第1話
「綺麗だ。」
普段はこんな感想微塵も湧いてこないのに。
終わりにしようって時になってようやく人らしい感情が戻ってきた。
まぁもう遅いんだけどな。
男は街を見渡せるビルの屋上に立つ。風が少し強いが、美しい夜景が目の前に広がっている。
他に想うことはあるだろうかと、意識を少し集中する。
が、頭の中をよぎるのは真っ黒なもやのようなもの。もやの合間には数々の批判。
人はショックを受けたりすると頭の中が真っ白になるというが、度を越えたものはそれすら塗りつぶす暗黒になることを彼は知っている。
彼にはどうすることもできなかった。反論することも、否定することも。
全てに疲れたのだ。
「あとはやるだけだ、待ち望んでたんだろ、俺。」
鼓舞するようにつぶやくが、男の目には薄っすら涙が滲んでいた。それはきっと風が目に染みるからだろう。
久々の涙が少し嬉しく感じる。彼は泣くことすら忘れていた。
屋上の縁に立つ。
風は一層強まった気がする。
あと一歩。
大きく深呼吸をして―――。
―――踏み出す。
地面のない空間へ延ばされた足が空を踏む。
バランスの崩れた体はそのままビルの外へ、やがて重力に従って地面へと落下していく。
目をつぶり、あとは地面に着地するのを待つだけだ。
この瞬間、彼は久しく感じていなかった幸福を味わっていた。
もう何もしなくていい。
何も考えなくていい。
これほどの幸せがどこにあるだろうか。
死を悟ったとき、人は走馬灯を見る。
頬に当たる風を感じながら。
彼の頭の中にもそれは流れていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
見知らぬ人間が誰かを抱えていた。
何かを叫んでいるようだが、口は動いているのに声は聞こえない。
周囲に目をやると、それは凄惨な戦場であることが理解できた。
あちこちには動かない肉塊と血だまり。
ここは・・・どこだろう、見たことのない場所だ。
気付くと後ろからやってくる10数人の集団が目に入った。
彼らはその場で立ち止まると、戦場にも関わらず一様に目をつぶる。
刹那、先頭に立つ彼らの目の前に、手のひら大の玉のようなものがあらわれた。
色はないのだが、そこには確かに何かがある。
それはやがて彼らの頭上で一つの塊となり―――先ほど叫んでいると思われた人を飛び越え―――その先へと飛んでいった。
その先には敵国だろうか。
大勢の人間が隊列をなして向かってきている。
大きな塊はその一団へ直撃した。
砂埃があがり、様子をうかがうことはできないが、大きな損害を与えたのは違いない。
再び叫んでいた人に目をやる。
やはり声は聞こえないが、かなり取り乱している様子だ。
なんとかして聞き取ろうと、男が近付く。
手を伸ばせば届きそうなところで。
「頼むから・・・生きてくれ・・・」
消え入りそうな声で、でも確かに。
男の耳に届いた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
男は泣いていた。
今度は風のせいではなく。
今脳内を駆け巡った光景に。
生きてくれ、と呟いたあの男に。
あの光景を書かなければならない。
そう強く思った。
それは失っていた感情が戻ってきた、そう感じさせる強い想いだった。
「生きてくれ」
脳内にあの男の声が響く。
俺はもう手遅れなんだけどな。
でも。
もしまだ間に合うなら。
「・・・これ書きたかったなぁ。」
男の意識はそこで途切れた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
―――たき火の弾ける音がした。
少し寝ていたようだ。
霞んだ眼を凝らしながら火を見つめる。
火はいい。
絶えず動き、周囲を明るく照らす。
温かみもある。
エンはそんなことを想いながら、しばらくぼーっとしていた。
やがて、複数の足音がこちらへ向かってきた。
大方新しいパートナーだろうな、と考える。
人類が魔法を発見したのはどれほど前だろうか。
それは全てを一変させた。
魔法はその事象を強くイメージすることで発動できる。
物語の中みたいに長ったらしい呪文を唱える必要もないが、唱えることでより強いイメージを生み出し、補正することも可能だ。
ただし、イメージを持って発動させる都合上、魔法の発動の際に使用者は別の動作をすることが難しくなる。
それは例えば、戦いの最中に使おうとすると戦火の真っ只中でも動きを止めてしまうことになる。
そうなればもちろん、相手は剣なり槍なりで襲い掛かってくることだろう。
それを防ぐため、兵士たちは2人一組で行動することがほとんどだ。
それぞれが攻撃、防御どちらかを担当し、相手の行動に対処する。
「エン、少しいいか。」
低い男の声で呼びかけられる。上官だ。
火から目を逸らさずエンが答える。
「なんでしょうか。」
「新しいパートナーの件だ、時間がかかってすまなかったな。」
どうせ人不足だろう。
「いえ、問題ありません。」
「そうか・・・とりあえず紹介しよう、こちらが―――」
「マドカです。よろしくお願いしますね。」
上官がいい終わる前に割り込んだ声を聞いて、エンは唇を噛んだ。
ついにここまで来たか。
聞こえてきた声は明らかに男ではなかったからだ。
マドカ。そう名乗った彼女を見ると戦場には似合わない笑顔を向けた。
歳は同じくらいだろうか、丸顔にボブくらいの髪は美しい黒でよく似合っている。
こんな戦争がなければ、首都で平和にショッピングでもしているだろう、それくらいここにはそぐわない人だった。
「・・・エンと言います。よろしく。」
少し見惚れながらも挨拶を返す。
その様子を見た上官は、
「次の作戦からエンを戦線に復帰させる。貴重な戦力だ、マドカはしっかり彼を守るように。」
と簡単に言い放つとその場を去っていった。
残された2人は会話もなくたき火の前に座る。
パチパチと爆ぜる音が響く。
「あのっ。」
沈黙に耐えられなくなったのか、マドカが声を上げた。
「エンさん・・・は。」
「珍しい魔法を使うとお聞きしましたが、どんな魔法なんですか?」
「あぁ、特に聞いてないんだね。」
「俺が使うのは「炎」だよ。確かに使う人は少ないかもね。」
イメージが重要な魔法において、そこにないものをいきなり出現させるのは難しいものとされている。
そのため、魔法を扱う者のほとんどは「空気」を用いる。
そこら辺に溢れている空気を活用し、押し固め球状にして敵に飛ばしたりすれば遠距離攻撃ができ、壁状に展開すれば盾にすることもできる。
これにも例外があり、エンのように「炎」を使った魔法はより強いイメージが必要だが、その分非常に強力な魔法とされているのだが・・・。
「「炎」!?すごいじゃないですか!」
「そうでもないよ、せっかくの能力も動きながら使えないと他の兵士と一緒で、守られていないとろくに使えないんだ。」
と少しぶっきらぼうにエンが話す。
希少価値の高い魔法を使える者は、ある程度才能のあるものに限られてしまう。
その才能を最大限に活用するため、幼少期から魔法しながら戦闘を行うための訓練が行われている。
しかし、エンが魔法を扱えるようになったのは20歳を超えた頃、徴兵検査の際である。本来なら長期間の訓練ののち戦場に出されるのだが、貴重な戦力であることと今更訓練を行う猶予もないため、一般兵扱いという訳だ。
それでも、強大な魔法であることには変わりないため、小回りが利くようにパートナーは1人だけというある意味特別な待遇ではある。
「それでパートナーが必要だったんですね・・・なんかすいません・・・。」
マドカは呟くようにそう言うと、下を向いてしまった。
いきなり自虐は失敗したかな・・・とエンが再びたき火に目をやろうとしたとき、
「私!」
突然大きな声を上げたマドカが続ける。
「エンさんのこと、絶対守りますから!!!」
顔を見るとどこか不安そうな、でもこぼれそうなくらい大きく眼を開いて精一杯の笑顔を作るマドカに、
「綺麗だ・・・。」
エンは心の声を漏らしていた。