように思う。
元の世界でも宗教者たちは、自分を追い詰めるような修行をしていると聞き及んでいた。けれどそれはきちんとその宗教のことについて理解し、自らすすんで行っていることがほとんどだと思う。けれどわたしの場合は、聖女信仰がどんなものであるかを説明されなかったし、彼らから言われたことをただこなすだけ以外のことは出来なかった。
自分が何に祈りを捧げているのかを理解しないまま、その行為を続けた。
それに今までぬくぬくと生活していたからだろうか、転移してすぐの頃はよく風邪をひいた。そのたびに城の人間たちには冷たい目で見られて辛くなった。けれど、洞窟での祈りも食事の祈りもやらざるを得なかった。
彼らに見捨てられたら、それこそおしまいなのだから。
タンスに入った儀式用の聖女衣だけは、場違いなほど光沢を放っていた。
繰り返し刷り込まれる、「あなたは聖女なのだから」という呪いにも近しい言葉。
いや、実際呪いだった。彼らに悪気はなかったと思う。だって、彼らにとってわたしは紛れもなく聖女だったのだから。
そして元の世界に帰る方法を探す暇もなく、聖女として五年の月日を過ごした。