第三話 毒舌
「さて、平田さん。あなたの覚悟を踏まえて話を進めるわ。」
お茶を飲み終えたドクゼツさんは穏やかな口調で話し始めた。さっきまでの冷たさが嘘のようで僕からしたら逆に怖い。ドクゼツさんは鞄からファイルを取り出して僕の前に広げた。
「今のあなたは学力、体力、容姿など、どれをとっても普通。だから誰からの評価もまあ普通。マイナスもないけどプラスもない。言ってみれば空気のような存在ね。」
僕のデータが表やグラフで表されている。どれも平均の少し上または少し下。いったいどうやってまとめたのだろう…。
「まず、高嶺さんの視野に入るために学力と体力を上げないとだめ。とりあえずこの部活に休部届を出しなさい。その上で今日から私の出す課題をひたすらこなしてもらうわ。いい?」
『休部届』と言われてこれから出される課題に不安を感じた。ただ高嶺さんの前に立つためならと思い覚悟を決めた。
「うん。わかった。」
「ちょっと待てよ!」
僕の答えをかき消すようにタイ君の声が響いた。トシ君も立ち上がる。二人ははドクゼツさんの前に立ちはだかった。
「何も休部届を出す必要ないだろ?俺たちはどうせ暇潰しみたいな部活なんだから!」
珍しいくらいの大声に僕は一瞬ひるんだ。しかしドクゼツさんは全く動じずにタイ君を見ている。
「そうね。確かに暇潰し部の魔窟には、いらないかもしれない。ただ、これは覚悟の問題よ。彼の願いを叶えるなら、彼にはここに来る時間は与えられない。その覚悟を彼に示してほしいの。」
「そんな過酷なことならなおさらやめろよ!キンのやつに耐えられるわけがねえ!キンの半分は無気力でできてるんだからな!」
「そうですよ。学力も体力も今まで上げられるタイミングはいくらでもあった。だけどキン君はそのたびに今のままを望んだんです。だから今のキン君になったんです。」
長年の付き合いだから言える毒舌発言。普通に聞けば悪口にしか聞こえないけど、二人が心配してくれているのが僕にはわかった。ドクゼツさんはちらっと僕を見て、それから二人に視線を戻した。
「あなたたちの友情は素晴らしいわ。今のが思いやりなのはよくわかる。」
穏やかな声でそこまで言うと、突然ドクゼツさんの目付きが鋭くなった。
「ただ、彼より下のあなたたちがそれを言うのはおかしいわ。『コブタ』と『ホソガリ』なんて不名誉なあだ名を付けられたあなたたちが少なくとも可もなく不可もない『ヘイキン』というあだ名の彼の足を引っ張るのはよくないと思うわ。」
冷たい声でそう言い放った。瞬間で2℃くらい気温が下がった気がした。それに対して二人がすぐさま反論した。
「待てよ!てめえが何のデータを持っているのか知らねえが、俺たちのどこがキンに劣ってるって言うんだよ!」
「そうですよ!さすがに下と言われては心外です。」
二人の声が部室に響いたあと、ドクゼツさんは静かに僕を見た。意見を求められているのがすぐにわかった。
「二人の言うとおりだよ。僕より二人の方が上だよ。ドクゼツさんのデータが間違ってる。」
僕の言葉に部屋が一瞬静まり返った。ドクゼツさんは僕をじっと見て、「続けて。」とささやいた。僕はうなずいて話を続けた。
「タイ君は成績や運動は僕と同じくらい。ただ、ゲームの腕はすごい。公式の世界大会で優勝したこともある。賞金だって手にしてる。みんなが知らないだけ。知ってる人からは崇められるような存在なんだから。」
タイ君はうなずいている。僕は視線をトシ君に移した。
「トシ君はそもそも勉強ができる。特に理系ならSクラスに入れるはず。他にも雑学、特に鉄道の知識は本当にすごい。ただ運動が苦手なだけ。確かに運動は僕よりできない。でも、何でも中途半端な僕よりはよっぽどすごいよ。二人とも僕よりも上だよ。ずっと上だよ。」
僕の声だけが響いたあと、部屋は再び静まり返った。ドクゼツさんは僕たち三人をじっと見て小さな静かな声で言った。
「これが差よ。」
その言葉に後ずさる僕たち。少なくとも全部知っていた上で言わされたことだとわかった。ドクゼツさんは静かに続けた。
「古部帯人、ゲームの腕は世界ランキングに入るほど。細賀利樹、学力、特に理系ならSクラスと並ぶほど。データには当然入っているわ。その上で一般論かつ女性側の恋愛目線言わせてもらうけど…。」
ドクゼツさんの目付きがさらに鋭くなった。僕たちは息をのむ。
「まず古部さん、あなたの見かけで『ゲームがすごくうまい』、残念だけどそれは何の意外性もないわ。むしろ太ったおたくっぽい男がゲームもうまくなかったら魅力のカケラもないくらい。」
ナイフのように言葉が飛んだ。タイ君は微動だにできない。
「細賀さん、あなたも同じ。眼鏡と勉強が結び付いても正直何の感動もないの。むしろ勉強しかできないことがあなたのひょろっこい体をより貧相に見せているだけ。」
トシ君も動けなくなった。これが本当のドクゼツさんの姿。真の毒舌だとわかった。
「二人とも自分に少なからず自信があるみたいね。それは悪いことではないわ。ただ、残念だけど現実は残酷よ。その証拠に世界大会で優勝した古部さんより5位のイケメンにファンクラブがあるし、学力だけならSクラスの細賀さんより全部がAクラスの男子の方が人気なんだから。」
もはや言葉のナイフで切り刻む感じだ。二人とも呆然と立ち尽くしている。
「あなたたちの言うように能力のデータだけなら平田さんよりあなたたちの方が上。それは間違いないわ。ただ、あなたたちのその認識が総合的に見てあなたたちの数値を下げているのよ。」
ドクゼツさんの話がいよいよ確信に迫ってきた。僕たちはただただ立ち尽くしうなずくことしか許されない。
「あなたたちは自分に少し自信がある。つまり周りの人を下に見る傾向があるわ。平田さんをそうしたように。ただ私から言わせれば、所詮はドングリの背比べ。大差が無いのにちょっとだけ下の人に対して少なからず横柄な態度を取っているように見える。いじめられた人間がもっと弱い人間にやつあたりしているようにすら見える。それなら強いやつにケンカを売れよと言いたくなるほどに。それがデータに如実に出ていて、だからあなたたちの好感度を必要以上に下げてしまっているの。」
ドクゼツさんは二人にそれぞれのデータを突きつけた。そして手に持つ僕のデータを勢いよく指差した。
「平田さんは自分に自信がない。だからこそあなたたちを含めて他の人を下に見ることがない。さっきあなたたちの前で言ったように。素直に人を誉められる、素直に人を尊敬できる。そんな平田さんの言葉と、同等レベルの人を下に見るあなたたちの言葉、いったいどちらに優しさを感じるか。簡単でしょ?だから私は言ったのよ。彼の方が、平田さんの方があなたたちより上だと。」
二人とも糸が切れたマリオネット状態になってしまった。ドクゼツさんは穏やかな表情に戻り二人の前に立った。
「あなたたちが平田君を心配する気持ちはわかる。けれど本当の友情なら彼の覚悟を感じるべきだと思うわ。こんな無理難題を私に突きつけて『何でもする』と誓った彼の覚悟を。」
二人が僕を見た。僕は黙ってうなずく。覚悟が伝わるように。僕はノートを一枚破り『休部届』と書いてマミに渡した。マミは驚いた顔をしていたけど、黙ってそれを受け取ってくれた。
「覚悟は見せてもらったわ。あとは私の出す課題に死ぬ気で取り組んでもらう。どこまで行けるかは平田さん次第。ただ。」
二人を見てドクゼツさんは静かに続けた。
「平田さんが成功したらあなたたちの依頼を聞いてあげるわ。きっとあなたたちも何かを望むようになるはずだから。」
二人は何かから解放されたかのような顔でうなずいた。
「じゃあ、行くわよ。平田さん。」
「うん。じゃあいってきます。」
みんなに向かってなるべくの笑顔でそう伝えた。みんなも笑顔でうなずく。
「いってらっしゃ~い!頑張ってね~!」
部室を出ていく僕の背中をマミの声が優しく押した。確かな覚悟を胸に僕はドクゼツさんのあとをゆっくりと歩き出した。