第105話 最後までハンモックと迷ったらしい
いいじゃないか。馴染んで来たよ、このソファー、そしてテレビも。
平日の午前中、昨日届いたソニーの85型のテレビ、3日前に届いたマスターウォールのカウチソファーを眺めながら、吉井はロッキンチェアを軽く揺らした。
結局合わせて450万ぐらいっていう相当どうかした値段になったけど。でもこれはソファー観が変わるわ。おれはまだ揺れたいからこっちのほうが好きだけど、いずれ揺れるのにも飽きてソファーに移行するだろう。受注生産だからって無理やり展示品にしたけど確かに値段だ、
「おはよう……、ございます」
眠そうな目をこすりながら、みきは日焼け止めとコーラ瓶を抱え、ソファーに座った。
「おお、また寝起きで日光浴?」
「目を覚ますにはちょうどいいんですよ」
みきはソファーのクッションを何度か確かめ立ち上がった。
「あっちで浴びまくってたんだろ。なんでまたこっちでも」
「コーラを飲みながら45万7千円のいい感じの椅子にほぼ寝そべって浴びるのと、ただ2個の太陽の下で過ごす。もう別世界ですよ」
あれ、そんなにすんのかあ。正直金はどうでもいいっちゃいいんだけど「実際別世界だし」の返しよりは値段の方が気になる。吉井はみきが1人で先週の土日すべてを懸けて探し出した長椅子を窓越しに見た。
「ああ、ごめん。好きにすればいいと思うよ」
「言われなくても好きにしますし、言われたとしても好きにします。でもわたし昨日ふと気付いたんです、つまりわかったんです。なぜお金持ちの外国人がリゾート風の場所に行って意味なくプールサイドで寝ているのかが」
「うーん、マンションのバルコニーで過ごすのとは多少ニュアンスが違うと思うけど。まあいいよ、なんで?」
「本当にシンプルですよ。なぜ日本人は知らないのかって思いますね」
「結構知ってると思うけどな。きみが知らなかっただけで。おれは知らんけど」
「はあ、まったく。いいでしょう、一ついいことを教えてあげましょう」
みきはペットボトルと日焼け止めを床に置いて窓ガラスをトントンと指で叩く。
「知らないことが恥じゃないです。知らないことを認めないのが恥なんですよ」
「あ、ごめん。それは知ってる。そして後半は『知ろうとしないのが恥』だよ」
「だから! その格言を知ってる知らないじゃないくて、なぜ外国人がリゾートに行くかって話ですよ! トークのすり替えは止めて下さい!」
知らないことを認めないっていうのが思いっきり掛かってんなあ。吉井はそう思いながらロッキングチェアを揺らし、サイドテーブルにあるグラスに手を伸ばす。
「じゃあもう言っちゃいますよ。なぜプールサイドで寝ているかを」
「引っ張ってこういう流れになると、何言っても結構きついぞ。あ、わかってると思うけど、これを事前に言うのはおれに出来る最大限のやさしさだからな」
そう言われて。みきは小さく呟いた後、足元に置いていたペットボトルと日焼け止めを手に取り、ゆっくりと振り返る。
「そう言われて話した人間は1人もいないですよ。これまでも、これからも。こっちでも、向こうでも」
みきはそう言って掃き出し窓を開けバルコニー出た。
あいつ舞い上がってんなあ。わかるよ、こんなマンションに住んでわけのわからないクオリティのものに囲まれてるんだもん。おれだって舞ってるし上がってるよ、実際は。というかもっと舞い上がりたいんだけど。あれだ、そう、ええと。そうそう、自分より酔っているやつがいるとさあ、ふらっふらでエレベーターの壁にもたれてる感じの。なんか、そういうやついると自分の酔いがさめるっていうか。ん?
コンコンという窓を叩く音が聞こえ吉井が外に目を向けると、みきが室内のカーテンを指差している。
「ああ、ごめん。カーテンな」
吉井はのそのそと立ち上がり掃き出し窓のカーテンを閉める。
気持ちはわかるんだけどさ。人の目、というかおれの目が気になるのは。でも部屋の中が無駄に薄暗くなるっていう。まあいいか。ええっと、どこまで見たっけな。吉井はサイドテーブルのリモコンを操作して照明を点け、日課となったグルメサイト巡回に戻った。
ああ、楽しい。この時間は最高だ。予算と日程が自由だと逆に選べないっていう無駄な時間。吉井はグラスに入っているハイボールを一口飲んだ。
マンションに引っ越してきてから数週間、吉井は朝起きてから最初の飲み物を、偶数日は値段が安い物、奇数日は高い物を試飲感覚で飲むことによって自分の舌を鍛えることにしており、水、コーヒー、日本茶に続き、現在はハイボールを交互に飲んでいた。
知ってるけど今日は安いのだ、全然違う。これはね、間違う気がしない。そろそろウイスキー編も卒業か。でも、今回は割っちゃってるし正直シングルモルトをストレートで飲むのとはまた全然違うよな。しかしそれはまた別の話だから。また今度寝る前にやろう。えー、次は何にすっかなあ。あ、牛乳。いや、消費期限があるから揃えるのはしんどい。じゃあ紅茶でも。いいねえ、紅茶か。おれいい感じにダージリンしか関連用語知らないし。だからこそだ、そうだろ。
吉井は端末で紅茶の淹れ方と検索しテレビのモニターに映す。
それだからこそだ。よし、今日外に出た時買おう。淹れる道具も必要だし、一式がっちがちで。
ええと、ほうほう。なるほど、そういうことねえ。吉井はふむふむと頷きながら動画を観始めた。
「あの、何観てるんですか?」
数十分後、バルコニーから戻ったみきはモニターを観て眉をしかめる。
「紅茶の淹れ方だな。何事もそうだけど無知なおれからしたら、この工程いる? の連続だよ」
「はいはい。いつかプロフェッショナルに怒られてる時、わたしは知らない人のふりをしますからね。それにわざわざ大きなモニターで観る意味はないです。ほら、あれに戻しましょう」
みきはリモコンを操作し、登録しているサブスクのホーム画面を開く。
「もうあのアニメはいいって。朝からはきついって。っていうか夜もきついって」
「このアニメは学ぶべきものが山ほどあります。これで完全犯罪のトリックを学んでおけば絶対あっちで役に立ちますから」
「ほとんど使えないのばっかりだろ。でかい氷とか高層の木造建築物とかないし。大体これ全部で何話あるんだよ」
ええと。みきは画面を何度か切り替える。
「とりあえず1,000超えてます」
「いま17話だろ。終わるまで何時間掛かるんだよ……」
「だから1.5倍速で観てるんじゃないですか。案外すぐですよ」
「なんかあったらおれがつええで全部解決するからさ。もうこれは一旦置いとこう。あと1.5倍速だと推理のとこしんどいんだよ」
「全然平気ですけどね。わたしも、そして多分その辺を歩いている人も。申し訳ないですけどこれは義務教育ではないので吉井さんは置いていきます。走って付いて来てください。それとつええで解決するのはもちろんですけど」
みきは新しいタオルを敷いてソファーのカウチ部分に横になる。
へえ、ちゃんとしてるな。汗を拭いただけじゃだめだということだな。吉井は直接ソファーに横にならずタオルを使ったみきを高く評価した。
「絶対吉井さんがたまたまどっか行ってる時に事件が起こる回があるんです。それは間違いないですから。だからその時にわたし1人でうまくやる方法を学んでおくべきなんですよ。そして戻って来たとき吉井さんも、おお、このドアの仕掛けはあれだな、ってすぐわかるために勉強しておかないと」
「わかる、それはわかる。それは起きるだろう、おれがオーステインだっけか。何か知らんけど初期村に戻ってるときに、都市内で事件が起こるだろう。誰かが死んできみが犯人にされるんだろう。でもな、そんなの全部で、何が全部かわからんけど、全部で1回あるかないかだしさ。その為に1,000話観るのは費用対効果的に割に合わないって言うか。だからそうなったら無理に誤解を解かずに全逃げしてだな。しつこいようだけど、後につええで取り戻すからさ」
パラパッパー、パラパッパッパラー、パラパラパーパラパッパパラー。みきは吉井を無視し動画を再生する。
「おい、観る観ない以前に予告は飛ばそうぜ……」
「もしそこで逃げて」
予告が終わると、みきは一時停止した。
「逃げたことによって、正しい、本当の、真の、終わりに辿り着けなかったらどうするんです? 正直ラカラリルドムの世界なんて神々の夢じゃないですか? 要は神々のさじ加減一つなんです。やり直しなんてきかないんですから」
「いやー、あっちの人達割と日常を生きていたぞ」
「それはそうです。でも結局一緒ですよ、向こうがが神々の夢の時点で、わたしたちの世界だってあの人達からしたら神々の夢です」
「ごめん。このアニメと神々の夢のくだりが繋がらなくなってきた。ちなみにきみはこの漫画は読んでるの?」
「はあ?」
みきは吉井を横目で見た後、アニメを再生した。
「あたりまえじゃないですか。全巻持ってますよ、映画も観に行ってるし」
何となくそんな気はしていたよ。吉井は始まったアニメから目を逸らし、45万7千円の椅子に座る自分を想像した。