第107話 常連になれた日
「前から少し興味はあったんだよ金融業は。個人的に下らない仕事だとは思うがね。ああ、一応言っておくよ。きみのことは下らないとは思っていない、きみのやっている仕事を下らないと思っているんだ。でも一方でその有用性は認めている。その辺は都市も分かっているから金の貸し借りは基本的に公の機関でしかできないようにしているしね。きみのように個人でやる分はある程度泳がされているが。でもきみも払ってるんだろ、いくらかは。だがうちは別だ。コミュニティは都市の管理下に置かれているからね。大々的にはできないんだよ。でも少しずつ準備だけはしてきた。正直もう少し先になりそうだったんだけど、今回の件があったから頑張って進めたんだよ? いくつか面倒なやり取りもあったし借りもできた。まあそれはいい。数年後の1億より今の1千万の方が重要だ。形式上は都市の業務を委託し、金を貸して周る部署になったということだな。本当に形だけだよ? 貸す金も全部こっちで用意しなくてはならないし、何人か無理やり出向してきたやつらに金も払うことになっている。監視役は別にちゃんといるのにね」
また長々と……。ススリゴは呆れながらも「どのぐらい抜かれるんだ?」と訊ねる。
「ありがとう。そこが重要だ」
ミナトロンはススリゴの目の前にあるグラスに果実酒を注ぐ。
「朝は飲まないと言ってるだろ」
「いいじゃないか。こういうのは一連の流れだ。ああ、そうだ。抜かれるのは利益の4割だ。高いといえば高い、妥当と言えば妥当。なかなかちょうどいい所を突いてくるよ」
利益の4割か。ススリゴは自分の経験からコミュニティの実利を想像した。
「しかしそれでお前の所にうまみはあるのか?」
ススリゴはグラスをミナトロンに押しやった。
「それはあるさ。きみをタダ同然で使えるうちはね」
「別にいい。お前が提示した金だっておれにとっては大金だ。お前と自分を比べたところで意味はない。しかし」
ススリゴは言葉を区切って、横に座るサエランを見た。
「これまでの会話。こいつが聞いていていい内容なのか?」
「ああ、かまわないよ。必要であればするべきことをするしね」
「おい、いくらお前とはいえ街中で」
「はっは、言ったろ」
ミナトロンはススリゴのグラスを取った。
「必要であれば、って。見た感じこの女にそんな価値はないよ。それにきみの言う通り街中で殺すのはわたしも避けてるんだ。だからといって他で処分するにも金が掛かる。だから無駄なことはしない」
だから、これ。うん、どうなると。利益は、わかってる全体の約束どおり、全体の100分の2を。きみが……もや……てく……るなら。それは……を……見てだ、こっちにもやるこ……。
あの、そういうのは。徐々に会話の内容がとぎれとぎれになり、サエランは自分の呼吸の音だけが耳に入るようになった。
そういうわたしをどうこうするっていうのは、わたしがいない所で話す内容じゃ……。
その後も俯いたまま出来るだけ気配を消して座っていたサエランは、ふとできた会話の間をきっかけに、「すいません。ちょっと用事を思い出したので」とだけ言い残し逃げるように事務所を出た。
はあはあ、本当だった。はあ、嘘じゃなかった、ほ、本当だった!
早歩きから徐々に小走りになったサエランは、早朝の騒がしい町並みを人をすり抜けながら進む。
ススリゴさんの言う通りだ。あんな人、50万トロンをポンと差し出すような人がいる世界にわたしが入るべきじゃなかったんだ。というかあの人の口ぶりだと誰か殺したことあるの? だって人が人を殺すなんて重罪だよ? そんな話、実際人が人を殺したなんて話周りで聞いたことないし、噂程度だと思ってたんだけど。
はあ、でも。でも、それよりも。はあはあ。息が切れ、サエランは一度足を止めた。
処分、ってなに? 処分、処分、しょぶん……? なに? その専門分野の人が使う様な言葉は。具体的にどうす、あ、捨てる? でも、どこに、誰が、どうやって? 人なんて簡単に捨てられないよ。だって戻ってくるから。あ、そうか。魔物に殺させるんだ!そうだ、絶対そう。夜に連れて行かれて魔物がいる場所に置いて行かれるんだ……。嫌だ、それは絶対嫌だ!
サエランは再び歩き出し、数歩で小走りから全力疾走となった。
あれ、誰かいるな。開店の準備を終え玄関を開けた時、タフタは人が店の前に座り込んでいることに気が付いた。
「あの、何か?」
「え、あ。はい」
膝を抱えてうずくまっていたサエランはよろよろと立ち上がった。
「あのどうかしたんですか」
「あ、大丈夫です……」
お腹減ったな。まずい、戻らないと。3ヵ月、いや半年は働かないと処分、処分が。処分、処分、ご飯、処分、ご飯、ご飯。処分、処分、ごは、あ。
サエランは店の看板に気付き振り返る。
「ここって燻製? の店なんですか」
「はい、そうですけど」
なんかよくわからない人だな。あ、でもこの人って。声を掛けたことを少し後悔した瞬間、タフタはサエランが最近イイマの店によく見かけていたことに気付いた。
「あの、今食べられますか。燻製」
「いいですよ。中に机と椅子ありますからそこで」
数分後、2人掛けのテーブルに座るサエランの目の前にタフタが選んだ燻製が並んだ。
燻製なんて初めて食べるかも。ううん、『かも』じゃない。初めてだ。サエランは何かの肉を食べた。
あ、おいしい。こんなふうになるんなら食べ物って全部燻製にしたほうがいいんじゃ。サエランは次々と皿に乗った燻製を口に運ぶ。
「気に入ってくれたんならよかったよ」
タフタは水をテーブルに置いた。
「すごくおいしいです。イイマさんの食堂のと同じくらい」
「へえ、それはうれしいね。ちょっと後ろで作業してるから」
そう言って店の奥に向かうタフタをサエランは目で追った。
あの人1人でやってるんだ。すごいな、イイマさんの食堂といいこんなにおいしいものを作るなんて。ん、1人? あれ、ここって3階建てだよね?
サエランはカウンター横にある2階に続くと思われる階段を見た。
「あ、あの!」
皿を持って立ち上がり、サエランは奥にいるタフタに向かって言った。
「えっ、なに?」
タフタは作業を中断し、顔だけをサエランに向ける。
「お、おかわりを。お願い、します」
「ああ、いいよ。ちょっと待って」
前掛けで手を拭きながらタフタはカウンターに戻り、サエランから皿を受け取った。
「なんでもいいの?」
「はい、なんでも大丈夫です。そ、それと上の階って使ってるんですか」
サエランは恐る恐る天井を指す。
「ああ、上? 使ってるよ、僕が2階に住んでるからね。でも3階は今使ってないかな」
使ってないということは、逆に言えばわたしが使える可能性も! サエランは両手を握りしめた。
「あの、できれば、なんですけど。3階を、その貸して、貰えませんか?」
「貸す?」
タフタは最後に玉子の燻製を乗せ、皿をサエランに渡した。
「貸すって。きみに?」
「そう、です。ちょっとやりたいことがあって。本を、本屋を、本を売りたいんです」
「本? ここで?」
「はい。あ、3階ってもしかして狭いんですか? 何部屋かになってるとか」
「いや、3階は一部屋なんだ。外階段、建物の後ろにあるんだけど、そこから上がれるようになってる」
うそ、なんて理想的な。サエランは皿をテーブルに置いてタフタに頭を下げた。
「お願いします! 家賃は先に払いますんで!」
「いや、そう言われても。いくらとかって決めているわけでもないし」
「じゃ、じゃあいくらならいいんですか!」
急に言われてもな。タフタは天井を見上げ首をひねる。
「5千、とか? かな、月」
5千トロン。サエランは下を向く振りをして笑った。全然余裕。50万トロン持ってるし。ほら、今頑張らないと。半年後には絶対今の金貸しの仕事から抜け出さないといけない。そのための準備を、新しい仕事を。今、今からやらないと。
「わかりました。それでお願いします」
サエランは真剣な表情になりタフタを見た。
「あ、いや。でも貸すって決めたわけじゃ」
「お金は、すぐには、ら」
あ、お金持ってない。サエランはふらふらと椅子に座り込んだ。
スイマセン
「ん? なに」
オカネアリマセン
「小さいからあんまり」
ハイ
「ごめん、もうちょっと」
ハイ。サエランは顔を上げた。
「あの、すいません。あの、お金、今、お金持ってなくて。だから燻製のお代も」
「あ、ああ。いいよ、今夜にでもイイマの食堂に持って来てくれれば。だってさ」
タフタは言葉を区切ってサエランに笑いかけた。
「常連なんだし今日も来るんでしょ?」
「常連? わたしが、あそこの常連……?」
「そうでしょ。あれだけ毎日のように行ってれば。あ、ごめん、ちょっと作業途中だから」
タフタは前掛けの帯を締め直し奥に戻った。
うれしい、うれしい。常連に常連と言われたわたしは常連だ。やっと常連になれた。もうなぜ常連になろうと思っていたのかあまり思い出せないけど。けど、うれしい。さっきの処分からの反動がすごくてばかみたいにうれしい。だめだ、最近色んなことがありすぎて感情の制御が。
サエランは少し泣きそうになっている自分に気付き、慌ててカウンターに背を向けた。
一旦常連になったんだし、もう無理して行かなくていいんだよね、疲れてたり眠かったりした時は行かなくていいよね。
サエランは常連になれた喜びを嚙みしめつつ燻製を食べた。