第101話 どれぐらいで常連
これからどうしたらいいんだろう……。サエランは本が入った布袋を2つ抱え、ギルドの出入り口から建物を見上げる。
なんで、なんでこんなことに。本当にたまたま初めてだっただけで、わたしは別に何も。
何人か目の前を通り過ぎたのを見て、通行の妨げとなっていると感じたサエランはギルド前の階段を降り、何度もため息をつきながらとぼとぼと行く当てもなく歩き出した。
3日前、初めての依頼である水質と雨量の調査中に依頼主である黒髪の2人が突如行方不明になった。
それは2つの水質調査、1つの雨量調査を終えた後に、効率的に周るため4人乗りの船で川を移動していた時のことで、女の方が、壺の後ろに何か書いてあるかも知れない。後々大きな意味のある何かが!と、壺を1つひとつひっくり返して見ていると大きな方の壺を川に落としてしまった。
まずい早く行かないと! 1秒でも早く! そう言って衝動的に飛び込む振りをしている女の様子を見ていた男は、自分は行かないとだけ言った。
その後、2人で飛び込む、飛び込まない等言い争っていると、川の流れによって船が大きく揺れ女だけが川に落ちた。男はしばらく様子を眺めていたが、女が大きな声で助けを求めていたので、ぶつぶつ何かを言いながら川に入った。
落ちる前に何とかできたんじゃ。なんでそこは能力を使わないんだろう。そう思ったサエランが一瞬持っていた壺に目をやり、再び川に視線を戻すと2人が視界から消えていた。
え、なんで? え? さっきまでいたのに! え!?
急に1人になったことで慌てたサエランは持っていた壺を、置いていた壺に落として結果壺を2つ割り、さらに体制を崩してしまったため船が大きく揺れ残りの壺もすべて川に落としてしまった。
2人が消え壺が全部なくなるという、突然起こった予想していなかった事態にサエランはしばらく呆然としていたが、壺と2人を探すため川に潜る覚悟を決め、眼鏡を外して上の服を脱ごうとしたときに、近くを通る船に乗っていた2人の男が、胸が大きい女が服を脱いでいる、胸が大きい女が服を脱ごうとしている、といったことを話しているのが聞こえたので、めくり上げていた服を戻し眼鏡だけを外した状態で服を着たまま川に入った。
着衣のまま水中を動くことはサエランが思っているより難しく、また眼鏡を外したことにより戻るべき船の位置が把握できなくなることに恐怖を覚えたサエランは一旦船に戻り、再び全身が濡れた状態で放心状態となった。
数分後、放心状態から脱却したサエランは、慣れない船を悪戦苦闘しながら1人で操り、なんとか停留所となっている岸についたが、当初船を返す予定だった場所を過ぎてしまったため一旦徒歩で戻って追加料金を支払い、濡れた衣類のまま中心部まで歩いた。
サエランがギルド近くの職員宿舎に着いた頃には真夜中になっており、もう何もできない、一歩も動けない。家の中に入ったサエランはベッドまでふらふらと歩き道中で乾いた服のまま眠った。
翌朝、サエランは昨日は疲れのため忘れていた憂鬱な気持ちを思い出しながらギルドに行き、昨日起こったことの詳細を報告すると、途中で担当者が2人変わり最終的には明日の朝にもう一度来るように言われ、そして翌日、より憂鬱な気持ちよりさらに憂鬱な気持ちになったサエランがギルドに行くと、4人目の担当者から次のように告げられた。
「きみが言う行方不明となっている黒髪の2人組は初めての依頼だったこともあり、依頼に使う物品の盗難を企てたとして、現在ギルドが行方を追っている。そしてきみは」
厳しい表情のまま4人目の担当者はサエランを見据える。
「その手助けをしたという判断となった。ギルド職員であるならば初めての依頼の達成率の低さも知っているだろう。なのにきみはそれを承知で、しかもきみにとっても初めての依頼だ。それを受けたんだ。これがどういうことかわかるかい?」
「え、あの。それは違います。本当にただ依頼を受けただけで」
「それを今証明できるかな?」
4人目の担当者は手元の資料に目を落とす。
「そ、それは。ちょっと今すぐと言われると。でもさすがにちょっと横暴っていうか、その決めつけは無理があるというか」
「そうしないことには秩序が保てない。きみもわかってることだろ。証明ができないなら今日付けできみは一時的に解雇となる。大丈夫、疑惑が晴れれば戻れるよ。とりあえず皆が出勤する前に荷物をまとめておいてくれ。あー、それと」
4人目の担当者は思い出したように続ける。
「今住んでいる場所も明日の朝までに出て行ってくれ。あそこは職員専用なんだ」
それじゃあ頼むよ。4人目の担当者はそう言って部屋を出た。
そんな、本当にわたしは何も……。サエランは目に涙を浮かべながらも自分の部屋に向かい荷物を整理した後、職員の激しい視線に耐えながらギルドに置いていた私物をかき集め、結果両手一杯の荷物を持ってギルドを出た。
とりあえず住む場所を探さないと。部屋にある残りの本も持っていかないといけないし。荷物を抱えながら歩くのに疲れたサエランはふらふらと市場に向かい、果物屋の女に許可を取って店の陰に座り込んだ。
リュの家には行けないし、でもだからといって。一瞬脳裏に浮かんだ実家の映像をサエランはすぐに打ち消した。そうだ、あの食堂に行って見よう。店の人と男は知り合いっぽかったし。何か知ってるかもしれない。
サエランは果物屋でミカンを一つ買い、そして釣りを貰いながらしばらく布袋を店の脇に置かせてもらう許可を得た後、サエランは深呼吸をして歩き出した。
同じ通りを数回行き来し、ようやくたどり着いた食堂の扉は閉まっていた。
やっぱり閉まってる。そうだよね、夜の営業っぽかったし、でも。サエランは時間外というのを理解していながら、「すみません、ちょっといいですか。すみません。すみません、ちょっといいですか。すみません」とすみませんの間にちょっといいですかを挟みながら扉を何度も叩いた。
「しつこいな、やってないから閉めてんだろうが」
乱暴にドアを開けたイイマはサエランの前に立ち、何の用だ?と訊いた。
「あの、すみません。ちょっと。あの、聞きたいことがあって。ここに来ていた黒髪の2人のことなんですけど。前に来た時に男の人と話していたから。だから、あの知り合いなのかなって」
「ああ、あいつらか。最近は見ないな。それがどうかしたのか?」
イイマは大きなあくびをしながら答える。
「用事があるんです。あ、そうだ、お金を貸してるんです。だから居場所を教えてもらいたくて」
「ほんとか? 事情は知らんがあいつらが借りるとは思えんな」
「え? な、なんでそう」
「あいつらは金貸しの所で働いてるんだぞ。ススリゴってやつのところだ」
金貸しってあのお金を貸す人のことだよね。みんな言ってたあれだよね「金貸しって実際は人だけど人じゃない」っていう。お父さんのお母さんも、お母さんのお父さんも。あの合わない2人が唯一口をそろえて。サエランは以前親戚で集まった時のことを思い浮かべた。
確かあれはわたしがまだ小さい時、そうだ。雨が降ってしばらく家に、それがきっかけで……。
「おい、どうした?」
イイマは遠くを見ているサエランを真横から覗き込む。
「あ、ええ。大丈夫です。すいません、そのススリゴさんの家ってどこにあるんですか?」
「家か、そうだな。確かこの前の道をしばらく歩いた後、三叉路になっているところを左に」
ああ、だめだ。イイマは首を左右に曲げゴキゴキと鳴らした。
「おれ口での説明が下手なんだよ。かといって地図を書くのも苦手でな」
それ、わたしどうしようもないんじゃ。サエランは思ったが黙っていると、「ちょっと待ってろ」とイイマは食堂の中に戻った。
「おれの妻なら大丈夫だ。今2階で寝ているから起こしてくる。その辺に座って待っててくれ」
サエランはイイマに促されるまま窓を閉め切った薄暗い店内に入った。
カウンターの席に着いたサエランはしばらく背筋を伸ばしていたが、ふと物珍しさから身を乗り出して中を覗いていると、2階で怒鳴りあっている声が店内に響いた。
「いいだろ! ちょっと道を教えるだけだろうが!」
「はあ!? なんでわざわざわたしが行かないといけないのよ! ああ! ほら、やっとアィデ寝たのに起きちゃったじゃない!」
「それはお前がでかい声を出すからだろ!」
「大きな声はあなたでしょ!」
ごめんなさい、本当にごめんなさい。椅子に座り直したサエランは思わず耳を塞ぎかけたが、真実を知っておいたほうが後できちんと対応できるかもしれないと考え、両手を組んでカウンターテーブルに置き目を閉じた。
新しい客なんだ、これから常連になるかもしれないだろ。道もわからないんならこの店にもこれないでしょ? そんなばかのためになんでわたしが行かないといけないの! だったらこの店の場所も教えればいいじゃないか。だからなんでわたしがわざわざそんな。それに大体常連になりそうな客なの? それはわからんだろ。まだ若いんだし。かもしれないってだけだ。なにそれ、女? ああ、そうだが。はいはい、そういう事ね。若い女ね。あ、これは嫉妬じゃないから。わたしが言いたいのはね、若い女がこんな店の常連になるわけないってこと。お前、こんな場所ってなんだ! ここはおれの親が死に物狂いで作った店だぞ! こんなっていうのは酒を出して夜までやってる店ってことよ! 悪く言ってないじゃない! ああ、もういい。さっさとこれに書いてくれ! なんでそうやって上から言うのよ! わかったよ、もう頼むよ。下で待ってるんだ。はいはい、書けばいいんでしょ。あの金貸しのススリゴでしょ。客からの又聞きだから確かとは限らないからね。ああ、また泣いて。ごめんね、アィデ。ほら書くからそれまでの間ぐらいなんとかしてよ! しょうがないだろ、お前の方に寄って行くんだ。しょうがないってなによ!それぐらいできないの!
すいません、もう、無理です……。サエランは耳を塞ぎながら店の外に出て頭を抱えて座り込んだ。
どれぐらい時間が経ったのか。ふと気が付いた時にイイマが目の前に立っており、慌てて立ち上がったサエランはイイマから渡された紙を握りしめながら何度も頭を下げた後、逃げるようにその場から離れた。