4 ディングラン
何やら思案顔をしながら、明らかに一人で食べ切れる量ではないスコーンの皿を空にして、ようやくフィードは俺の方に向き直った。
「すみません。大きな魔法を使った後は特に、何か食べないと頭も回らなくて。
さて、何も知らないとなると、一体何から話しましょうか……」
彼はそう、一言二言加えてから、今の状況を説明してくれた。
「関連する事の始まりは百年以上前、我々が”大いなる暗黒“と呼んでいる存在が世を支配し始めます。“大いなる暗黒”は存在しているだけで世界に影響を及ぼしました。異形の魔物がはびこり、人々は疑心暗鬼になり、暗い時代が続いた。暗黒時代とも呼ばれています。
しかし今から二十年前、この地に語り継がれる伝説の勇者が、暗黒に立ち向かいました。彼は戦いの末に、ついには自らをもって暗黒を封印した。その英雄が、“ディングラン”です。
彼は『私は完全に勝利することは出来なかった。この封印もおそらく長くはもたない。再び暗黒が世に放たれたときには、私も覚醒しよう』そう言い残して、暗黒と共に眠りにつきました。
眠りにつく、という表現は実際には的確ではないかもしれません。ディングランは、暗黒を封印した時に、自分の魂を手放しました。魂を持ったままに暗黒を封印すれば、だんだんと蝕まれて暗黒に支配されてしまう恐れがあったからです。彼ほど力ある者の魂が暗黒に染まる事があれば、それは冥王の誕生すら意味するかもしれない。
ディングランは空っぽの肉体に暗黒を封じ込め、手放した魂を“狭間”に留めることにしました。
──ここまでが、あなたが目覚める前のおおよその事です」
「……はぁ」
この長い話を、一度で理解できる気は到底しなかった。もっとも、そもそもが目眩がするほど理解の及ばない話だ。疑問符が張りついたような俺の顔に、フィードは苦笑いを浮かべると「まあ、ひとまず続けましょう」と言った。
「ショウ、先程あなたが言っていた“ニホン”というのは、国名ですよね?」
「はい、ええと、そうです」
「──ここからは、私の仮説なんですが……。
この“大地”に、私の知る限りニホンという国はありません。となると、“狭間”に留まっていたはずのディングランの魂は世界を渡ってしまったんでしょう。狭間は死後の世界や神々の世界、生前の世界、あるいはこことは違う現世の世界など、あらゆる世界の狭間にあたる場所と言われています。──場所と言っていいものかもわかりませんけどね。
ともかく、どういう訳かディングランの魂はショウの世界に行き、ショウの肉体に宿った」
「つまり、僕は彼の生まれ変わりだということですか?」
そういう事が現実にあるならだけども、俺が今二十歳だから、計算は合うような気がする。しかし、フィードは「うぅぅん」と唸って頭を抱えた。
「生まれ変わりならば、その魂はもう新しい肉体の、ショウのものになっていると思うんです。けれど、あなたがディングランその人でないと、ここで目覚めた説明がつかない。普通、生き物は魂と肉体は対になっていて、それぞれひとつずつのはず。しかし、あなたは肉体を二つ持っていることになってしまう。よく、分からないことが起きているんです。
……だからこそ、生きた身で世界をこえる事が出来たのかもしれませんが」
訳がわからなすぎて、俺もうぅぅんと唸りたい。話を聞けばきくほど、こんがらがってきた。つまり、この身体はディングランのもので、それじゃあ、竜神 翔の身体はいったいどこへいったんだ? 大学のカフェテリアに放りっぱなし?
──違う。そもそも問題はそこにはない。これがもしも本当に夢ではないのなら、最大の問題は、戻れるのかどうかだ。
考え始めるとなんだか頭痛がしてきた。動悸もすごい。……いや、おかしい。精神的なものではなくて、酒を飲みすぎた時のような頭痛と動悸と吐き気が現実にあった。フィードが異変を感じとったのか俺の顔を覗き込んだ。
「どうしました? 急に顔色が……」
「なんだか……酷い二日酔いみたいな……」
俺は言ったが、頭痛も動悸も急激に酷くなり、内臓がぞわぞわと気持ち悪くて吐き気も我慢できずに嘔吐した。おそらく空っぽの胃からは胃液しか出なかったけれど。
「まさか、キャムミが濃かったか⁉︎」
フィードはさっと顔色を変えて慌てて部屋を出て行くと、すぐに水差しとコップを持ってきた。セーネンもオロオロとしながらついてきている。コップの中のものを飲むように言われ、吐き気のせいでそれも一苦労だったが、言われた通りにした。味は明らかに水ではなかったが、この際これが何かなど気にしていられない。言われた量を飲み切ると、体調は少しだけマシになった。
フィードの顔はほっと和らいだが、隣に佇むセーネンは、哀れなほど落ち込んだ表情をしていた。セーネンは土下座するように体を床に伏した。
「申し訳ありませんでした! ディングラン様! おそらく、キャムミの配合を間違えまし……」
セーネンが言い切らないうちに、フィードはさっと険しい顔に変わり、セーネンの腕をグイっと引っ張って強引に立ち上がらせた。
「謝罪は後だ! セーネンは敵を食い止めていてくれ。私はショウと急いで例の場所へ行く」
セーネンもハッと顔を強張らせた。
「アンコックの気配……⁉ 結構な数が近づいていますね」
「ショウには、もう少しゆっくりしていただきたかったが、そうも言っていられなくなりました。アンコックがすぐそこまで来ています。恐らく戦闘になるでしょう。
歩けますね? ついて来て下さい」
立ち上がってみると、体の痛みは嘘のように消えて楽に動かせるようになっていた。酷い二日酔いのような症状も、だいぶいい。先を足早に歩いていくフィードの後を、俺は慌てて追いかけた。裏口から建物を出ると、
「眠りにつく直前にディングランが身につけていた装備を取りに行きます。箱はあなたにしか開けられないようにしてありますから、一緒に行かねばなりません。さあ、急いで!」
フィードはそう言って眼前に広がる森に入って行った。
2019/11/16 改稿しました
2020/05/24 改稿しました