第62話 文字に捉われている状態
吉井が1階に戻ると、いつの間にか来ていたススリゴが立ったままテーブルにあった今日の回収リストを確認していた。
「いたのか。出るぞ」
吉井を見つけたススリゴはそう言いながら玄関に向かう。
よし、とりあえず行くか。家賃も払わないといけないし。吉井は一瞬2階を見た後、すぐにススリゴに続いた。
時折ススリゴから場所の説明がある以外は、常に無言で回収場所から回収場所へ移るだけだったが、5件目から6件目に向かう途中に、タイミングを見計らっていた吉井はミナトロンがどういう人物かということをススリゴに尋ねた。
「出来る限り関わるな。向こうが望んでいる場合は別だが」
「え? じゃあ望まれたら」
「そうだな」
ススリゴは心底面倒だという雰囲気を隠さず続ける。
「あいつの言う通りにしろ。あいつが望んでいる以上結果は同じだ」
「ああ、はい。うん、大体わかりました」
やっぱりそうかあ。おれから見てもそうだし、長い付き合いからみても同じだということは、結局あのまんまの人なんだなあ。
ススリゴの短い説明でミナトロンの人物像について吉井は完全に納得し、その後、吉井はススリゴと会話することなく回収を続けた。
そして9件目に向かおうとした時に日が暮れ始めたので、ススリゴから今日の作業の終了が告げられ、30万トロン余りの回収金はススリゴが、吉井は整理するためのリストを持って解散した。
まだそろばん引きずってんのかなあ……。家に戻った吉井が恐る恐る扉を開けると、みきがテーブルに座って作業をしており、吉井に気付いたみきは横に置いてあった皿を差した。
「吉井さん、お帰りなさい。提案なんですけど、この皿返しに行くついでに食堂で夕食でもどうです?」
「お、おお。いいよ」
よかった、なんか普通だ。吉井はリストをテーブルの上に置き、飛ばないよう重しと使っている石を紙の上に置く。
「あえて聞くが、そろばんのことは整理できたのかい」
「ああ、そのことですか」
みきは持っていた鉛筆を置き、親指と人差し指で何度かそろばんの玉をはじく仕草を繰り返す。
「単純に慣れましたよ、思い通りにならないことに。なぜなら思い通りにならないことが多すぎて」
「その辺はしょうがないって。きみが悪いわけじゃない、こういう世界だし」
「いくらわたしでもわかっています。次も考えてますけど、多分上手くいかないだろうと。だってこれまでの経験も糧にならないし。ねえ、冷静に考えて下さい。そろばんの過程で得たのって焼き鳥の串ですよ? 正直次のターンで何の役にも立たないじゃないですか。でも、だからと言って」
みきは玉をはじく仕草をやめ鉛筆を手に取りクルクルと手の中で回し始める。
「止まっているわけにはいきません。わたしはこれからもやり続けますから」
「それはいいことだと思うよ。大体、向こうでもさ。よくよく考えたら経験が次に生かされるってほぼないから。それをわかってやるっていうのは、あ、でもどっちみち生かされないから意味ないんだけど」
あれ? 結構矛盾してるか。吉井が自分の言ったことを反芻していると、みきは皿とランプを持って立ち上がる。
「吉井さんが何言ってるかわからないですけどわたしの宣言は終わったので、食堂に行きましょうか」
「ああ、なんかすまん。おれもすぐ出れるから」
この流れって解答編の話はまだなのかな? 吉井はそう思ったが、日中に怒られたことが辛い記憶として残っていたため、その話題に触れないまま家を出た。
吉井とみきがイイマ食堂に入ると客は1人もおらず、暇そうにしているイイマといつもの店員がカウンター越しに話をしていた。
昨日は、いや最近いろいろとどうも。吉井は軽く挨拶をしながら皿を置き、いつもの店員に、メニューの存在を確かめると、ああ、そこだ。その奥に。といつもの店員が口を開く前に、イイマがカウンター席の奥を包丁で指した。
包丁は使わないで欲しいな。っていうか、え? おれちょっと、え? なんかぶるっとしたんだけど。あ、だめだ。包丁見れない。これって先端が苦手なやつじゃ。ちょっと待って。こういうのっていきなりなるの? 嘘で、ああ、無理。やっぱり見れない。
吉井は包丁から目を逸らしながら奥を確認すると、数冊立てかけてある本の隙間にある紙の束を見つけた。
ここにメニュー置くって。全然見せる気がないっていうか。大体にしてこれ作れんのか? 吉井は3、4枚の紙をめくって確かめた後、「おれは肉厚定食にするけど。きみはどうする?」とみきに訊いた。
「じゃあ、わたしは」
みきは反射的に吉井の横からメニューの紙を覗き見ようとしたが、すぐに止めて少しうなだれながら、「……同じでいいです」とだけ言い近くのテーブル席に静かに座った。
吉井はメニューを元の位置に戻しつつ近くの店員に肉厚2つを注文し、みきがいる席の対角線上の椅子に腰かけた。
いらないって思ってたけど、やっぱり最初に水あってもいいかも。吉井が飲食店のサービスについて考えていると、テーブルの上で手を組んでいたみきは思いつめた表情で、「ちょっといいですか?」と吉井に話しかけた。
「え、うん。いいよ」
「わたし思ったんですけど。あ、違う。気付いたんですけど、人間て便利になるために文字を作って使ってるじゃないですか。大体いつも、ずっと、しょっちゅう、ばかみたいに」
「いつもっていうのは合ってるけど、ばかみたいにっていうのは」
「で、結局現状ですよ。便利になるために文字を使っているつもりが、いつのまにか人間が文字に使われてるんですよ。それってどうなの?って」
人間が文字に使われている、か。吉井は具体例を考えたが一つも思い浮かばなかった。
「うーん、文字に使われてはいないと思うけどなあ」
「だって! さっきも吉井さん聞けばわかるのに、わざわざメニュー探してたじゃないですか。それって使われてるってことだと思うんですけど!」
「それはただ単に情報量の問題で。あ、すいません」
いつもいる店員が料理を運んで来たので2人は体を一瞬引き、テーブルに置かれたプレートをそれぞれ引き寄せた。
「わたしは確かに文字が読めないことで不自由があります。でもそれゆえに自由ですから。さ、料理が冷めてしまいます。早く食べましょう」
みきはナイフとフォークを手に取った。
こいつ、怒ってからの料理冷めてしまいます、で話切る流れやりやがった。文字どうこうよりそっちが気になるんだけど。吉井はみきの真意が測れないまま定食を食べ始めた。




