第56話 ドキドキの昼食
「お昼休みにお呼び出ししてすいません。ご迷惑ではありませんかでしたか?」
「いえ。まさかこんなに早く呼び出していただけるとは思いませんでした。」
高嶺さんは僕を連れてエレベーターへ。僕は緊張で普通に歩けているか不安だけど、高嶺さんが笑ってくれているから少なくとも笑顔ではいられた。エレベーターはふわふわした感覚の僕を上へ上へと運んでいく。
「昼食はもうお済みですか?」
高嶺さんが僕に聞いた。身長は僕の方が少し高いから高嶺さんが上目使いに見える。それがまたドキッとさせられる。
「ま、まだです。」
「では、ご一緒にいかがですか?」
「ぜ、ぜひ。」
高嶺さんは笑顔でうなずくと僕をレストランへ案内してくれた。最上階にあり、四方を見渡す限りの絶景。その真ん中にテーブルがひとつだけ。
「ここは…?」
僕は混乱しかない。高嶺さんはイスに座った。
「ここはSクラス会長専用のレストランです。昔は高嶺家専用でしたが、ユキちゃんのお父様が変更したそうです。」
「じゃあ、普段は誰も利用しないんですか?」
「はい。私がここを利用したのは今が初めてです。」
さらっと衝撃的な話をされた。混乱に拍車がかかる。僕は高嶺さんの向かいに座った。
「僕で良かったんでしょうか?」
頭が真っ白になっていくなか、唯一聞けたのがこの質問だった。高嶺さんは静かにうなずく。
「平田さんと会う場所はここか会長室にするつもりでした。静かに二人だけでお話をと思いましたので。」
言葉がそれ以上出ない。そんなに厚遇されても返せるものは何もないのに。高嶺さんが小さく合図すると、料理が運ばれてきた。見たこともない料理をフォークとナイフで食べた。
「平田さん、ナイフとフォークで大丈夫なんですね。お箸もありますけど。」
「ユキさんに仕込まれています。『高嶺さんにくれぐれも迷惑をかけないように』とのことです。」
「でも、ユキちゃんはお箸なんですよ?」
「そうなんですか?」
そんな会話をしながらゆっくりと料理をいただいた。美味しいのは確かだけど、その味を表現できなかった。
「紅茶でよろしいですか?」
「はい。」
拒否権はそもそもない。ただ、コーヒーは苦くて飲めない可能性もあるから紅茶で正しい。だからそう答えた。運ばれてきた紅茶は嗅いだことがないけどすごくいい香りだった。そう伝えると高嶺さんは楽しそうに笑ってくれた。
「平田さん、質問してもいいですか?」
「もちろんです。」
ふいに来た質問にそう答えるのが精一杯だ。高嶺さんは僕をじっと見た。
「平田さんが私にお礼を言うために頑張ったことをユキちゃんから聞きました。教えてほしいのです。私の一度だけの親切にお礼を言うためにどうしてそんなに頑張ることができたのですか?」
当然の疑問だろう。僕は答えが用意できていた。
「僕は普通の家に生まれて普通に育ちました。そんな僕でも高嶺家というすごい一族がいることは知っていました。それこそ雲の上の人で、絶対に失礼のないようにしなければならないと教わりました。」
高嶺さんは小さく首を横に振った。僕は話を続けた。
「あの日、僕はプリントを落としました。それを高嶺さんが拾ってくれました。僕にとってはそれだけでも衝撃的でした。雲の上の人がなぜか一般棟にいて一般棟にいた困っている人を助けてくれたのか。しかも笑顔で「どうぞ。」と要ってくれたのか。それがわからないまま、しかもお礼を言えないまま。だから会いたかったのだと思います。」
「私は当然のことをしたまでです。」
高嶺さんはそう答えた。この人は心からそう言っていた。
「それがすごいことです。『Sクラスから見たら一般塔の人間は石ころと変わらない。』、そう口に出した人もいました。真中君のせいだとしても、実際にそう思ってしまった人もいたと思います。でも高嶺さんは違った。心から『当然』と思い、自然にその優しさができた。その姿に感動したのだと思います。だからお礼を言えなかったことに心から後悔したし、心から高嶺さんに会いたいと思ったんです。」
言ってみて恥ずかしくなった。ただ、この人には嘘はつきたくなかった。
「ありがとうございます。そんなに素直に誉められたことがないので、すごくうれしいです。」
高嶺さんは少し照れたように笑った。でも少し意外だったから聞いてみた。
「高嶺さんは誉められないこともあるのですか?」
「私は高嶺家に生まれました。教養や作法は幼い頃から習いましたし、『できて当たり前』『できないと家の恥』という感覚でした。さらに周囲の人も『高嶺家』を気にしていて、心から誉められることも心から怒られることもなかったと思います。それはこの学校でも同じで、特にSクラスは高嶺家と関わりのある家系の人が多いので。」
当然といえば当然。だけどかわいそうな気もした。
「平田さんの言葉はきれいに私に届いています。それがすごくうれしいです。」
そう言って笑顔で僕を見た。その高嶺さんの目に吸い込まれそうになる。ドキドキして意識がなくなりそう。僕は最初の話に戻した。
「前にも言いましたが、僕は僕一人の力では高嶺さんの前にたどり着けませんでした。ユキさんがいなかったら、ユキさんの課題がなかったら、そもそも不可能でした。」
「あ、ユキちゃんが言ってました。あの課題をクリアし続ける人が出てきたって嬉しそうでした。同時に不思議がってもいました。何であんなに続くのかって。何で続けられたのですか?」
興味津々の高嶺さんだ。キラキラしている。
「僕はどんな分野でも中途半端でした。それこそ勉強も運動も。ユキさんの課題をやり続けたら結果が出ました。驚くほどの結果でした。ユキさんの課題は僕に『頑張る意味』『やる気を出す意味』を教えてくれました。努力は報われることを示してくれました。だから続いたんです。続けられたんです。」
高嶺さんは「おー。」とつぶやいた。
「では、挫折しそうにはならなかったのですか?」
「いいえ。なりました。一度はやめたくなりました。」
「では、どうして続けられたのですか?」
高嶺さんは興奮気味だ。表情豊かな高嶺さんを見られてうれしい。
「幼馴染みが背中を押してくれました。『何があっても信じるべき』と教えてくれました。」
「女性ですか?」
ドキッとした。でも、嘘はつきたくない。素直に答えようと思った。
「はい。僕にとっては姉のような妹のような存在です。」
「羨ましいです。私はユキちゃんくらいしか本音で話すことができる人はいませんから。異性の方はいません。」
高嶺さんが寂しそうな顔をしていた。意外と普通の悩みもあると知って少し親近感を持てた。
「あら、ごめんなさい。時間が、」
高嶺さんが時計を見た。あと10分で午後の授業が始まる。
「すいません。楽しくて時間を忘れてしまいました。」
高嶺さんは申し訳なさそうに言った。僕は首を横に振る。
「こんな素敵な時間を過ごさせてもらえただけで僕は幸せです。ありがとうございました。」
頭を深々と下げた。そして荷物を持ってエレベーターへ。高嶺さんも一緒に乗った。すごい速さで降りていく。その途中、高嶺さんが僕の前に立った。
「平田さん、またお呼びしてもいいですか?まだまだお話をしたいので。」
上目使いの高嶺さんが目の前にいる。それだけで心臓が破裂しそうなのに…。
「僕で良ければぜひ。また呼んでください。いつでも駆けつけます。」
できる限りの笑顔でそう答えた。
「ありがとうございます。」
高嶺さんのきれいな姿ときれいな声を記憶して、僕はS塔をあとにした。




