8 ダンゲにて
大いなる暗黒ついに破れたり
闇を切り裂く
焔の剣に
あらわれ来たれ
眠れる勇士
暗黒の影はここぞ
心に染み渡る澄んだ歌声。亜麻色の長い髪を風になびかせた美しい少女が、青年の奏でるギターのような弦楽器の調べに乗せて、歌声を響かせている。天使の歌声とも形容されそうな音色に、道行行く人々は一度立ち止まらないではいられなかった。弦楽器を持った黒髪の青年も眉目秀麗で、演奏を聞いている女性たちは、彼に見惚れてほうとため息をついている。二人ともどこか色香漂うエキゾチックな雰囲気だ。
俺たちはつい先ほどヘップバーンと別れ、ダンゲという街に入ったところだった。着陸は旋回しながら徐々に高度を下げてくれたので、離陸の時のような衝撃はなかった。
そして広場の一角に人垣ができていたので、俺とフィードはいったいなんだろうと近づいて先の光景を見ていたのだ。
「吟遊詩人ですね」
人垣の中心にいる二人を見て、フィードが言った。
「吟遊詩人って、歴史とかを歌にのせて伝えてる人?」
「まあ、良く言えばそんなところです。旅芸人のことを指すこともあります。しかし、こんなに人を集めているのは初めて見た」
「そうなの?」
「吟遊詩人は玉石混淆にごろごろいますからね。たいてい人は素通りしますよ。これだけ立ち止まって聞いてくれるなんて、よほど人を惹きつける力がなきゃ無理です」
俺は、へぇと相槌を打った。そういえば、よく見ると広場にはもう二組ほどの吟遊詩人がいたが、彼らはもう歌うことも諦めて楽器を傍らに置き、人垣の方を恨めしそうにぼけっと見ていた。
俺たちは人垣を離れると、街の内部に入っていった。まずは買い物をすることになっている。俺は二十年前にディングランが着ていた古い服と鎧と、ヘップバーンに乗っているときに、寒いからとフィードに借りたマントを羽織っているだけだったし、身一つで来たわけだから、いろいろと揃えなければならなかった。……身一つという表現が正しいかどうかは微妙なところだけど。
「あれ? そういえばフィード、赤ローブは?」
気付けば、フィードはいつの間にか灰色の地味なコートを着ていて、フードを目深に被っていた。彼はしぃっと口元に指を当ててから、小声で答えた。
「あれは目立ちすぎますからね。街を歩く時なんかには着ませんよ。
それにあなたも一緒ですし、今しばらくは身を隠すのが得策かな、と」
確かに、せっかく目覚めた勇者が役立たずとあらば、隠れているのが得策だ。
ただ、彼の手荷物の大きさを見る限り、コートが入っていたようにも、今ローブが入っているようにも見えない。杖がいつもどこからか現れてどこぞに消えるのも、ずっと気になっていた。
「脱いだローブはどこに?」
「空間魔法を応用して使っていまして、この鞄や私のローブのポケットには実際の容量以上に物が入るんです。便利ですよ、荷物が減って!」
人類の夢、四次元ポケット‼︎ メアリーポピンズの鞄‼︎ 興味深々でカバンの中を見せてもらうと、一見は財布などのモノが入っている普通のカバンだった。しかし、フィードが内ポケットを開いて見せると、先ほどと同じくらいの容量いっぱいの荷物が現れ、また内ポケットを開くと、あきらかにカバンよりも大きな空間に大きめの荷物がはいっている……と、こんな具合だった。
俺は「へぇぇ!」と感嘆の声をもらした。無限ではないが相当いっぱい入るし、重さも鞄の自重ほどしか感じない。この魔法も、若い頃に作ったものだそうだ。
一通りの買い物を済ませ、新しく買った俺用のカバンは、ちゃっかり四次元ポケットにしてもらった。それから今日泊まれる宿を探し、どうやら一箇所探し当てた。いつの間にか夕暮れ時で、道行く人々も帰途についている。
フィードがここしか空いてなくて、と言った部屋は二人で泊まるにはとても広く、寝室は二つ、ソファや食卓テーブルのあるリビングダイニングまでついていた。壺や置物などの調度品もある。スイートルームのようなものだろうか。お高そうである。部屋に荷物を置くと、次は風呂だ。部屋には風呂までついていた。源泉掛け流しの温泉らしい。
部屋付きの風呂場で鏡をみて、俺はどきりとした。考えてみれば、こうなってから鏡をのぞくのは初めてだった。そこには知らない顔がいた。手をヒラヒラと動かしてみれば同じ動きをするので、確かに自分なのだが、竜神 翔ではなかった。ディングランなのだ。
とはいえ、顔の似てない兄弟や従兄弟かな? くらいには似ている気もした。髪の色は俺が染めていた色と似た、茶色だ。髪の根元を見る感じ、こちらは地毛なんだろうが。そして、残念ながらディングランのほうが男前だった。眠っている間に過ぎ去った年月を考えれば四十四歳の立派なおじさんのはずだったが、フィードが言っていた通り老化は止まっていたようで、どう見ても二十歳過ぎくらいの青年だった。
体つきも変わっていた。無駄のない引き締まった筋肉、身長も伸びている気がするし、ポークビッツはフランクフルトに昇格した。
思えばこんなに見た目が違うのに、あの狭間で奇妙な老人とフィードは、どうして竜神 翔がディングランであるとわかったのだろう。
別の肉体に俺の魂が入ったのだと、鏡を見た今、初めて実感した。実感はしたが、なんとも言えないモヤモヤが心に広がっていった。
俺は湯船に浸かるとモヤモヤについて考えた。次から次へと起こった出来事に流されてここまで来たが、全ての出来事が“俺”には無関係だ。“俺”は伝説の勇者だったこともないし、ラスボスを封印したこともないし、二十年眠り続けてもいない。いきなり連れてこられて“俺”の人生はどこかに置いてけぼりだ。 平凡な二十年間ではあったけれど、自分にとってはかけがえのないものだ。それに、死と隣合わせのこの世界は単純に怖い。特に、俺は勇者だったというだけで積極的に命を狙われるんだろうし……。全く無力の俺にどんな価値があるのかわからないが。
「こんなところで死にたくない……」
それが正直な気持ちだった。そのためには元の世界に帰らなければ。あの平凡で平穏な日々に。
2019/11/16 改稿しました
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