3 魔法
出てきた建物からすぐのところに宿舎のような建物があり、その裏は森林だった。動かしにくい体で苦労して宿舎の一室に入ると、彼らはふかふかのソファに俺を座らせた。赤ローブがセーネンにちらと目くばせをすると、セーネンは一礼して部屋を出ていった。
赤ローブは俺の向かい側に座ったあと、薪をくべてある暖炉に手のひらを向ける。サンタクロースが入ってきそうな本物の暖炉だ。すると薪から炎がたちのぼり、ぱちぱちとはぜはじめた。
「え? え?」
と俺は思わず疑問の声をもらした。かすれてはいるが、声は先ほどよりは出しやすくなっていた。
「どうかしました?」
「え、いや……火が勝手についたので……」
「今、私がつけたじゃないですか」
「どうやって?」
「どうやって、って……?」
今度は赤ローブが首を傾げた。
「なんだか、こう、要領を得ないな……。
私は、魔道士のフィードですよ。最後に顔を合わせたのは私が十代の頃ですし、ローブの色も変わっているので、わかりにくかったかもしれませんが。はじめに名乗らなくてすみません」
フィードと名乗った彼は、まるで俺が知り合いであるかのように話しかけてくる。俺がどれだけその誰かと似てるというんだろう。少なくとも俺にこんな、金髪で目が緑色な、日本人離れした外見の知り合いがいるわけがない。よく考えたらこの人が流暢な日本語を操っているのも変な感じだ。
それよりもなによりも、“魔道士”ってなんだ? じゃあ、あの薪に火がついたあれは、いわゆる魔法? 絶対に地球とは違う外の景色や、このお伽話のような言葉……。あまりに現実離れしていて、やはりとんでもなくリアルな夢を見ているだけなんじゃないかとしか思えない。
俺はおずおずと「あの……人違いでは?」とたずねた。フィードは眉間にしわを寄せて難しい顔になり、片手で頭を抱えた。
「薄々感じてはいましたが……ひょっとして、なにも覚えていらっしゃらない?」
「覚えているって、なにをですか?」
「ご自分が、ディングランだということは、わかりますか?」
「それは、名前ですか?」
彼は俺の返答を聞くと考え込むように下を向き、ぶつぶつと思考を整理するようにしばらく独り言をつぶやいていた。そして、なにか結論を出したように、
「ああ、もう一度キスをすれば思い出せるかな?」
とぼそっと不穏なことを言い、顔を上げて俺を見た。
「はぁ⁉︎」
俺は嫌悪感をあらわにして、動かしにくい体をのけぞらせ、なるべく彼から距離を取った。フィードは慌てて言い足す。
「か、勘違いしないで下さい! あれは立派に術の一つなのです。私だって好き好んでしているわけじゃありません!」
「術って……? だったら必要があれば、むっさい、息臭い、清潔感のない、ハゲデブキモオヤジにでもするんですか?」
「──それは……。考えますね。
でも、残念ながらあなたはそれには該当しませんし、今取れる策は試しておきたいので、観念してください」
フィードは苦笑いで、しかし俺には近づいてきた。
「それに、思い出すもなにも、二十年以上前なんてまだ生まれてないです! 名前も違う!」
俺が必死に言うと、フィードは「え?」と言って、俺の顔に手がかかるというところで動きを止めた。
「それは、“眠りにつく前の事を覚えていない”と言うことではなく、“ディングランではない記憶がある“という事ですか?」
「たぶん、そういう事です」
俺が頷くと、フィードは難しい顔をさらに歪めながらソファに座り直し、深いため息をついた。
「感動の再会といきたいところでしたが、まずは自己紹介からになりそうですね……。
私は──先程名乗りましたが、赤金糸の魔道士のフィードと申します。眠れる勇者の守り人でした。──あなたは?」
「竜神 翔です。えーと、日本の大学生です」
「タツカミショー、とお呼びすればいいですか?」
「ショウ、だけでいいです」
と、その時、コンコンとノックの音がした。フィードが入室をゆるすと、セーネンがティーセットを持って入ってきた。
「失礼します。キャムミの実とハマドナスを煎じたお茶です。ディングラン様の体の痛みも取れると思います」
セーネンはそう言いながら、ティーセットと、スコーンのようなパンのような食べ物が山と積まれたお皿が乗ったトレーをテーブルに置き、カップにそのお茶を注ぎ入れた。しかし、その色は毒々しくて、お世辞にも美味しそうには見えない。
「ありがとう」
フィードは礼を言って、自分のカップに手を伸ばした。
「彼の名はセーネン。緑の魔道士で、私の弟子のようなものです。ここでの仕事をずっと手伝ってくれています」
紹介された彼は恭しくお辞儀をした。弟子と言ったって、フィードとさほど歳は変わらないようにみえた。──ん? いや、フィードは若く見えるけど、十代の時に会ったとかそれから二十年たったとか言ってるから、案外と歳がいってるのかな? 俺もぺこりとお辞儀を返した。
「ショウも、飲んでおいた方がいいですよ。しばらく使っていなかった体を回復させないと。こんな色ですけど毒なんて入っていませんから」
フィードが自分の分のお茶を飲んで見せながら言う。俺はよほど訝しげな顔をしていたのかもしれない。促されて、おそるおそるコップに口をつけた。健康にいいとされる飲み物は大抵マズイものだが、このお茶はミントティーのような爽やかさがあり、意外と飲みやすかった。
「……あの、フィード様。お尋ねしても?」
セーネンがフィードに遠慮がちに話しかけた。
「彼のことでしょう? 想定外のことが起きたので、今は詳しいことは言えなさそうです。少なくとも、自身がディングランであることを覚えていませんし、別の人格であるようです」
「でも、それでは目覚めるはずがないのでは?」
「ええ。魂が別人のものならね。目覚めることができたのですから、きっと彼の魂ではあるのでしょう。しかし、あの“勇者ディングラン”が目覚めたとは言い難いかもしれない。──私も考えがまとまっていませんので、これくらいで」
セーネンはまだ聞きたいことがありそうにそわそわとしていたが、 フィードはこれ以上は話す気がなさそうだった。セーネンもそれを察してか、渋々と一礼して退室する。
フィードはスコーンを黙々と食べ始めた。俺も聞きたいことがたくさんあるような、何を聞いたらいいのかわからないような、なんだか落ち着かない無言の時間が過ぎていった。
2019/11/14 改稿しました。
2020/05/23 改稿しました。