第51話 ラストラン
「ええ。起きないからちょうどいいわ。平田さんはマラソンを棄権ということでお願い。」
え…?え~!
慌てて体を起こそうとしたら何かに縛られて動けない。
「平田さん。あなたにこれ以上無理をさせるわけにはいかないの。」
ユキさんが僕を見てつぶやく。
待って!まだ…、まだやれる!まだやれるよ!
叫んでみてもユキさんには届かない。ユキさんは部屋を出ていこうとしている。
まだやれるよ!まだやれる!
「まだやれるよ!」
そう叫んでガバッと体を起こした。目の前には目を丸くしたユキさんとマミが座っていた。
「何をまだやるつもり?」
「え…、あれ?」
起こした体をゆっくりと倒しながら記憶を整理して、ようやく夢だったことに気づいた。
「夢か…。」
「夢だね~。あと少ししたら起こすつもりだったよ。」
マミが笑う。となりでユキさんはため息をついた。
「何の夢を見たかはわかるわ。心配しなくてもあなたを棄権させる方法を私は持ち合わせていないから。」
「そっか…。何かでベッドに縛り付けられた気がして…。よかった…。」
「ああ!その手があったわ!」
ユキさんは立ち上がった。僕は慌てて止めようとしたけど、ユキさんは「冗談よ。」と笑った。
しばらくウトウトしてから起き上がり体を動かす。足は痛い。けど走れないほどでもない。
「よし。頑張れそう。」
「頑張ってね。キンちゃん。」
「うん。」
僕はマミと保健室を出てマラソンのスタート位置へ歩いていく。僕たちが進むたびに、ざわざわとまわりが何か話している。ただ、僕に声をかけられる人はなかなかいないらしい。そんなに友達は多くないから。スタート位置にはたくさんの人、この競技は全学年合同だからだ。ここでもざわざわが止まない。
「平田!出るのか?」
そう声をかけてきたのは早坂君だ。僕はうなずく。早坂君も出るらしい。あとから青柳君も来た。おかげでスタートまで会話が弾んだ。
「それではマラソンを開始します。」
アナウンスで僕たちは位置につき、合図と共に走り出した。マラソンコースはトライアスロンを短縮した感じ。学校を出て山道を軽く上り下りして戻ってくる。学校を出た時点で僕たちはちょうど真ん中くらいの位置にいた。
「ヒラ。ちなみに勝ちにいくのか?」
青柳君が僕に聞いた。僕は首を横に振った。
「さすがにもう無理。たぶん完走がやっとだと思う。」
「だよな…。今走ってるのが不思議みたいなものだからな。」
僕はうなずく。一応合宿のペースを維持しながら走っていく。ただ、体の限界を現時点ですでに感じていた。
体が重い…。足の痛みも増してきた…。
原因というより発端はさっき「無理」と言ってしまったこと。トライアスロンは色々なものを背負って頑張っていたけど、今はそのほとんどが無くなってしまった感覚。山道にさしかかる頃、僕の痛みはさらに強くなった。ペースが少しずつ遅くなっていく。
「青柳君、先行って。僕はゆっくり行くから。」
「わかった。」
青柳君がペースを上げたのか、僕のペースが落ちたのかはわからない。ただ青柳君の姿は段々小さくなり、見えなくなった。
足が痛い…。
次から次へと追い抜かれていく。
体が重い…。
トライアスロンのマラソンが嘘のようだ。山道で全く足が前に出ない。それでも何とか折り返し地点を通過した。ただ、その時点で僕が最後だった。
ここからは下りの方が多いし…。
そうプラスに考えようとしたけど、足には現実の痛みが走る。下りの方が負担は大きい。ケガをしている足はなおさら。ついに走ることを諦め、歩いて坂を下っていく。
ここを下って…、少し上って…、また下ったら平坦な道…。
ふらふらと歩き下りきった。何とか走ろうとしたけど足が前に出ない。たいした坂でもないはずなのに、僕には壁のように見えた。
ああ…。それでも…、進まなきゃ…。
そう頭で考えた瞬間、足に激痛が走った。あまりの痛みに立っていられず、その場に倒れた。
痛い…。痛い…。
頭の中にネガティブな単語が吹き出す。
リタイアする…?そもそも棄権してもよかったんだし…。誰かに電話して…。でも、やるって言ったのは自分だし…。
意識がふわふわしてきた。意識が遠退いていく気がした。
「リタイアする?」
声が聞こえた。誰もいないはずの山道で。僕は顔をあげた。
「諦めてもいいのよ?誰も責めないわ。」
「ユキさん…。」
ユキさんが立っていた。ここまで僕を追って来たのか、それとも予想してここにいるのか。とにかくユキさんがそこにいた。僕は起き上がった。
「ユキさんも責めないの?」
「責めないわ。」
「棄権しろって指示を無視したのに?」
「結果的に容認したから。」
僕はゆっくりと立ち上がった。
「ユキさん。『走れ!』って命令して。毒舌モードで。」
「リタイアさせるために来た私がその命令はできないわ。」
「リタイアさせるために来てないでしょ?リタイアさせるためなら、一人じゃ来ないはずだから。」
ユキさんはあきれた顔でため息をひとつ。大きく息を吸ってから言った。
「走りなさい!私の指示を無視したんだから、最後までやりとげなさい!それが義務よ!」
その声に押されるように僕は一歩ずつ歩きだした。
不思議な感覚…。ユキさんに命令されるとからだが動く…。人を従わせる力なのかな…。
僕の足は前へ前へと進む。
「足が痛いのは今朝から同じ!疲れているのは午前中も同じ!言い訳にはならないわ!私は走れるはずだから容認したの!だからあなたは走れるはずよ!」
その声が頭に響き、足の痛みがやわらぎ、僕は走り出した。ユキさんはゆっくりととなりを走っていく。
「坂を上りきりなさい!そこまで行ければ最後まで走れるはず!信じて走りなさい!」
意味はわからない。ただ、坂を上りきればいい。ユキさんの言葉は絶対。僕はゆっくりだけど確実に前に進み、坂を上りきった。すると、
「平田君!大丈夫?」
「平田!無事か?」
目の前に立っていたのは菅井君と後島君だ。
「今、ユキさんの力で走れるようになった。」
そう答えると二人はうなずいき、僕のとなりを走り出した。
「平田~!頑張れ~!」
坂を下り始めると道の左右に人影、秀縞君を先頭にサッカーのチームメイトだ。みんなが手を振っている。僕はそれに応えながら走る。みんなは僕と並走しながら応援してくれている。
「みんな、終わったの?」
「マラソン以外はもう終わったよ!ほら!」
秀縞君は坂の下を指差す。そこにはたくさんの人がいた。
「あれは…?」
驚いてそう聞くと秀縞君は笑って答えた。
「お前を心配して迎えに来たんだよ。みんな。俺たちが行くって言ったらついてきたんだ。」
「え…、本当に…?」
驚いてそれ以上何も言えなかった。道の両側には数えきれない人。僕はゆっくりと道を走っていく。
「平田~!頑張れ~!」
みんなが応援してくれている。手を振ってくれている。
「平田!すごいことだぞ!この中にはSクラスの人もいる!お前はみんなに認められたんだ!」
秀縞君が興奮気味に話している。ただ、僕は何も言わずにただただ走っていく。いつのまにか足の痛みを感じなくなった。自分の体を自分で動かしている感覚がない。精神が体を操縦しているような感覚だ。僕はゆっくりと歓声の中を走り、学校の敷地に入った。
「ヒラ~!あと少しだ~!」
先にゴールした青柳君が叫ぶ。僕はその声のする方へ走った。意識が薄れていく感じがした。それでもゴールを目指してただただ足を進めた。
「キンちゃん!」
最後に聞き取ったのは聞きなれた声。目の前にその姿が見えた。僕は足を前に出し続け、ゴールテープを切った。歓声が響く。ただ、僕はマミが持っていたタオルに倒れ込みそのまま記憶は途切れた。




