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02

「待て! 待ってくれ、カル!」


 どうにか追いついた彼女の背に向かって、声を張り上げた。もう彼女の迎えは来ているようで、遠くで馬車が止まっているのが見えている。落ち着ける余裕などあるわけがない。

 ただ、待ってくれと言葉を吐く自分が酷く情けなかった。それでも、彼女をこのまま帰してしまうことよりも、遥かによかったから。待て、とブレッドは言葉を重ねた。


「あら、どうしたの? そんなに必死で引き止めて」


 歩みを止め、悠然と振り返った彼女は不思議そうな顔で言った。


「私、さっき言ったように用事があるのよ。色々としなければいけないことも、たくさんあるの。用があるのなら早く言ってちょうだい? 時間が惜しいわ」


 彼女が緩やかに首を傾げる。


「……なんで、だ。なんで、よりによって今日にしたんだ」


 言葉の形すら取れなかった、言いたかった筈のそれらは今だにぐるぐると渦巻き、何を飲み込んだのかさえ、わからなくなっていた。けれど、彼女に促されるようにして意識せずに溢れた言葉。その言葉でようやく、ブレッドは気がついた。自分が何に一番引っかかっていたのか。


「あら、意外ねえ。あなたがそんなことを聞くなんて。私てっきり、どうしてこんなことをしているのか聞かれると思ったのに」


 綺麗だったのだ。

『婚約パーティー用のドレス、どんなのがいいかなぁ?』

『あら? 私の意見なんて取り入れちゃっていいの? アルト様が拗ねてしまわないかしら』

『いいのよ! どうせ身に付けるものの大半を、彼が喜々として選ぶもの。だから、少しぐらい誰かの意見を取り入れてもバチは当たらないでしょ。それに大きい方のパーティーに、カルは出てくれないと言うから。なにかしらにカルの意見を取り入れていないと、私が寂しいの』

『あら、嬉しいことを言ってくれるわね。なら気合いを入れて考えないと』

 リリーの相談を受けていた彼女がふわりと、笑うから。


「良いわよ、教えてあげる」


 彼女はにっこり、と。満面の笑みを浮かべ、


「今日しかなかったから。それだけよ」


 あのときの光景とは似ていないはずなのに、重なって見えた。


「……あなたにはわからないでしょうね。わかってほしいとも思わないけど。けれどそうね、簡単にお話したほうが、後々面倒なことにならなさそうだから、言ってしまおうかしら。何も言わないままだと、追いかけられそうだものね」


 言葉を失ったブレッドに気づかずに彼女は言葉をつくる。


「ねぇ、覚えているかしら。初めてあの子とあなた達が出会ったときのことを。私は、よく覚えているわ。私の姉様とアルト・クロフォードの婚約が解消されて間もないころだったわよね」


 そうだったな、と。ブレッドは言葉にせず頷いた。そこまで昔のことではないというのに、とても遠いことのように思う。そう、あれは、嫌な空間だった。真実などどうでもよくて、娯楽のために広げられる噂話。


「ダンスを、一曲ずつ踊ってあげたでしょう。嫌な視線を集めて壁の花をしていたであろう、可哀想なリリーのために」


 聴き逃してしまいそうになるほどに小さく、小さく彼女は言った。私が遅れてしまったから、と。


「リリーは養女だから、紛うことなくマクベイン家の血を継いでいようとも。……マクベイン家、現当主の妹は病弱で、ずっと田舎の別荘に籠もっていた。その彼女はこっそり娘を産んで亡くなった。哀れに思った兄は妹の子どもを養子にした。……ねえ、そんなことを一体どれほどの人が、信じると言うの? 事実だったならまだ、マシだったかもしれないわ。だけれど、そうじゃないのよ。だって、現当主の妹が駆け落ちしたっていうのは、わりと有名な話だもの。当主の妹君が彼女の母親であることに、偽りはないとしても、ね。噂のかっこうの的になるのなんて、わかりきったことじゃない!」


 それでも真実より、下らない矜持の方が大事だったんだわ、と。ぎゅっと、唇を噛みしめるように言う。


「姪が味わう苦痛よりもずっと、ずっと」


 酷いものだったと、思う。あの場にいたリリーは、どんな気持ちだったのだろうか。ブレッドには到底わからないし、踏み込めない領域だ。

 あの日、参加したパーティーは久しぶりに大きなものだった。会場に入ったときは気が付かなかったけれど、一角だけ異様な空気を醸し出していた。その中心にいたのがリリーだった。そして、アルトが決めたのだ。彼女を少し連れ出そうと。ブレッドはそれに付き合ったに過ぎない。同じ人と何曲も踊るのは要らぬ憶測を呼びかねないから、と。


「それから少しずつ、あの子と彼は親しくなっていったでしょう? そして、あなたは私を警戒していた。あの子の親友であっても、彼の元婚約者の妹だったから。私はちゃあんと知っていたもの。大事な親友である彼に傷ついてほしくなかったのでしょ」


 くすり、と。笑って言う。まあ、間違ってなかったわよね、と。


「……それは、答えに関係あるのか」

「まあ、まだ待ちなさいよ。本題はここからなんだから」


 彼女はあしらうように言った。そして目を伏せ、


「……ずーっと、姉を捨てた男と姉の立場に転がり込んだ女を、姉を敬愛していた妹は許しがたかったの」


 どこか他人事のように彼女は言葉を重ねた。


「あの日、姉様に着せられた濡れ衣。それを晴らしたかった。……姉様が敢えて認めたそれを」


 彼女の吐く言葉に違和感を感じる。

(敢えて? ……なにを言って)

 けれど、その違和感の正体を思考が突き止めようとするよりも早くに彼女の言葉が続けられ、それは霧散した。


「でも、ことを起こすには男と男の友人が目を光らせていて出来なかった。だから時を待った。信頼を得られなくとも、自分に向けられる目を掻い潜るためにね」


 また、どこか遠いように彼女は言葉を吐いた。ざわりと。焦りに似た感情が、湧き上がってくる。


「それが今日だった。それだけのことよ」


 突き放すように彼女は言った。感情の読めない顔で、ブレッドを見ている。


「……彼女は、お前にとってその程度だったということか? それで親友などと、聞いて呆れるな」


 思いもしていない言葉が口から落ちた。刺々しいその言葉は、責める響きに溢れている。思わず、己の口に手を当てた。


「……なんとでも言えばいいわ。私にとっては関係ないもの」


 彼女は、その言葉に顔を歪めた気がする。まるで傷ついたように、微かに。ブレッドの願望だったのかもしれない。


「泣かせるつもりは無かったなんて言ったところで、信じやしないだろうし。まあ、少しは申し訳ないと思っているわよ、あの子に関してはね。私が、私のために起こしたことだもの。あの人に、姉様に濡れ衣を着せた、あなた達にはそんなこと、欠片だって思ってはいませんけど」


 こちらの様子など気にもとめずに、言う。


「もう引き止めることなんて、ないわよね。あなたが聞きたかったことには答えたもの。……御機嫌よう、ブレッド・ハックワース」


 行ってしまう、彼女が。けれど、ブレッドにはもう、引き止めることは許されない。

(約束を違えるのは駄目だ。絶対に)

 効力などありはしないであろう約束に、もうとっくに切れてしまっているであろう繋がりを、手放せない理由はどうしてか。


「……ブレッド? もう、彼女は帰ったのか」


 彼女が立ち去ってから、どれくらいたったのか。気がつけば目の前にアルトが立っている。


「なんだ、情けない顔をして。しっかりしろお前らしくない」


 眉が下がった友人の姿を見て、お前に言われてもな、と思う。いつもなら軽口を叩くというのに、喉に引っかかって言葉にはならなかった。


「屋敷に行こう。ここに立っていたってどうしようもないだろう? お茶でも飲んで一息つこう。まだ、俺もお前も頭が混乱しているからさ。落ち着いたら、見えていなかったことが見えてくるだろうよ。だから、な」

「……ああ、そうだな。……お邪魔する」


 そう返事をすると、まるで良かったと言うようにアルトの顔がほころんだ。

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