第103話 サエランの小説
イイマから手押しの荷車を借りたサエランは、ギルド近くの職員用宿舎とススリゴの事務所を何度も往復して荷物(主に本)を運び、夜明け頃にようやく全ての荷物(主に本)を運び終えた。
最後、これで最後、これだけは返さないと。
食堂までの道中、疲れと眠気で何度も道で崩れ落ちそうになりながらも、サエランはイイマ食堂横に荷車を戻し、帰り道は目を閉じて歩きながら仮眠を取るというスタイルでススリゴの事務所に戻った。
さっき最後っていったけどこれが本当に最後だから……。
家に入ったサエランは借用書に必要事項を記入した後、床に落ちた鉛筆を拾おうとした時にそのままテーブルに突っ伏して寝た。
数時間後、家に入ってきたススリゴに揺り起こされて目が覚めたサエランは、あ、すいません、あります。書いてます! と、いつの間にか右手で握り潰していた2万トロンの借用書を何度も手のひらで伸ばして手渡した。
「あ、ああ」
サエランの様子に少し動揺したススリゴは受け取った書類を確認し、「これでいい、問題ない」そう言ってテーブルに置いた。
「あの、それと昨日少し考えて、もし、あの出来ればなんですけど」
サエランは寝癖を直しながら眼鏡を掛ける。
「なんだ?」
「仕事を紹介してもらえませんか? わたしに出来ることならなんでもやります、だから」
「仕事か。たしか以前はギルドの窓口だったな」
「はい。事務処理ならある程度できます」
事務処理、か。ススリゴはサエランの借用書を入れた棚を見た。
「じゃあ黒髪2人がやっていた仕事はどうだ?かなり溜まっててな」
「え……? それはその、金貸し、あ、お金貸しの仕事を?」
「今すぐっていうならそれしかないな」
「いえ、やります。少しでも返済の足しにしたいので」
「じゃあ頼む、あそこに」
ススリゴは壁沿いに設置されている棚を指す。
「2人がやっていた途中の書類がある。大体は金利の計算と入出金の処理だ。見たら分かると思うが前のを参考にしながら進めてくれ。わからないことがあったら明日聞く。これも同じように処理を」
サエランが書いた2万トロンの借用書をテーブルに置き、ススリゴはそのまま出て行った。
出来ることなら何でもって言った。確かに言ったけど、どっちかっていうと金貸しの仕事は出来ないことなんだけど。ええと、まずい、これはまずい。わたしはお金を借りただけでなく、仕事の手伝いまで。どっぷりだ、わたしはもう。生活全部が金貸しに支配されている。でもやるしかない。絶対お金は返さないと大変なことになる。どう大変かはよく知らないけど。
サエランは震えながら自分で書いた書類を手に取った。
それからサエランは溜まっていた書類の処理とイイマ食堂の常連になるという目的のためだけに生活した。
仕事自体はそれ程辛いものではなかったが、疲れきった夜、そのまま休みたい、お金が勿体無いという気持ちを断ち切ってイイマ食堂に向かうことはサエランにとってかなり苦痛であり、何度行っても食事の楽しみを上回ることはなかった。しかしその事務処理とイイマ食堂常連生活の中、主に仕事が終わってからサエランは少しづつ物語を書き進め、ある程度の分量が溜まった頃、前日に仕事を詰め込んで余裕を作ったサエランは近況報告のため友人をイイマ食堂に誘った。
「急に仕事辞めたって。大丈夫なの?」
「今のところは。ごめんね、言うの遅くなっちゃって。最近ずっと朝から晩まで仕事だったんだ」
「そっか、大変だね。あ、わたし果実酒一杯だけでいいです」
注文を聞きにきた店員にリュは笑顔で言い、サエランはいつもと同じ定食を頼んだ。
「で、何の仕事してるの?」
「あ、うん。個人でやってる商売の手伝いかな」
言えない、金貸しに金を借りてさらにそこで働いてるなんて……。金貸しが悪い仕事だってわけじゃない、ってわたしは思ってないし。こんなのススリゴさんには言えないけど。サエランは心配そうにこちらを見ているリュから目を逸らし、イイマ食堂の店員が持ってきた定食を受け取る。
「久しぶりでうれしいんだけどさ。でも忙しそうだしこの前の小説はまた今度かな」
リュが残念そうに肩をすくめると、サエランは含み笑いを浮かべて、テーブルの上に数枚の紙を出した。
「次はわたしの番なんだけどさ。最近ちょっと新しいのを書いてて」
「へえ、どんなの?」
「説明するより今読んで欲しいな」
サエランの表情は含み笑いから完全な笑みに移行していた。
「何その顔、気持ち悪い」
リュは数枚の紙を手に取り、サエランは目の前の定食に手を付ける。
サエランとリュは数年前から共同で小説を書いていた。そのやり方はどちらかが設定を決めて書き始め、ある程度の分量が出来ると相手に渡し、受け取った側がその続きを書き、そしてまた戻すということを繰り返し物語を完成させていくという方法で、最初の1冊を作っている最中、サエランはこんなに楽しいことが世の中にあるのか。と毎回原稿を受け取る度に感動していた。
しかし今回のを書いてて思った。サエランは肉を切り分けながら目の前で目を通しているリュを盗み見た。
楽しいだけじゃ越えられない壁があるって。悔しいけど、実際そうなんだ。
数分後、読み終えたリュはまじまじとサエランを見た。
「……何これ? すごいよ、斬新すぎる設定がどんどん出てくる」
「でしょ? 主人公は歌で戦いを止められるんだよ?」
「そうそれ。それにこの主人公さ、お母さんだと思ったらお姉さんだし、隣に住んでる小説家の子どもは紙に名前を書くだけで人を殺せるって。ねえ、サエラン」
リュはテーブルに置いた紙に目を落とす。
「これ、あんたが考えたんじゃないでしょ?」
「あ、え? なんで」
「わかるって。一緒にずっと書いてきたんだしさ」
「うん、そう。正直に言うとね。さっき話に出てきた黒髪の2人が言ってたんだ」
サエランは吉井とみきが話していた内容を所々補完しながらリュに伝えた。
「そっかあ。さっきのサエランの書いたやつは、3つの話をまとめたやつだったんだね」
「そう。ずっと2人が言ってたのは『味が薄い』と『やりすぎ』この間を掴むのはどこの世界でも難しいって。だから混ぜてちょうど良くするのもありかも。って女の人が提案してくれたんだ」
「その辺って混ぜて解決する問題なのかなあ」
「わたしもそれは思ったんだけど、やってみたら意外といいかも? って」
「確かに違和感ない、とは言えないけど面白さが勝ってるからね。でもこれは今までのやり方じゃできないかも」
リュは空になったコップを端に置いた。
「え? なんで」
「だってわたしこんなの続き書けないよ。これはサエラン1人でやるほうがいいって」
「それは違う!」
テーブルに手をついてサエランは立ち上がる。
「2人でやらなきゃ意味ないんだよ! わたしとリュで。今までもそうしてきたし、これからも2人で作らなきゃ!」
「それはうれしいんだけどさ。自信ないっていうか」
「じゃあもう少しわたし書くから。もう少し読めばリュも流れが掴めると思う」
「いいよ、気にせずどんどんやっちゃって。でも続きは読みたいな。じゃあ、そろそろ行くよ」
リュは紙をサエランに渡した。
「本当にいいの? 何も食べていかなくて」
「うん、お金無いしさ。じゃあサエランも新しい仕事頑張って」
じゃあまた来ますー。今度は食べますー。リュはイイマと店員に手を振って店から出て行った。
よし、リュが全貌を掴めるまで早く書かないと。サエランは残った定食を食べ始めた。
イイマ食堂を出たサエランは夜空を見上げる。
よし、これぐらい明るいならぎりぎり外で書ける。あとは次の展開さえ思いつけば。サエランはこれまでのランプの燃料節約のため月が出ているときは屋外で小説を書いていた。
前みたいにならないかな。歩いてるとどんどん浮かんでくるっていう状態に。
サエランは小説の続きを考えながら家までの道を進んだが、考えれば考えるほど思考が空回りしていき、これではまずいと遠回りまでして歩いたが、結局何も思いつかないまま家に着き、ああ、だめだ。今日はそういう日じゃないのか。思い通りの展開にならなかったことに落胆しながらドアを開けたサエランは、ランプを付けようとした手を節約という思考が止めたので、手探りで暗闇の部屋を進み2階の自室に戻った。
無駄に歩いたからけっこう疲れた。ちょっと眠ってから書こう、ちょっとだけ。サエランは靴を脱いでベッドに横になり目を閉じる。
そうそう、子どもが書いた名前の人が死ぬっていう『例の紙』に自分の親の名前を書いちゃうんだった。それで両親が次々に死ぬ。だってあの子が書ける名前は自分と両親だけだった。それでその子は気が付く。この紙に名前を書いた人が死ぬって。あー、9歳ぐらいで考えてたけどそれぐらいで名前を書けるってそうとういいところ子だよね。親が小説家でそんなことはありえない。変えちゃおっかな、年齢。でもこの子どもっていうのが物語を作ってるから。その悲しさ、辛さからこの子がどんどん変わっていっちゃうっていう。それを後に主人公が歌で救うんだ。ちがう、歌で戦ったあとに救うんだ。でもそれはもう少し先の話。今はただとなりに住むお母さんだと思ったらお姉さんだった人。よし、その状態の主人公の視点で話を進めようか。9歳の子の両親が亡くなったらお葬式に出るよね。隣なんだから。その時に変化に気がつかせよう。うん、それがいい。可愛かったあの子が変わった。確実に何かが変わった。その場面は厚くしたほうが、いや。逆にあっさりとしたほうがいいかも。そこをあんまりやると際立たないかな。それでお母さんだと思ってたらお姉さんだった状態の主人公が、いつ『例の紙』が本物だって気がつかせるかだよね。あー、まずい。子どもの性別書いてなかった。男の子が自然なんだけど、でも。今回は女の子にしよう。あ、そうだ。あの2人の話だど『例の紙』は他にもあったほうがいいって言ってたな。でもどうかな、それは。わたし的には、うん。やっぱりとりあえず1枚だけにして。それで、ああ。まずい寝ちゃう、寝たら忘れちゃう!
飛び起きてカーテンを開けたサエランは、月明かりの枕元に置いていた紙に『紙の子は女の子』『9歳で文字が書ける理由』『主人公は葬式で気づく』『紙は1枚』と書き、満足そうにそれを眺めてからカーテンを閉め再び横になった。