第68話 決意と0%
課題をこなすようになってから月日の流れが早くなったと感じる。今年の始めから、毎日課題に追われる日々。濃密な日々、だからこそあっというまだった。それは今もそう思う。文化祭もずいぶん前、セイカさんの家に呼ばれたのも…。
「平田さん。とりあえずお疲れさま。期末テストもこの調子で。」
「はい!」
ユキさんの言葉にほっとした。中間テストは8位。ユキさんのところに通う人が増え、平均点も上がってきた。その中で無事に上位を維持できたことは僕の中で安心材料になった。
「平田さん。次の課題の前に、」
「はい?」
部屋に入ろうとしたときユキさんに呼ばれた。ユキさんから渡されたのはメモ。
『絶望や挫折した人が這い上がる話、努力が報われる話を教えてください。』
「セイカさんから?」
「ええ。あなたに伝えてと言われたわ。」
「直接言ってくれてもよかったのに…。」
そうつぶやいてから部屋に入った。僕の座る席のまわりには大量の段ボール。
「これって僕が保留してもらってる課題?」
「そうよ。でも、今はやらなくていいわ。」
絶望的な段ボールを忘れるように僕はまた課題をこなした。
しばらく経ったある日、家に帰ると母さんに呼ばれた。
「マミちゃん、最近帰りが遅いらしいの。何か聞いてない?」
「え?確かに最近は一緒に帰ってないけど。ただユキさんのところにはもういないから。」
そう返事をした。ただ、気になる。少し心配になった。家を出てマミの家に向かう。夜の風が冷たい。マミはまだ家に帰ってなかった。学校へ向かう道を歩いていくとマミが向こうから歩いてきた。
「マミ!」
「あ。キンちゃん。どうしたの?」
マミは不思議そうだ。
「お母さんが心配してた。何してたんだよ。」
きつい言い方になってしまった。マミは少しうつむいてから顔をあげた。
「ごめんなさい。お母さんには謝る。だから心配しないで。」
声の感じから『キンちゃんは関係ない』と言われた気がした。
「僕には話せないことなの?」
「そんなことはないよ。ただキンちゃんは私のことなんかよりセイカさんのことを考えなよ。」
冷たい空気をより冷たくする、そんな言い方だった。さすがに怒りが込み上げた。
「なんだよ!心配したらダメなのか?」
「キンちゃんはセイカさんの心配をすればいいよ!セイカさんだけを心配すればいいでしょ!」
マミは僕の横をすり抜けて歩いていく。
「なんだよ!マミのバカ!」
そう叫んでしまった。ただ、マミは振り向かなかった。僕はマミが家に入るのを遠くで見届けて家に帰った。
それからしばらくマミとは話ができなかった。僕自身が課題で忙しいこともあったけど、マミも授業が終わるとどこかへ消えるから話をする時間もなかった。
しばらくまた忙しい毎日を過ごし、期末テストが近づいた頃だった。いつものようにユキさんの部屋へ向かっていると携帯が鳴った。セイカさんからだった。急いで出る。
「どうしました?」
なかなか返事が来ない。もう一度聞こうとしたとき、小さな声が聞こえた。
「ヒトシさん…。来ていただけませんか?」
声がおかしい。いつもとは全く違う。
「すぐ行きます!どこですか?」
「ヒトシさんの…、部室のとなりの地下通路…、その先にいます…。」
「わかりました!すぐ行きますから!」
電話を切ってから走った。魔窟のドアを開けてからとなりの部屋に入り、地下通路を駆け降りた。いつもは閉まっているドアが開いていた。奥へ続く廊下、その途中に明かりが見えた。そこにはドアがあった。そっと開けてみる。
「セイカさん!」
セイカさんはそこに座っていた。小さくうずくまるように。
「何があったんですか?」
そっと近づくとセイカさんが顔をあげた。涙が流れた。
「ヒトシさん…。私、どうしたら…。」
そこまで言ってセイカさんは僕の胸に顔をうずめた。肩がふるえた。小さなうめき声が僕の体に当たった。
「セイカさん…。」
思わず抱き締めた。片手でセイカさんの頭をなでた。この行為が許されるかはわからない。ただ、今目の前にいるセイカさんは普通の女の子に見えた。しばらく泣いたあと、セイカさんは顔をあげた。
「すいません。ヒトシさん。落ち着きました。」
目は赤いけど、いつもの笑顔に戻っていた。
何があったの?泣くほど辛いことがあったの?慰める相手は僕でよかったの?
聞きたいけど聞けないことが多い。だから、今言えることだけ言おうと思った。
「セイカさん。何があったのか僕にはわかりません。ただ、セイカさんが僕に弱さを見せてくれたことだけでもすごくうれしいし誇らしい気持ちです。」
「私はそんなに特別な人間ではありません。」
セイカさんは涙をぬぐいながら言った。僕は首を振る。
「セイカさんはセイカさんが思っている以上に特別だと思います。僕にはわからない肩書きも重圧もあるはずです。でも、僕には今のセイカさんが一番魅力的に見えています。初めてあったときよりもずっと。」
セイカさんは目を大きくして僕を見た。その目に魅了されながら話を続けた。
「初めてあったときのセイカさんは僕の中では『高嶺セイカさん』でした。僕が本来出会えないような人、その人が一般人に見せた優しさを尊敬しました。憧れました。でも、今は違います。今は『高嶺家』ではないセイカさんを僕は見ています。セイカさんは勉強もスポーツもできてかわいくて優しい。だけど言うべきことは言える強さがあります。人を正しく評価し正しく認められる人です。そんな人、僕は今まで出会っていません。」
セイカさんは首を横に振る。でも僕はセイカさんの両肩に手を置いた。
「セイカさん。自信を持ってください。セイカさんは魅力的な素晴らしい女性です。例え高嶺家という肩書きがなかったとしても、みんなから尊敬されてみんなから愛されていたと思います。だから、セイカさんのやりたいようにやってみてください。それがどんなことでも、僕は絶対応援しますから。」
そこまで言ったとき、セイカさんの目からまた涙が流れた。
「本当ですか?本当にそう思いますか?」
「もちろんです。当たり前です。僕だけじゃないです。ユキさんだって、羽生田さんだって。みんな、セイカさんをちゃんと見て、ちゃんと想っています。」
セイカさんは僕の腕の中で泣いた。僕はふるえる体を抱き締めて、頭をなでた。
セイカさん…。大好きです…。
心のなかでは何度も唱えたけど、口からはやっぱり出せなかった。
「ヒトシさん、すいませんでした。ありがとうございました。」
セイカさんは笑っていた。いつもの温かなやさしい笑顔だ。セイカさんはS塔に向かって歩いていく。僕は何も言わずに見送った。でも、心から思うことがあった。
「次に何か特別なことがあったとき、この気持ちを伝えよう。」
決意を小さくつぶやき、僕は一般棟へ戻った。魔窟を見回してから部屋を出てユキさんの部屋へ。また課題をこなした。
期末テストが終わった日、セイカさんから呼ばれた。
「24日の夜、高嶺家でクリスマス会があります。来ていただけますか?」
「もちろんです。」
セイカさんから招待状を受け取った。「お待ちしています。」と言うセイカさんを見て、決意ができた。そのときに伝えようと。
家に帰ってからもドキドキが止まらない。課題をこなして気をまぎらわす。それでも落ち着かない。ただ、『大切な友人』であるのは確か。泣いてすがってくれたのも確か。信頼してもらえている。認めてもらえている。だから、その一歩先に進みたい。できないかな?可能性はあるのかな?その日も次の日もあまり眠れなかった。
終業式を過ぎ、24日になった。昼にユキさんの家に行き、失礼のない服に着替えた。ユキさんにチェックして合格をもらってセイカさんのところへ向かう時間になった。
「ユキさん…。僕とセイカさんが…、」
「0%よ。」
冷たい声だった。毒舌モードの声だった。
「何で?何で…。」
そう叫ぶ僕に、ユキさんは悲しそうな顔で言った。
「あなただからよ。」
その声で頭が真っ白になった。時間が止まった。




