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03

 人払いされた客間で目の前に置かれた紅茶に、ブレッドは手を伸ばした。二人も同様に紅茶に手を伸ばしている。ときおり、開けたままの扉の外から音が聞こえてくるが、室内は静かだった。


 アルトはパーティーで着ていた服装のままだったが、リリーは淡い緑のドレスを纏っていた。ブレッドが無様に立ち尽くしていた間にでも、着替えたのだろう。着ていたドレスが土で汚れてしまったために。そのときに使用人に処置でもしてもらったのか目に腫れはなく、ほんのりと目元に赤が残るばかりだ。


 紅茶に口付けて、コクリと。口に含んだ、仄かな甘味ある液体を嚥下した。すっと、鼻に抜ける香りが好ましい。


「落ち着いたか、ブレッド」


 そっとカップを置いたのを見計らってアルトが言った。


「……ああ」


 まだ、混乱から抜け出しているとは言い難いが、幾分かモヤが取り除けた気分だった。


「そうか、なら良かった」


 目を伏せながらアルトが言った。そして何度か口を開閉し、意を決するようにブレッドの目を見て、


「すまないブレッド。これはさ、俺が一番悪い。……だから、父上も。いや、これは後でいい」


 頭を振ると、目線を下げた。すまない、と。小さくこぼす。


「アルト?」

「俺は父上に呼ばれているから、少し席を外す。この部屋でくつろいで待っていてくれ。それで俺が戻ってきたら話を、しよう。……彼女の話を。彼女が語った言葉。それが嘘偽りない、彼女の行動理由だったの、だろうからさ」

「……わかった」

「リリーもすまない」

「……構わないわ。私、ブレッドさんに聞きたいことがあるから、お喋りして待ってるね」

「ああ、では失礼する」


 そう言って、どこかギクシャクした様子でアルトは扉を開け放ったまま、出ていった。部屋に沈黙が落ちる。それを破ったのは、リリーだった。


「ねえ、ブレッドさん。あなたはどうして、カルについて話をするの。その必要があるっていうのはわかっているわ。私は、……それとは別にあなたが、真実を知ろうとする理由が聞きたいの」


 硬い声だった。けれど、強い意志を感じる声だった。彼女は机を見つめるばかりで、視線は合わない。


「カルはね、もう何にもしないわ。接触してくることはなくて、もうきっと社交界に出てくる気もないのよ。そういう子だもの」


 わかっているでしょう、と。自分に再認識させるように、リリーはゆっくりと言葉を紡いだ。そして顔を上げて、射抜くようにブレッドの目を見ながら、


「危害を加える機会はたくさんあったのよ。もっと、酷いことだって簡単にできたの。それこそフォークでぐさり、……なんてね。でも、カルはしなかった。一度警戒されたら二度目なんて到底ありえないのにね。わざわざ、警戒を抱かせる理由だってありはしないわ。……自分のね、身の安全を優先したって考えられなくもないけど、それならもっと人気のない場所でも問題なかったはずなのよ。私とカルの仲だもの、誘い出すなんてとっても簡単なんだから」

「そう、だろうな。本当にその気ならば、傷つけるチャンスはいくらでもあったのだから」


 苦々しい思いを飲み込んで、彼女に頷きを返した。一息ついた事によって、ようやく思い至ったそれに顔をしかめずにはいられない。

 今、思えば彼女が手引して、パーティーに相応しく無い人たちがくる可能性もあったのだ。けれど、それを欠片たりとも思いつかなかった。それは、つまり。彼女を信じていたのだろう。信じていたかったのだろう。彼女がそれをしなかったからこそ呑気に思えることだ、その甘さは。


「それに、今日でなくても、可能だっただろう。だが、彼女は今日しかなかったと」

「そう、なの」

「ああ、確かに彼女はそう言ったよ。アルトと俺が警戒していたから、今日になっただけだと。だが、そんなわけないだろう。そりゃあ、全く警戒してなかったなんて言わない。血縁者だから多少は警戒するさ、だけど君の親友で、俺達にとっても知らない仲ではない。神経を尖らせるほど、俺もアイツも警戒してなかったさ」


 それは後悔すべきことだろう。結果的に彼女は動いたのだから。


「そんなこと、あの子だってわかってるはずだよ。あの子は愚かじゃないもの。……うん、でも、そっかあ。今日しかなかったんだね、カルには」


 目線を下げて、納得するようにリリーは言った。彼女の表情が影になってわからなかったが、その声は泣きそうだと思った。だからブレッドはリリーからそっと視線をそらした。泣いてはいないだろうけれど、その姿はブレッドが見て良いものではない。


「……私ね、知っていたの。本当は知っていたの。あのときから様子が変だったのを」


 ポツリ、と。言葉をこぼした。ゆるり、と。顔を上げる気配がする。彼女を見ると、小さな笑みを浮かべて、しっかりとこちらを見ていた。


「私、アルトと親しくなってから、小さな嫌がらせをされるようになったわ。だけど、言えなかった。ちっぽけな矜持が邪魔をして言えなかったの。そして、ね。婚約してから、それはひどくなった。時期が悪くて婚約パーティーは先延ばしになってたけど、知っている人は知っているし秘密ではなかったから、知ることはきっと容易だったもの」


 ギュッと両の手を握って、彼女は後悔するように小さく、話を続ける。


「私、最初は思い違いをしていたのよ。だってカルは、私に気取らせないように振る舞っていたから。だから気づかなかったの。……自分のことで手一杯だったなんて、親友が聞いて呆れる」


 自分自身を嘲るように、彼女は小さく笑った。私が愚かなのだわ、と。手元に視線を落として、


「ふと、ね。気がついたの。パーティーの準備が一段落してから、やっとよ。そう言えばって。あのとき、いつもより取り乱していたなって。……それはきっと、当たり前のことなのにね。私があの家を嫌いなように、カルも家が嫌いだったから、思い違いをしていたの。家とご両親について、私はよく聞いていたけれど、兄妹のことは何も言ってなかったなって。……今更、そう思ったの」


 左の甲を撫でるように数回手を動かし、キュッと。口端を釣り上げる。


「……別にね、裏切られたとも、ないがしろにされたとも思ってないのよ? あの場でも、彼女は私のことをとても気づかってくれたから。教えてほしい? どうしようかしら。……あなたが、どうするつもりなのか教えてくれたら考えなくもないわよ?」


 挑戦的に彼女はこちらに笑みを浮かべてみせた。普段の彼女なら決してしないであろう表情だった。そんな思いが顔に出ていたのか、リリーは困ったように眉を下げて、ポツポツと語る。


「……似合わないことをしてるって自覚はあるよ。でも、私だけだもの。絶対の味方であれるのは、大切なカルを守れるのは私だけだから、似合わないことだってやってみせるよ」


 だって、と。一呼吸置いて彼女は言う。


「友達だもの。……私の浅はかさで、嫌な思いをさせてしまったことがあった。危険な目に巻き込んでしまったこともあった。だけど、彼女は私を見捨てなかったし、一方的に攻め立てることもなかった。逆の場合だっておんなじなのよ」

「あんなに、泣いていたのに、許す、と?」


 決意に満ち溢れたリリーの声とは違い、ブレッドの声は小さかった。目の前にいる、ブレッドよりも一回りも小さい彼女が、眩しくて。


「許すも何も、私は怒ってなんかいないの。……泣いてしまったのは、ちょっと驚いてしまっただけで。それにね、挨拶回りはとっくに終わっていたから、主役がいなくなったってどうとでもなったから。さしたる問題なんてなかったの。……だって、身内だけの小さなお披露目会なだけだから。私の我儘で開いてもらった、私のためだけのパーティー。だから、本当に大丈夫だったの」


 彼女がどんな思いで、その言葉を吐き出したのかブレッドには到底わからない。このパーティーの目的を知っているからこそ、わからなかった。あのとき、ブレッドの背を押すように吐き出された言葉の真意と同様に。ただ、少しだけ、


「羨ましいな」


 ぽつりと、口から滑り落ちた言葉に、リリーが目を丸くした。きっとブレッドも、似たような顔をしているだろう。ああ、と。声にならないほどに小さく、納得するように息を吐いた。


「どうしたの、ブレッドさん」


 優しい笑みを浮かべ、リリーが言う。その視線から逃れるように、ブレッドは頭を振り、


「ああ、いや」


 なんでもない、と。言葉を濁そうとして止めた。抱いた羨ましさの理由。それはきっと、話したほうがいいと思い直し、口を開いた。


「大したことではないんだ。ただ……あなたと彼女の絆が、少し羨ましいと思った。それだけさ」


 カルのことを友人だと、少なくともブレッドはそう思っていた。互いに深く踏み込むことのない間柄だと、そう認識していて適度な距離を保ちながら、たまに軽口を叩き合う程度には親しい。そんな仲だった。だから、ブレッドは彼女について知っていることなど殆ど無い。リリーに向ける視線が優しいものだとか、自分の髪色も好きだがリリーの髪色もお気に入りだとか、甘いものはそれなりに好きだとか。そんな些細なことだけだった。今となっては、それが彼女の本当であったかもわからない。確信を持てるだけの理由を、持っていないために。

 カルと話すようになったのはリリーがきっかけで、そのときには既に彼女の姉とアルトの婚約はなくなっていたのだ。そのときから、彼女がこちらに対して身構えていたとも言い切れない。彼女は、姉の立場であった婚約者になったリリーを悪し様に言った。そして、申し訳ないとも。どちらが本心なのか、それともどちらも違うのか判別などできやしない。申し訳ないと言ったのは本心だろうと、思う。だがそれは、そうであってほしいというただの願望でしかないのだ。

 だからリリーが羨ましく思ったのだ、ブレッドは。彼女のことを信じるに足る確固たるものが、二人の間にあることに。己が決してそうあれないことに、微かな落胆のようなものを覚えて。


「ふふっ。そう言ってもらえるのは、少し嬉しいな。昔からの長い付き合いだから、当たり前って言ったらそうなんだけど。浅い関係なわけないってね」


 笑みをこぼしたリリーの言葉にブレッドは、


「昔からの長い付き合い」


 引っかかりを覚えたその言葉を、噛み砕くかのようにゆっくりと繰り返した。それを見たリリーが口元に手を当てて、すっと視線をそらして、ポツリと。


「失敗しちゃった」


 小さな呟きは思いの外、部屋に響いた。

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