第90話 横浜に住む大阪の芸人
「え、ここ?」
吉井は駅前にあるチェーン店の居酒屋に入るみきに声を掛けた。
「そうですよ、ここです。ここ以外に居酒屋ありますか?」
「うん、ぱっと見でもその辺にめちゃくちゃある。ああ、これは不満じゃないぞ。見たままを伝えてるだけだからな」
「そっかあ、靴を脱ぐんだ」
吉井を無視して店に入ったみきが脱いだ靴を持ってきょろきょろとしていると、「あからさまな無視の後でも教えてやる。靴箱に入れて板を取るんだ」吉井はみきの前に木の板を差し出した。
「へえ、なんでこんなのを?」
「考えたことなかったな。多分だけど無くさないようにじゃない? 下駄箱の前で酔っぱらった人が、胸と腰をパンパンしまくってたとか」
「あー、それはわかりますね。わたしも一瞬でどこに入れたか忘れて。一瞬ですよ、出して、入れて、出したらもうわからないんですよ」
いや、その状況なら鍵出てるからわかってるだろ。吉井は思ったがまた無視されるのが嫌なので自己流の鍵を無くさない方法を説明しながら自分の靴を下駄箱に入れていると、店員が来客時の人数の確認で話しかけてきたことにより、吉井とみきは会話を一時中断。定型のやり取りを経て、別の店員により希望した個室に案内された。
しかしこの落ち着ける感じ、久々に来るとやばいな。
冷房の効いた室内に入り、掘りごたつに足を入れた吉井はポケットから財布と端末を取り出してテーブルに置いた。
「ねえ、吉井さん。わたしちょっと感動してるんですけど。この空間最高にリラックスできるじゃないですか! みんなここで勉強すればいいんじゃ」
「無料ではないからなあ。少しでもお金が掛かると敷居がやはりね」
「あ、それとこれ」
みきはラミネート加工されたメニューをとんとんと指で叩く。
「飲み放題ってようは食べ放題みたいなもんですよね?」
「考え方は合ってるよ」
吉井はおしぼりで手を拭いた後、丁寧にたたみ財布の横に置いた。
「で、飲み放題を頼む場合ですね」
みきは自分の端末を操作して画面を吉井に見せる。
「ここで検索してこの画面見せたら飲み放題がさらに安くなるってことで間違いないですよね?」
「うん、そうなんだけどちょっと待って。あー、大丈夫だわ。これ来店時でもいいやつだから」
「でもね、通常の飲み物のメニュー見たら。あ。これなんて520円ですよ。画面見せたら全員飲み放題1,180円になるのに! こっちなんて590円!? 信じられない!」
みきは片手を頭に乗せながら画面をスクロールし続ける。
「いや、食べ放題でもそんなもんじゃないの?」
「こんなもろに値段出てる横でバイキングなんてあんまり見たことなかったです。それにおじさんってビールめちゃくちゃ飲むんでしょ? 全員これにするじゃないですか。こんなの通常メニューの意味ないですよ!」
「それはね。おれも詳しく知らないけど大体これ系の店って飲み物の原価が安い? 低い? みたいだから大丈夫なんだよ」
「じゃあ逆に通常メニューがぼったくりってことですね。わたしみたいな初見殺しを狙ってるって解釈でいいですか?」
「どうなんだろうなあ。店の内外で飲み放題アピールしてるからそうそう殺されないとは思うけど」
「でもいい勉強になりましたよ。居酒屋ではこれ以外ありえないということを学びました」
みきは備え付きのタブレットを操作し店員を呼んだ。
「じゃあ、始めましょうか。わたしたちの飲み放題を」
にっこり笑ったみきを見た吉井は思う所があったが口には出さず、手元にあった紙のメニューを開き目を落とした。
「吉井さん。わたしが傷つきながらそろばん教室に通っていたときに競馬場でそんな無駄なことをしてたんですか?」
「人生において無駄なことなんてないよ。そうだな、あるとすれば」
はいはい。みきは会話を遮ってコマイを掴みマヨネーズを付ける。
「なぜもっとシンプルにできないんですか。装甲車で運ぶというケンタッキーのレシピを強奪して、日本で新しいケンタッキー屋を開くとか」
「それさ、いつ運ぶのか知るのが大変そうじゃない?」
「それはつええで何とかすればいいじゃないですか。あんなバカみたいな力あるんだから。あ、それこっちです」
みきは手を挙げて店員が持ってきた、たこわさと板わさを手に取った。
「あー、うん。考えとくよ。そうだ最近図書館で何してんの?」
「主に生物学と地質学を勉強してますね。経験上向こうで役に立ちそうなんですよ」
「へえ、爆弾とかそっちかと思ってたよ」
「それはわたしも思ったんですけど」
みきは一杯目焼酎をウーロン茶で割ったものを頼んだが、一口飲んで顔をしかめた後、マンゴー風味のソフトドリンクを4回連続で頼んでいた。
「やっぱり身の丈を越えた力を持つっていうのはちょっと。そしてそれを使った場合、絶対いつか自分に返ってきます。ハヤオ・ミヤザキが教えてくれましたから」
「わかるよ。大体合ってる、合ってるんだけど。なんか解釈が微妙に違う気がするんだよな」
「吉井さんは吉井さんの好きに解釈すればいいですよ。いいアニメってそういうもんですから。そうだ、吉井さんって大学何学部だったんですか?」
「政治とか経済とかその辺だな」
吉井は3杯目のビールと、みきが食べているのが美味そうに見えたのでたこわさを注文した。
「いいじゃないですか。わたしに足りなかった部分だし、向こうの官僚を出し抜くにはもってこいですよ!」
「でも学んだこと何一つないよ。いや、違うな。覚えていないというか身に付いていない」
「は、なんで?」
みきはマンゴー風味のソフトドリンクをストローでかき回した。
「だって4年も行ったんでしょ? 4年っていったら、人気ハリウッド映画の続編作れるじゃないですか!」
「それはモノによるんじゃない? でもしょうがないんだよ。大体のものは低いほうに流れる。おれだって水だってそういうことさ。大抵はバイトか様々な名称がついた集団での集まりに飲み込まれる。もしくは基本1人で過ごし無理やり毎日12時間眠るのさ」
「だって年間100万ぐらい払ってるんでしょ。おかしいじゃないですか! 遊ぶだけなら18歳~22歳までの年齢制限つけて、なんか各地にあるコミュニティホールみたいなのとことか、意味なく広い公園とかに集まればいいだけでしょ?」
違うんだよなあ、それは違う。吉井は自分で頼んだたこわさを口に運ぶ。
「舞台設定が大事なんだ。みんなそこに酔う」
「そんな。それだけのために年間100万なんて……」
「でかい舞台だからな。維持するのにはそれぐらい掛かるんじゃない? 講師役も必要だし」
「腐ってます。本当に腐ってますよ」
そう言ってドリンクを飲み欲したみきは、「同じのをお願いします」と吉井に言いグラスをテーブルの端に置いた。
「わたしはそんな大学生にはなりません。実は本命は医学部なんです。そこで専門知識を身に付けて向こうの富豪を法外な値段で治すんです」
「え? もしかしてこっちで大学受験するの……?」
「そうです。偽がどうするかは知らないですけど、あの頃のわたしの成長予想だと、おそらくラジオドラマの脚本を書いて自分で演じてるはずですから。医学部を受験するわたしと重なることはないかと」
「ああ、偽が行ってることにするのか」
「そうです。不本意ではありますが、大学に行くことに関しては本物のわたしが偽を騙っても大きな問題にはならないと。あ、そうだ。受験は夏で決まるんでしょ、つまり夏がすべてなんでしょ? 今は初夏じゃないですか。真夏になったら本格的に医学部受験編をスタートするつもりです。あ、もちろんそろばんと生物学とかも継続しますから。そっちも大事ですからね。吉井さんはしっかりお金を稼いで下さい。わたしは知識を詰め込みますから」
問題ないっていうけど、明らかに問題ありそうだけどなあ。よく覚えてないけど、受験の時いろいろ必要なものがあった気が。それに医学部6年掛かるんだけど、こいつの予定ではいつ向こうに戻るつもりなんだよ。
大体にして。吉井はみきのドリンクを頼むついでに、あんかけチャーハンとハイボールを頼んだ。
夏で決まるっていうか、もう決まってるし。いくらなんでも「中学中退が高3の夏から本格的に勉強初めて医学部に合格した!」って本は売れる気がしない。
「ちなみにさ。おれっていくら稼げばいいの?」
「あー、そうですね。目標としては」
みきは視線を上に向ける。
「とりあえずは100億ですね」
「一応聞くけどさ。それって、えー、もしかして。ドル……?」
「当然じゃないですか。でも物事をわかってきましたね。いい傾向です」
「きっついなあ。さすがに1兆円を個人で持つのはちょっとイメージできないっていうか」
「わたしが調べた感じはそれが真の上流階級に行くためのチケットみたいなもんで、本当の闘いはそこからだと思います。そしてこっちで上手くやった後、向こうでも度を超えた成功を収めながら異世界を満喫した後、正規ルートで戻らないと行けなんですから」
「その昔、大阪の芸人は2回売れないといけないって聞いたことがある。まず大阪で売れた後、東京にっていう。なんかそれを思い出したよ」
「大阪の芸人も大変だったんですねえ。わたしたちの境遇に多少近いものがありますよ。あ、なんか来ましたよ」
「おお、チャーハンかな」
あんかけチャーハンを受け取った吉井は、「さすがにわたしもそれは食べます」というみきの要望により取り皿を1つ追加で注文した。




