6 大鳥
フィードは大鳥の背後にまわると、ひらりとその大きな背に飛び乗った。その身のこなしが本当に軽かったものだから、空でも飛んだのかと思ったくらいだ。フィードが上から俺に言った。
「さあ、ショウもヘップバーンの背に乗って下さい」
「そんな乗り方、出来ませんよ!」
「尾のあたりからよじ登ればいいんですよ。大丈夫、人間が羽をひっぱったくらいじゃ、彼女には痛くもかゆくもありませんから」
俺は、言われたとおりに鳥の背によじ登った。何度もずり落ちそうになりながら、ようやくフィードの隣に辿り着く。最後の一踏ん張りでは、フィードが手を貸してくれた。
「しっかり捕まっていて下さいね。離陸はかなり衝撃がありますから。
ヘップバーン、南へ。とりあえずダンゲまで、お願いします」
離陸がかなりの衝撃だというのは本当だった。たとえるならば、遊園地にある、垂直に猛スピードで打ち上げられる、絶叫系のアトラクション。あれに似ていた。絶叫系は乗れなくはないけれど強くもないので、俺は恐怖の叫び声をあげてしまうことになった。
衝撃がやわらいである程度の高度になると、大鳥の飛行は安定した。吹き飛ばされそうな向かい風は出発してまもなくフィードが魔法でいなしてくれて、大きな風切り音に耳を塞がれることもなくなった。
「ここからの眺めは、綺麗なものでしょう」
フィードに言われて、俺は初めて周りを見てみた。飛び立った地はやはり、上空に浮いていた島々のうちの一つだったようだ。もうかなり小さいが、さっきまでいた建物が見えた。
はるか下には緑豊かな平野が続いている。たまにぽつぽつと集落や、都市なんだろうと思われる建造物群があったりしたが、現代的な高層ビルだらけのメトロポリスは見あたらなかった。ひとしきり眺めてから「ええ、本当に」と俺は本心から答える。
「でもね、もう少し東に寄ると、こんな綺麗な風景は見られないんですよ。一番酷かったから、暗黒時代の爪痕がまだ生々しく残っているんです。
東の人々にとっては、暗黒時代が一度は幕を下ろしたことなど、あまり実感としては感じていないでしょう。──こんなに早く、大いなる暗黒が封印を破って目覚めるなんて」
フィードは東と思われる方向を、憂いを含んだ目で眺めながら言った。その視線に誘われて目を向けてみると、暗い雲が垂れ込めて、他の方角よりもなんとなく影が落ちているように感じる。偶然に雨雲があっただけなのか、実際に暗いのかはわからない。
大鳥の背に乗せてもらっての空の旅は、少し寒いことを除けば快適だった。たまに翼は動かすものの、ほとんどが滑空でとても滑らかに飛ぶので、思っていたよりは揺れない。
大鳥はヘップバーンという名で、フィードが“彼女”と呼んでいることから、どうやら雌らしい。フィードの若い頃からの友で、よくこうして背に乗って旅をしたそうだ。
そしてフィードは、俺のことやいまの状況といったことを、ヘップバーンに簡単に説明する。彼女がその話にあいづちの声を挟むたび、心地よい振動が伝わってきた。
あらかたの説明が終わると、フィードが思いついたように俺に言った。
「そうそう、ずっと気になっていたんですけど、敬語はやめてくださいませんか? なんだかやりにくくて……」
「え、でも……フィードさんは偉い方のようですし……」
「私と、あなた──“ディングラン”は友人だったんですよ! それに、実際は私の方が歳下です。ディンが魂を手放したのが二十四歳の時、それから肉体の時は止まっていたので、私が抜かしてしまったような形になりましたが……。ですから、偉いもなにもありません」
「でも僕は、フィードさんのいうディングランさんとは言えないですし……。それに、あなたも僕に対して敬語じゃないですか」
「私のこの言葉遣いは誰に対してでも、こうしています。それは置いておいたとしても、中身がどうあれ、ディンの顔をしたあなたに敬語を使われると、どうにもやりにくいんです。
彼と出会った頃は、私はまだ十四のヒヨッコだったんですけど、当時はその年齢特有の謎の無敵感でかなり生意気なことをしてましてね。もう黒歴史なほどに。そんな私を導いて、友と言ってくれた、一緒に戦ってくれた、そんな関係なんですよ。ですから……」
フィードは言葉を切り、穏やかな笑みで、しかしジッと懇願するような視線を向ける。
「ええと、では、敬語はやめます。
けど、ごめんなさい……あ、いや、ごめん。色々と教えてもらっても、やっぱり自分がその“ディングラン”という人だったことは覚えがないし、思い出せる兆しもないんだ。竜神 翔としての人生しか、わからない」
「ええ、わかっています。あなたはショウで、ディングランではない。”今は思い出せないだけ“と、勝手に希望は持ちたいですけどね」
そう言う彼は少し寂しげだった。──でも、それもそうか。本当なら友人と再会できるはずだったんだから……。
大鳥は順調に飛んでくれていたが、恐れていたことが起こるのに、時間はかからなかった。アンコックが追いついてきたのだ。
俺たちが来た方角の空が、翼を持った異形のアンコックの大群で真っ黒に染まっていた。セーネンの言った”大群“という言葉で俺が想像した規模よりもはるかに多い、もの凄い数だ。実際はわからないが感覚としては、スタジアムのライブに五万人集まったのを想像して、その十倍、いや、もっといるんじゃないかと思った。
「セーネンさん達は無事なのかな」
「無事を願いますけど……。さっさとあちらには見切りをつけて、私たちを追ってきたなら、大丈夫かもしれませんが。この数ですから、わかりませんね。
──さあ、ショウは私の背後へ」
フィードは杖を構えて、進行方向とは逆の向きに立ち上がる。大鳥の背中の上は不安定だろうに、まるで足が固定されているかのように、彼の足元はしっかりとしていた。なんの役にも立たない俺は、素直に彼の邪魔にならないところに引っ込んだ。
だんだんとその影を大きくするアンコックに向かって、フィードは大きな炎の塊を何度も打った。魔法使いが戦うハリウッド映画を、画面の中に入って見ているようだ。
その都度かなりの数のアンコックが消え去ったが焼け石に水で、先頭集団はあっという間にもう爪がかかるんじゃないかと思うような距離まで近づいてきた。大鳥、ヘップバーンの声が響いた。
「フィード様、私はこれ以上のスピードを出すのは無理です。あの辺りの、高威力な魔法を使うしかないのでは」
フィードの顔が険しくなった。
「あれらはできれば使いたくない!」
「そんな事を言っている場合ですか!」
フィードは近づくアンコックを退けながら、眉間にしわを寄せてしばらく悩んでいたが、ついに、覚悟を決めたように杖を大きく、真横に振った。その杖から放たれた水柱は、炎の塊よりもあきらかに高い威力で、刃物で刈るように周囲の魔物をまとめて薙ぎ払う。
「致し方ない。確かにそんな事を言っている場合ではないですね。
ヘップバーン、詠唱の間だけ、なんとか攻撃を避けてください」
直近まで迫っていた群れがいなくなったところで、フィードは文庫サイズの本をローブの懐から取り出した。
2019/11/16 改稿しました。
2020/05/27 改稿しました。