第106話 貰える物、者
早朝、事務所で作業していたススリゴはドアを叩く音に気が付いていた。
こんな朝からいきなり来るなんてあいつぐらいだ。少しぐらい待たせてもいいだろう。
ポキポキと指を何度か鳴らした後、サエランが整理した書類を確認しながらお茶を口に運んでいると、次の瞬間にテーブルを挟んだススリゴの正面にミナトロンが座っていた。
「下らないことをするな」
ススリゴは一度視線を上げ、すぐに書類に戻す。
「すまないね。いや、今色々と試してるんだ。どれぐらいの向上が見られるかとね。なにせあのノリュアムを殺したんだからな」
「ん、ノリュアム……?」
書類を置いたススリゴは、一度目を閉じて息を吐いた後、ゆっくりと口を開く
「お前、ノリュアムを、あのノリュアムを殺したのか?」
「あれ、この前言ってなかったかな」
「ノリュアムがいたとは聞いてない」
「そうだったか。うん、殺した。いや、殺せた。の方が正しいかな。きみにとって何か問題でも?」
「現状ではまったく問題はない。感情を抜きにすればな」
ススリゴは次の書類に手を伸ばした。
「いいじゃないか。きみにとっては、『かつて友人だった人間』が『現在も友人の人間』に殺されたというだけだ」
「だからおれは別に、おい!お前は上がってろ」
階段を降りているサエランに気付いたススリゴは片手を上げ、2階に戻るように示す。
「す、すいません!」
頭を下げて慌てて戻ろうとするサエランに気付いたミナトロンは、そうか、新しいのがいたのか。と呟いた後、階段に向かってゆっくりと近づいた。
「なあ、きみ。ここで働いてるんだろう? ちょっと話をしたいんだ」
「え、あの。わたしはどう」
サエランはすがるような目でススリゴを見る。
くそ、また面倒なことに。ススリゴは軽く舌打ちをした後、「すまない。やはりちょっと降りて来てくれ」階段に座り込んでいるサエランを手招きした。
「へえ、なるほど。2万トロンねえ」
「は、はい。利子を返すだけで精一杯ですがいずれは」
「うん。いい心がけだ。なあ、ススリゴ。利子だけでも返すなんてすばらしいじゃないか」
ミナトロンは手を叩きながらススリゴに言った。
ススリゴは正面のミナトロンと自分の横に座るサエランを順に見た後、そうだな。とだけ返す。
「詳しく聞きたいな。きみがここに来たきっかけを。さっき少し黒髪の2人の話をしてただろ?」
「え、ああ。はい。元々は。あ」
話してていいのかな? サエランはススリゴを横目で見たが特に反応はなかったので、いいんですね! サエランは心の中で確認を取ってから話始めた。
元々はその2人の依頼の協力を頼まれたんです。その途中に急にいなくなって。それがきっかけでギルドから退職することに。へえ、急にねえ。そう言えば2人と知り合ったのはいつ頃なのかな? 知り合ったのは……。、もう2ヵ月以上前ですね。元々何度かギルドには2人で来てました。なるほど、そこで顔見知りになり一緒に依頼に行くことになった、と。そうです。そして先程の依頼の話があってここに来たんだ。はい、あの2人が行っていた食堂で聞いたんです。ふむ、ちなみにその食堂は? ええと、ここから出て中央部に向かう途中のイイマ食堂っていうところで。わかった、後で詳しい場所を教えて貰おう、わたしもちょっとあの2人には興味があってね。ここで会ってるんだよ、きみと同じように。ああ、そうなんですね。うん、あの2人についてきみの印象はどうだったかな。なんでもいいんだ。
「印象ですか……?」
サエランは少し考えた後、口を開く。
そうですね。変わってると思いました。へえ、変わってる? 具体的にはどの辺りが。そうですね、男の人はかなりの能力がありま、あ! あの、あ。これって言っていいことなんでしょうか? すいません、もう言っちゃってるんですけど……。構わないよ、わたしもある程度知っている。ススリゴだって仕事をしてるんだ。知ってるはずだよ。そ、それならよかったです。それでギルド職員のきみから見て級としてはどれぐらいだと思った? 級、ですか? うーん、少なくとも3級以上はあると。わたしも実際見たのが3級の人までなので。あ、そうだ! 一度、6級と7級の人と相対していたことがあったんですけど、全然違いがわからないようでした。上手く言えないんですけど、強い割には慣れてないっていうか。なるほど、能力の程度と経験が一致していないと感じた、そういうことかな?あ、はい! そうです、まさに。わかったよ、ありがとう。そうだ、女はきみかから見てどうだった? 女の人は……、そうですね、弁は立つみたいですけど、結局口だけっていうか。能力の方は10級以下だと思います。なるほど、ごく普通の人間だと。そうですね、あ、訂正します。弁が立つ訳ではなく、立っている雰囲気だけ、です。実際はあんまり意味のないことを言っているだけで。ええと、長くなってすいません。そう感じました。
「うん、ありがとう。よくわかったよ」
ミナトロンは満面の笑みで手を差し出した。
あ、そうだ。小説、いや物語の作成能力は言う必要はないよね。話の流れでは全然関係なさそうだったし。サエランは自分を納得させながらミナトロンの手を取った。
「しかしきみも大変だったね。ここで働くまではどうしてたんだい?」
「あ、でも」
サエランはミナトロンの手を離してススリゴを見た。
「最初からすぐに雇ってくれたんで。なんとかそれで」
「ん? それはここに来た当日?」
「はい。そうなります、けど」
あれ、なんかおかしなことなのかな……? サエランは再びススリゴをに視線を向けるが、反応はなかった。
「いやね、わたしも偏屈だけどこの男も中々のもんなんだ。でも人を見る目はあるとわたしは思っている。黒髪の2人もだけど、きみも、うん。そういうことか」
ミナトロンは足元に置いていた鞄を机の上に乗せる。
「これはさっきの話の礼と、今後のお願いも含めて」
ミナトロンはそう言いながら1万トロン硬貨の束を取り出してサエランの前に置いた。
「50万トロンある。きみに謝礼として払うよ」
「え! そん、え? で、え? これは、え!」
サエランはミナトロンを2度見した後、目の前の硬貨を3度見した。
「一応忠告するが」
ススリゴは書類をまとめ、冷めきっているお茶が入った湯呑を手にする。
「そいつには関わるな。その金も含めて」
「あ、はい。と、そうですよね。いきなり50万トロンなん、て」
で、でも。欲しい、正直に素直な気持ちで言うと欲しい……。サエランは下を向くふりをして目の前の硬貨を確かめる。
「おいおい。別に無理なことを言うつもりはないよ。礼は礼だ、意味なんてない。それとお願いというのは、あと半年、いや3カ月でいいよ。今まで通りススリゴの手伝いを続けて欲しいってだけさ」
「そ、そのお願いなら別にいい、ですけど。わたしは元々もうしばらくは」
「それなら決まったね」
ミナトロンは硬貨を正面にいるサエランに押しやった。
「あ、ありがとうございます!」
サエランは束を自分の手元に引き寄せ、あ、そうだ。と4枚を取り出した。
「遅くなってすいません。これ今月分の返済と利子分です」
「忘れるなよ。おれが、やめておけ、と言ったということを」
後で処理をしておけ。ススリゴは4枚の硬貨を受け取り自分のポケットに入れた。
「よし、では本題に入ろうか」
ミナトロンが差し出した手に、ススリゴは先程確認していた書類を渡す。
「今月は、原資が4,000万トロンか。んー、もっと使っていんだよ?」
「馬鹿言うな。貸す相手の状況にもよるだろ」
「まあそういうものか。で、最終的には、今月末で4,200万が入って、来月末には追加で1,150万、合計で5,350万か。」
「お前の所の人間を倍にしてくれ。10人やそころじゃ足りない」
「わかった、調整しておくよ。そういえば、先月の未回収分は?」
「こっちだ」
ススリゴは別の書類の束を渡した。
「ふむ。500万の内390万回収か。これっていいほうなの?」
「比べたことはないからな。うちでは通常の範囲内だ」
「残りの110万の目途は?」
「面倒になりそうな案件だ。お前のとこのやつらも現状を把握している。手間と金を加味してそっちで考えてくれ」
「わかったよ、検討する」
と、なると。ミナトロンは鞄から紙と万年筆を取り出す。
「2ヵ月間、いや予定を入れて3カ月で2,250万トロンの利益か。いいねえ、順調だよ」
「そう思うならなぜ金融業に手を出さなかったんだ」
「まあ色々理由があってね。そうだ、あれ貰っていいかい?」
ミナトロンは棚に置いてあった果実酒のボトルを指す。
「別にいいが、また今度代わりに持ってこいよ」
「もちろんさ。いいのが家にあるんだ」
ミナトロンは「これはいいな、わたしは今機嫌がいい」と声に出した後、台所からグラスを2つ用意してテーブルに置いた。
「おれは朝から飲む趣味はない」
「趣味、趣味か。そう言われればそうだな。ああ、そうだ。なぜ金融業をやらなかったか、だね」
ミナトロンはグラスに入れた果実酒を一息で飲み干した。
あの、わたしいるんですけど……。サエランは何度か席を立とうと思ったが、数千万トロンが飛び交う会話に圧倒され、ずれつつある眼鏡に気付きながらも俯いたままその場から動けなかった。