39 決意と戸惑い(2)
ニーナはニルスが出て行った扉を眺めながら困り顔を作った。
「ニルスって案外、臆病よね」
「どちらが臆病とか、勇敢とか、そういう話ではないですよ。思い描く未来が同じ方に向かなくなったということでしょう? よくよく話し合って、後悔のないようにね」
「フィードは何か助言をくれないのかしら」
「強いて言うなら、ニルスの意見に賛成ですね。もちろん、ニーナの意見も尊重しますが」
「来てほしくない?」
「いいえ。ニーナとニルスとの旅はさぞかし楽しいでしょうけど、でも、命に責任を持てないのは事実ですから」
ニーナが意見を求める視線を俺に向けたが、俺は顔ごと目をそらした。
「俺は……何も言えない。フィードに庇護されてるだけの立場だ」
ニーナは軽くため息をついた。そのニュアンスから察するに、きっと呆れ顔を俺に向けていることだろう。
「ショウも、もう少し自覚を持ってもらわないと、ニルスを説得できないわ」
──自覚って……なに……?
そうとは言えずに俺が黙っていると、ニーナはごろん、とソファに横になった。
「今夜はここ借りていいかしら? ニルスはもうすぐ約束の時間だし」
ニーナは心底疲れたように大きく息をついて、目を閉じる。
「あー、化粧落とさないと、肌荒れする」
低い声でそう呟きながらも、立ち上がるのはもう億劫という様相で、ニーナは縮こまりながら狭いソファで寝返りをうった。
「ベッドで寝たほうがいいよ。俺がソファ使うから」
「もう動きたくないから、ここでいい。久々にニルスとケンカしたらどっと疲れちゃった。
──そうだ。じゃあ、これだけお願いしてもいい? 食用油をたっぷり染み込ませたハンカチと、水で湿らせたハンカチを持ってきてくれる?」
何に使うのか? と思いながら用意してニーナに渡すと、二つのハンカチを交互に使って顔を拭い、化粧を落としはじめた。ニーナは綺麗な少年の顔になると、汚れたハンカチをこちらに投げてよこして、もう一度ソファにうずくまる。そして、ものの一分もしないうちに寝息をたてはじめた。
「ひょっとしたら、病み上がりのニーナに無理させてたかな?」
「かもしれませんね」
フィードは座っていたベッドから立ち上がると、ニーナに馬車で使っていた毛布をかけた。
「──フィードは……俺に何も言わないね」
「叱って欲しいんですか?」
「いや……」
「私は、ショウがずっと抱えている戸惑いも理解したいと思っていますよ。それに、こればかりは言葉でどうにかなるものではありません。ショウが“当事者”にならなければ」
フィードには俺の考えなんて、自分が理解している以上に見透かされている。言葉で誤魔化して一時的にその気になることに、何の意味もない事も。
「ここにどれくらい留まるのか、具体的な話をしそびれましたね。
ダンゲほど長くいるつもりはありませんが、特別急いでいるわけでもありません。ショウがもう少し、グランを自在に使えるようになってからユサンネに向かいましょう。まずは戦闘の腕に自信と実力をつけるところから、ね」
「わかった。ありがとう」
いつまでもお客様ではいられないと頭ではわかりつつも、結局は言われた通りに流されておくしか出来ないのだ。
フィードと修行計画について軽く話をしていると、程なく、隣の部屋をノックする音が、こちらの部屋まで響いてきた。二十二時には少し早かったが、ジルが来たのかもしれない。扉の開く音がして、ニルスの声が聞こえてきた。さっきの激昂が嘘みたいな、とても優しい声だ。
「こんばんは、ジルさん。わざわざ出向いてくれてありがとう」
「あの……夜遅くにすみません」
「夜遅いのがええんやんか。寝る前のひと時をジルさんと過ごせるのは、幸せなことやで」
扉が閉まる音がした後も、引き続き二人の声がなんとなく漏れ聞こえた。襖に毛が生えた程度の防音性能だ。
「こんなに壁が薄かったのか。さっきの話が誰かに聞かれてなければいいんですが」
ニルスの、思わずこっちまで赤面してしまいそうなくらいの歯の浮くような甘い言葉の数々に、俺は大いに戸惑っていたが、フィードは冷静に呟いた。俺も隣に聞こえないようにちょっと声量を落とす。
「いや、それ……情報漏洩も大問題だけどさ。これって、“この後の声”も聞こえてくるって事じゃないの⁉︎ 俺、嫌なんだけど!」
「私も嫌ですよ……。でも壁の薄さはどうしようもない。耳に栓でもして、さっさと寝てしまうしかないんじゃないですか?」
フィードは鞄から何かの布の切れ端を取り出して丁度いいサイズに引き裂くと、くるくると丸め、その言葉の通りに耳に栓をしてさっさとベッドに横になった。彼は布の切れ端を俺に渡すと、毛布を頭まで被って寝る体勢に入る。俺も、フィードを倣ってさっさと寝てしまう事にした。眠れるかどうかはわからないけど。
2020/09/10 改稿しました




