第六話 ドクゼツの事実
「おはようございます。」
ドクゼツ相談所に僕が着いたのは7時過ぎ。昨日の夜の課題を持って早めに学校に来た。でも、まさかもう来ているとは思わなかった。
「おはよう。課題、出して。」
ドクゼツさんは抑揚のない声で白い手をまっすぐにこっちへ伸ばす。僕はその手に課題を渡した。
「ドクゼツさんは何時起きでどこから通ってるの?これでもかなり早く来たつもりだけど。」
「どこから通っているかは教える理由はないわ。そこまであなたと親しくないから。ただ、ここにはあと1時間は早く来ているわ。あなたの早いが私と違うだけ。」
「1時間…。」
僕が絶句している中、ドクゼツさんは静かに課題を確認している。謎を解こうとしたらさらなる謎に包まれてしまった。
「ところで、朝早く来たのは課題を提出したかっただけ?」
ドクゼツさんから投げ掛けられた質問で、僕はハッとした。
「今日の夜の課題をもらおうと思って。あれなら教室でもできるから。」
ドクゼツさんは課題を見ながらも指を立て、まっすぐに本棚を指差した。
「ファイルA3よ。今日出したのがA2。そこに順番に並んでいるわ。」
僕は今日の課題を取り出し、この部屋の奥にある机に座った。
「そこでもいいけど、あなたは奥の部屋の方がいいと思うわ。昨日のレベルで気が散るなら、今からのはもっと気が散るから。」
「え?もう相談に来るの?まだ7時…。」
コン、コン。
僕の言葉を遮るようにノック音が響いた。慌てて隣の部屋に移動。それを確認してドクゼツさんは「どうぞ。」と声をかけた。誰かが中に入ってくる。
こんな時間に相談に来るなんて…。
頭の中の疑問を消すように課題に取りかかった。夜にやる課題だから暗証はいらない。だから叫び声が響いたら音に集中しようと思っていた。
「てめえ!何様のつもりだ!」
ものすごい声だった。聞き耳を立てる必要もない。壁が振動で振るえた気がした。
「何度も言わせないで!あなたには魅力がないの!背が高ければモテるって勘違いしてない?顔は気持ち悪いし、声が大きい上に威圧的!運動も勉強もギリギリ!親の金を自分の力かのように振りかざす!はっきり言ってあなたはSクラスにいる資格はないわ!」
『え、Sクラス!?』
ギリギリで声を出さずにいられた。同時にドクゼツさんがこんなに早く来ている理由もどうして部室をここにしたのかも理解できた。朝早く来るのは誰にも会わずに相談に来たいSクラスの人ため。部室の場所はS塔と一般棟を唯一つなぐ渡り廊下の目の前だからだ。どんな人からも、つまりSクラスも相談に来ることを前提にこの場所を準備した。だとするとなおさらすごいことは、まだ一年のうちからSクラスが相談に来ること。
何者だろう?ドクゼツさん。
「いい加減にしろよ!Sクラスに入れなかった人間が偉そうなこと言ってんじゃねえよ!S塔から見たら一般棟の人間は道端の石ころと同じなんだよ!」
僕の頭がようやくこの状況を理解できたとき、突然の叫び声が響いた。当然といえば当然…。ただ、それでも少しショックだった。しばらくの静寂のあと、ドクゼツさんの声が響く。
「私からしたらSクラスも一般クラスも違いはないわ。むしろSクラスは思い上がりと傲慢に満ちていると思うわ。あなたみたいに。でもそれ以上に私が嫌なのは、ほとんどの人が向上心を失った顔をしているからよ。Sクラスは確かに最上級のクラスよ。ただ、世の中にはもっと上がいるし、世界にはもっと上がある。それなのにSクラスは一部を除けばそこにいることに満足した人ばかり。世界から見たらぬるま湯につかる老人といっしょよ。だから私はSクラスに入らなかったの。落ちたのではなく入らなかったのよ。」
一瞬で部屋が静まり返った。さっきまで怒鳴り散らしていたSクラスの人からも声がない。しばらくの無音のあと、ドクゼツさんの声が響いた。
「信じるか信じないかはあなた次第。ただ、Sクラスのあなたが一般棟の私のところへ相談に来た時点であなたの負け。相談もさっきあなたに言った以上のことはないわ。あなたの思い上がりが治ったらまた来なさい。」
しばらくの静寂のあと、Sクラスの人は出ていった。僕はしばらく呆然と座っていた。新しい事実が多すぎて頭が追い付かない。すると部屋のドアが開いた。
「手が進まないのなら教室に行きなさい。何もしないならここにいる必要はないわ。」
「ごめん。ちょっと衝撃的な事実が多かったから。やります。課題。」
そう答えて課題をスタートさせるとドクゼツさんは部屋を出ていった。
Sクラスがわざわざ相談に来ること、Sクラスに入れるのに入らなかったこと。すごい人に依頼したことを思い知らされた。それと同時に思えた。
「ドクゼツさんなら僕の無謀な願いを叶えられる。」
そうつぶやいてみると体が軽くなった気がした。ノートに書く手がまるで羽が生えたようにスピードにのった。不思議なスピードで課題が進む。
「ドクゼツさんなら。ドクゼツさんならきっと。」
そう呟きながら手を動かしているとドアが開く音がした。振り返るとドクゼツさんが立っていた。
「あまり私に良いイメージを持たない方がいいわ。」
「え?」
時間が止まったかのように僕は固まった。ドクゼツさんはゆっくりと歩いてきて机のノートを手に取った。それを眺めながら言葉を続けた。
「さっきあなたが聞いたことは全て本当。全て事実。ただ、それは私の全てではないの。」
わかるようでわからない。そんな言葉だった。そんな考えが僕の顔に出たらしく、それを見てドクゼツさんは小さな笑顔を見せた。
「あなたはきっとこう思っていると思うわ。『私なら願いを叶えられる』と。ただ、それができるかどうかは結局は私ではないのあなた次第なの。言っている意味はわかる?」
「うん。それはわかる。わかってる。僕が頑張らないと無理なのはわかる。」
うなずき話す僕を見てドクゼツさんは小さくうなずいた。
「じゃあ、教室に戻る時間まであなたにはこれをやってもらうわ。」
ドクゼツさんは机にノートを並べた。それぞれのノートに付箋があり、ドクゼツさんは一冊を開いた。
「これはあなたの今日の授業、英語のノート。範囲はここまで。他も同じ。付箋から3ページ、あなたのノートに書き写しなさい。」
「え?これを?」
驚く僕にドクゼツさんは表情を毒舌モードに変えた。
「私の課題のせいで今の授業がおろそかになるのはよくないわ。夢を叶えるために現実をないがしろにするなんて論外。悪いけどそんな人の夢は叶えられないの。わかった?」
「はい。わかりました。」
そう答えて自分のノートを開く。ドクゼツさんは小さく呟いた。
「あなたのバカ正直がいつまでも続くことを願うわ。 」
ドクゼツさんは部屋を出ていった。さっきまで軽かった自分の手に重りがのった気がした。
「それでも…、ドクゼツさんしか…。」
ただただ呟いてただただノートに写した。結果、僕は時間ギリギリで終わらせて部屋を出た。
「まだまだ不足か…。」
呟く僕の目の前でマミが手を振っているのが見えた。