第91話 正しいアイスの買い方
「え、これ本物ですか? カラーコピーとかじゃなくて?」
居酒屋に行ってから一週間後、みきは吉井と共同で借りているマンスリーマンションのベッドの上で正座し、目の前にある現金の束を恐る恐る掴んだ。
「正直カラーコピーしたのを切って束にするぐらいなら、本物を持ってくる方が楽だよ」
吉井は冷蔵庫から缶のコーラを取り出して蓋を開けた。
「そこまで言われると苛立ちを通りこしてムカつきますね。で、いくらあるんですか?」
「んー、1,700万ぐらいかな」
ゲーミングチェアに座った吉井は座面をクルクルと揺らす。
部屋は広めのワンルームにシングルベッドが2つと20インチ程度のモニター、冷蔵庫、簡易的なキッチンのみのシンプルな作りで、当初は吉井がマンション、みきがネットカフェで寝泊まりしていたが、ちゃんとした場所で寝ないことがそろばんの出来に影響を及ぼしているというみきの訴えにより、ここ数日はマンションで過ごすことが多くなっていた。
2人でマンションにいる時は『それぞれのパーソナルスペースはベッド上のみ』という取り決めが交わされるも、ベッド上で長時間過ごすこと、それはわりと苦痛。という感想を持った吉井は、みきの了承を得た後、家電量販店で腰に負担が掛からない椅子を購入し使用し始め、吉井が使う様子を見ていたみきも同様の椅子を購入した。
「なんてこと、こんな大金が……」
みきは持っていた束を静かに置く。
「きみの目標からしたら端数にすらならんだろ。こんなもんじゃ」
「吉井さん、庶民感覚を忘れたらだめです。ちゃんと500円落ちてたら拾うぐらいで100億ドルまで行かないと。だって向こうに行ったらまたゼロからのスタートですよ」
「その振り幅きっついな。耐えられるかなあ、おれ」
「でもこれ不正に得たお金じゃないんですよね? ATMぶっ壊したとか」
不正かあ。コーラを飲み終えた吉井は冷蔵庫に置いてあった箱から新しいコーラを取り出して中に入れた。
「考え方によるな。バレなければ不正ではないというのならば不正ではないよ。あ、ちなみにこの前居酒屋で言ってた競馬で稼いだ」
「バレなければ不正ではない、ふむふむ」
みきは頷きながら冷蔵庫を開けた瞬間、「あー! あ、ああ!」と声を出し口を手でふさぐ。
「ん、どうした?」
「覚えてます? サエランさん。言ってしまえば巨乳の眼鏡の人」
「うん、覚えてるよ。きみちょっと前も言ってたし」
こいつとうとう言いやがった。しかしこれでおれもやりやすくなるな。今度からサエランは『みきが巨乳と言ってた眼鏡の人』だ。おれが言い始めたわけではない。あいつが言うから合わせただけだ、と。
「あの人の好きなセリフですよ。なんか気持ちわたし達と重なっているっていうか。『家に入ると、そこにはわたし以外がいなかった』はわたしが戻ってきた当初に経験した苦い記憶。それで『一度はバレたと思った。だけどバレなかった』が競馬ですよ! ね、ね! これすごいかも。わたし鋭いかも!」
みきは冷蔵庫に入ってる缶を何本が触って、冷えていたコーラを1本取り出した。
「ちょっと判断が難しいところだなあ。せめてもう3、4個あれば確認できるんだけど」
「ええー、絶対わたし達の未来を示してと思うんですけど」
「戻ったらまた聞いてみればいいよ。あっち戻っても結局未来は気になるし」
「そうですね。じゃあ切り替えましょう。現状これは意味のない会話だった。っていうことで」
「わかった。このやり取りは忘れることにするよ」
あ、そうだ。みきはコーラの缶を開け、ゲーミングチェアに座る。
「眼鏡で思いついたんですけど」
「向こうって視力検査あるんですかね?」
「眼鏡あるぐらいだからな。何かしらで調べてんだろ」
「わたしは、ええと。Cを→やるみたいなの見たことないんですよ」
「それはきみが村にいたからじゃないの?都会ではなんか似たようなのがあると思うけど」
「えー、どうかなあ。体系化されてないと思いますよ。うん、決めました。わたし視力検査も持ち込むことにします。目を隠すやつみたいなのと文字だけですからね。すぐできます」
みきは端末を取り出してメモを入力し始める。
なんかことあるごとに『これ向こうに持って帰れる!』ってテンション上がってメモ取ってるけどさ。この前は何だっけ、ああBMIだ。でもなあ、忘れてるけど、戻っておれらがすぐできるってことは、大抵向こうでもみんな出来る場合が多いんだよ。それだとすぐ真似されて金にはなりそうにないんだが。
吉井は一度同様のことを忠告したが、『自由な発想を妨げる発言は許容できない』と反論されたため、以降はみきがメモを取ることに関しては黙っていることにしていた。
「あ、吉井さん。また競馬行きますよね?」
「うん。とりあえずもう少し現金ないと話にならんだろ」
「でもさすがに目立ちません? そんながんがん数千万当てる人っていないんでしょ」
「そうだなあ。多分いないと思う」
「じゃあ変装しないとだめですね」
「え、変装って。そんな」
「まあまあ、ちょっと待ってくださいね」
みきは自分の端末を取り出して検索し、「あったあった」と言いながらサイトの通話ボタンを押した。
「すいません。そちらの服を1セット。お願いしたいんですよ。あー、違います。上から下までアクセサリーも込みで。あ、下着は要らないです。男物で。えー、そうですねえ。見た感じMですね、オールMで。ああ、物によって不安を感じたら大き目にしといてください。それをとりあえず3セット。1セットの予算は、そうですねえ。5万までならいいです」
「お、おい。どこに掛けてんの?」
吉井は端末のマイクに手を当ててみきに言った。
「この近くの中古服を取り扱ってる店ですよ。吉井さんって似たような無個性の服しか着ないから逆に目立ってますから」
みきは吉井の手を払って会話を続けた。
「はい、靴も込みです。帽子? 最高じゃないですか。どんどんつけて下さいよ。迷ったら安いのでいいですから。違いますって! いたずらじゃないですよ!あー、じゃあ。口座番号教えてください」
みきは、ほら、メモ。と吉井にアゴで指示する。
「……支店の、はい。……697。はい。わかりました。今から振り込みますから。ちょっと待っててください」
みきは端末に手を当て、「吉井さん。今からさっきの口座に15万振り込んで下さい。お金ならいくらでも補充できるでしょ」とベッドの上にある現金を指す。
「ええー。おれまだネットでやり取りできないぞ」
「ちょっと! こういうやりとりはリアルタイムでやるからこそ生きるんですよ! 向こうが『お、おお!今確認した。確かに15万ある、お前まじか!』ってならないと意味ないじゃないですか!」
「言いたいことはなんとなくわかる。でも今すぐにそれは」
はあ、まったく。みきはため息をついて端末を塞いでいた手を離した。
「今から使いがすぐ振り込みます。15万でいいですね? 入金が確認出来たら遊びではないということで、この番号までまた電話をお願いします」
みきはそう言って通話を終了した。
「流れ上、使いっておれだよなあ」
「そうですよ。吉井さんの服ですもん。あ、コンビニで振り込むならついでに今日の昼食を買ってきてください。図書館、そろばんと続きますから軽め、いやむしろ重めのを」
まあいいや、どうせコンビニ行くつもりだったし。ボタンを20回ぐらい押せば終わることだ。吉井は端末を手に取って部屋を出た。
暑っつ。いいねえ、完全に夏のじりじりするこの感じ。何か向こう太陽弱めだったのかしらんが、2個あった割にはここまで日差し強くなかった。
マンションを出た吉井は、夏の日差しを堪能するため一番近いコンビニを通り過ぎ、次のコンビニに入りかけたがさらに通り過ぎて、道路を渡った先のコンビニに入った。
そして15万を指定口座に振り込んだ後、自分用にサンドイッチとLチキ、みきに揚げ物が複数入った弁当を購入して一度店を出たが、ふと店に戻ってみきが公園で食べていたアイスを買い早足でマンションに戻った。




