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第65話 過度な努力

 セイカさんの家からの帰りは車だった。というのもS塔よりも僕の家の方が近かったから。立派な車の中、僕が落ち着いていられるのはとなりに知り合いが座っているから。


「大変なことになったわね。」


 そう苦笑いするユキさん。僕はただただうなずいてさっきまでの話を思い返していた。




 あのときは、和やかな時間が流れていた。セイカさんが僕についていろいろと話し、セイカさんのお父さんたち三人から僕に質問が来る。僕はそれにできる限り丁寧に答える。それを繰り返した。ようやくリラックスできて出されたお菓子をつまめるくらいになった頃、セイカさんのお父さんが咳払いをした。


「それでは、君を呼んだ本題に入ろう。」


 その言葉で場の空気は重くなった。全員表情は真剣になり、僕は突然のことでパニック状態に逆戻りした。


「おじさま。もう少し考えてください。」


 穏やかな、でも誰だかすぐにわかる声が響いた。声のする先からユキさんが歩いてきて僕のとなりに立った。


「せっかく平田さんが平常に戻ったのに。土壇場と緊急時に弱いタイプなんですから。」


 高嶺家トップに「すまない」と言わせたユキさんは僕の後ろに立って両肩に手を置いた。


「はい!深呼吸!吐いて~!吸って~!それを三回!次は紅茶をゆっくり飲んで~!はい!もう一回深呼吸~!」


 言われるままに動き、ようやく落ち着いてきた。


「平田さん。あなたにマイナスはないわ。落ち着いて聞きなさい。」


 ユキさんの言葉は僕を無条件でその状態にするみたいだ。


「すいません。落ち着きました。話をお願いします。」


 僕がそう告げるとセイカさんのお父さんは笑顔でうなずいた。


「実は、君に正式に高嶺グループの本社に入ってほしいと思っている。」


「ほ、本社…。ホンシャデスカ!」


 心拍数が再び急上昇。もう心臓が止まりかけた。


「おじさま!さすがにそれは急すぎます!」


 ユキさんも慌てている。高嶺グループの本社に入るのは日本トップの大学のトップクラスでもないと無理だと言われている。一般の高校生、『ヘイキン』のあだ名の僕には無縁すぎる。あわてふためく僕、ユキさんもさすがに動揺。ただ、セイカさんだけは落ち着いていた。


「私からの推薦です。私がお父様に直接お願いしました。」


 セイカさんの言葉で場が静まり返った。セイカさんは笑顔で話を続けた。


「ヒトシさんの優しさや謙虚さ、物事の考え方は今の高嶺グループに不足しているものです。その不足は補わなければグループが衰退、最悪滅びるとさえ思います。さらにユキちゃんの課題を完璧にクリアし続けた努力、こちらも今のグループには必要不可欠なものですから。」


 珍しくユキさんが沈黙している。それだけセイカさんの意見が正しいのか。


「娘の言う通り。優しさや謙虚さは先ほど見せてもらった。あまりにも自分を低くしすぎている気もするが、それでも『自分より別の人を誉めろ』と言える人間を私は他に見たことがない。また謙虚さについてはユキちゃん、君がリュウセイ号に乗せたのだから折り紙つきだろう?」


 リュウセイ号に乗ったから謙虚、この意味がわからない。となりを見るとユキさんはうなずき僕を見た。


「リュウセイ号は人を選ぶの。少しでも『俺が上だ』という気持ちがある人は振り落とすの。だからあの子に乗れたことが謙虚である証明なのよ。」


「そうだったんだ…。」


 納得はできた。ただ、それだけで…?


「僕に本社で働けるほどの知識や技能や才能があるとは思えません。今までだってユキさんの力でここまで来たんです。自分の力では…、」


「それはユキちゃんから聞いている。だからこそすごいと私は思う。誰かに認められ、その誰かの力を信じてここまで来られた。人を信じる力だ。私としてはまずはユキちゃんとトウゼン君の下で働いてもらい、将来はセイカを支える人になってほしいと思っている。」


「セイカさんを…、支える…。」


 呆然と固まった僕、ユキさんも固まっていた。


「答えは急がない。じっくり考えてほしい。少なくとも私たち三人は、ヒトシ君、君に期待している。」




 そこから先はあまり覚えていない。気づくとユキさんと車で家に向かっていた。


「平田さん、悪い話ではないわ…。ただ、今のあなたには荷が重いのも事実…。」


 悩むユキさん。その顔を見ながら聞いた。


「ユキさん、僕の努力でたどり着けますか?」


 ユキさんは僕を見て深いため息。


「そう言うと思った。呆れるのにも飽きたわ。ただ、これだけは理解して。セイカの恋人になれる可能性は…、」


「うん。0%でしょ。それでもいい。セイカさんが推薦までしてくれた話。その期待には答えたい。」


「わかったわ。ただ、課題が遅れ気味のあなたでは厳しいわ。」


「うん。わかってる。」


 0%…。でもその先を見てもいい気がした。




 次の日から課題は二倍、教養も叩きこまれる毎日が始まった。休む時間もないし眠る時間も減らした。英語やクラシック音楽を耳で絶えず聞いたし、作業の手が止まらないように左手も使えるようにした。まわりのみんなもさすがに話しかけてこなくなっていた。



「キンちゃん…、大丈夫…?」


 たまたまイヤホンを外したタイミングでマミの声が聞こえてきた。心配そうなマミが目の前にいる。


「大丈夫だよ。」


 そう答えたけど、マミの表情は暗い。


「この僕が高嶺グループ本社だよ?本来ならレベルの高い大学のトップじゃないと入れない会社なんだから。こんな努力じゃダメなんだよ。」


「でも…、」


 マミが何かを言いかけた。ただ僕はそれを遮った。


「それに、セイカさんを支える人にならないといけないんだから。何でもできないと。どんなことが起きてもセイカさんを支えられるようになりたい。羽生田さんがユキさんを支えているみたいに。もし、もしそうなれたら…。」


 頭の中に『恋愛』『結婚』という文字が浮かぶ。考えてはいけないのはわかっている。でも、セイカさんのお父さんに認めてもらえているのもまた事実だから…。


「うん。わかった。頑張って。応援してる。」


 マミは笑顔で手をぐっと握った。


「うん。ありがとう。」


 そう答えると僕は課題の山にまた取りかかった。音も聞こえなくなった。ただひたすら課題をこなした。


 週に一度セイカさんから呼ばれS塔へ行き、それ以外の日はユキさんのところの部屋にこもって課題を続けた。


 そんな毎日を過ごしていたある日、ユキさんに呼ばれた。となりの部屋から顔を出すとユキさんは深刻な顔で言った。


「平田さん、セイカのこと諦めるつもりは?」


 突然すぎるこの問いに僕は素直に答えた。


「ありません。」


 ユキさんはため息をついてから鏡を僕に見せた。


「ひどいね…。さすがに…。」


 やつれていた。寝不足もあるだろう。ひどい顔だ。


「あなたの努力と覚悟はわかる。ただ、現実は厳しいの。セイカも心配していたわ。」


 ユキさんの声が静かな分だけその深刻さが伝わる。でも…、


「でも、続けたい。せっかくクラシックの有名な曲は作者名とタイトルがわかるようになったんだから。」


「でも、課題は遅れ気味でしょ?」


 それを言われると反論もない。確かに遅れ気味だから。


「授業中も課題に追われて集中できてない。成績に響いたら本末転倒でしょ?」


 それも事実…。


「でも!ここまで来たんだよ!セイカさんのとなりに立てるようになったんだよ!だから…!だから…、」



 そこから先の記憶はない。気づくと家のベッドにいた。


「ああ…。やっちゃったかな。」


 体を起こすとユキさんが座っていた。


「もう一度聞くわ。0%でも頑張るのね?」


「うん…。頑張る…。」


「わかったわ。」


 ユキさんは部屋を出ていった。僕の意識はそこでまた途切れた。


 夢の中でセイカさんと並んで歩く夢を見た。セイカさんと手をつなぐ夢だった。

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