5 敵
森に入ってしばらくも歩かないうちに、とてつもなく大きな老木につきあたった。フィードはその根元、たくさんのツタに入り口を隠された空洞に入っていく。空洞は身を屈める必要がないくらいの高さで、幅は人が二人並んで歩けるほどあった。もともとは自然のものだったのだろうが、天井や壁は人の手が入って補強されていた。崖かと思うほど急な下り道を植物の根を伝いながら少し行くと、五畳くらいの広さの空間が現われた。奥には、宝箱が置いてある。海賊映画にでも出てきそうな、紛れもない宝箱だ。
俺はフィードに促されて箱に手をかけた。一瞬、鍵穴から閃光が差したかと思うと、ガチャという音とともに、箱の蓋が開いた。中に入っていたのは、見た目よりもずいぶん軽い鎖鎧と、鞘に納まった剣。初めて見たものであるはずなのに、手に取るとなんだか不思議と、懐かしく感じる気がした。
俺は初めての鎧を、フィードの手を借りモタモタと身につけながら、
「アンコックってなんですか?」
と彼に聞いた。
「暗黒に支配された生者、暗黒に利用されている死者を、我々は“アンコック”と呼んでいます。そこからさらに理性や知能をほとんど失い、姿も獣や化け物のようになったモノは“魔物”と呼ぶことも」
恐ろしい存在なのだろうけど、ネーミングは安直だ。
「あなたがディングランであることを覚えていない今、その敵に向かって行けとは言えません。必ずお守りします。しかし、もしもの時にはご自分で身を守れるよう、心の準備はして下さいね」
「いや、無理ですよ! 武術なんて何も習ったことがないし、ケンカすら最後にしたのは小学生なんだ!」
鎧を身につけて剣を手にしたとはいえ、戦う術などまるで知らない。しかも、剣を鞘から抜いてみると、刀身は真ん中あたりでぽっきりと折れてなくなっていた。唖然 とする俺に「ああ、これは……」とフィードは言いかけて、ふと口を閉じる。老木の空洞の入り口付近で、足音がしたのだ。
フィードがするのに促されて、俺も入り口を仰ぎ見た。いくつかの影が見えたが、こちらにはまだ気付いていないようだ。 フィードがごく低い声で言った。
「ここに入って来られては分が悪い。私がまず突破しますから、ついてきて下さい」
俺がだまってうなずいたのを見て取ると、フィードは彼の身長を越すほどもある長い杖を取り出した。いったいどこに隠し持っていたんだろう。フィードは慎重に歩みを進め、外からの死角から、脱出の機会をうかがった。俺はそれに意味があるかは分からないけれど、刀身の折れた抜き身の剣を持って、その後をおそるおそるついていく。
しばらくジリジリと坂を登り、入り口に近づいていたが、フィードが突然、俺をグイッと引き寄せた。その刹那、耳もとでなにか風を感じた。俺の顔すれすれのところで矢が通り過ぎたのだ。フィードが庇ってくれなければ死んでいたかもしれないという恐怖は、じわじわとやってきた。
「気付かれたようですね」
そう言ってからの彼の行動は素早かった。フィードは何事かを叫ぶと、空洞を覗き込む射手に杖の先端を向けて、まるでたくさんのマグネシウムを燃やしたような強い閃光を、その先から放った。それは本当に、魔法としか言えないものだった。何か重火器や閃光弾や、そういったものを使ったようなそぶりはない。ただの木の棒のような杖から、手品のように光が溢れたのだ。
射手はとたんに目を押さえてのた打ち回った。直視はまぬがれながらもその様子を見てしまった俺もまた、射手ほどではないが、一瞬、視力を失ったかと思った。緑色の残像が視界の邪魔をする。それがマシになってようやくあたりを見ると、空洞の入り口からフィードが手招きしていた。
外に出ると、数人の人、それから妖怪か、獣か、化け物か、そんな類の異形の生物が多数、地面に転がっていた。あっけにとられていると、それらの身体は黒に近い紫色の煙をあげて溶けるように消滅する。
「消え、た……?」
「死者も生者も、アンコックがたどる末路はこれです。死者はもともと魂がないが、生者は魂もろとも闇に帰す。二度と生まれ変わることはできません」
そこにセーネンが小走りでやってきた。彼も、長い杖を持っていた。
「フィード様! ディングラン様と一緒に、すぐに出発して下さい」
セーネンは用意してあったらしい荷物を、半ば押しつけるようにフィードに渡した。
「何があったのですか?」
「先程のアンコック達とは別に、大群が近づいているのを確認しました。奴らの狙いは目覚めたばかりのディングラン様でしょう。我々で時間を稼ぎますから、どうか遠くへ」
フィードはそれを聞くと難しい顔をして、ここに残るか否かとセーネンと問答していたが、やがて決断した。
「わかりました。ではセーネン、早く戻ってあげて下さい。……無事でいて下さいね」
「もちろんです」
セーネンは軽くお辞儀をすると、もと来たほうに走り去った。
「さあ、我々は行かなくては」
フィードはそう言うと足早に森をさらに進む。しばらく行くと木々の少ない開けた場所へと辿り着き、そこで彼は、状況に不似合いな、楽しげな節で口笛を吹きはじめた。俺は怪訝に思ったが、すぐにその考えは間違いであるとわかった。
フィードが口笛を吹きおわるころ、遠く上空から何かがこちらに近づいてきた。どうやら大きな鳥のようだ。しかも、近づくにつれてこの世のものとは思えない大きさであることが見てとれた。大鳥はバサバサと大きな音をたてて俺たちの前に降り立った。
「いつも、私の呼びかけにこたえてくれてありがとう」
フィードは大鳥のくちばしをやさしく撫でながら言った。
「申し訳ないけれど、今日は二人乗せてもらってもいいですか?」
「フィード様のご友人とあらば」
腹に響く、低く優しそうな声が言った。この大鳥が発した声なのだろう。ここでは動物と話ができるのだろうか。あの鳥を動物と呼んでいいものかどうかは別として。
2019/11/16 改稿しました
2020/05/26 改稿しました