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第29話 過去(3)

「ダメだ!もっと見極めて!」


「はい!」


 朝から激しいトレーニング。走ったり泳いだりする体力強化と、様々な種類の格闘技。ユキちゃんは柔道や合気道など、俺は空手やボクシングなどをまず習った。習い始めてすぐに気づいたけど、ユキちゃんの習得速度は異常だった。やり方を見て覚え、とりあえずやってみて、間違いを指摘してもらうという手順を俺もユキちゃんもやっている。ただ、ユキちゃんの場合、間違いがほとんどない。目で見た動きをそのまま再現することができている。それをユキちゃんに伝えると、ユキちゃんは「夏休みが終わるまでにできる限りのことを覚えたいだけ。」と言っていた。


「これがずっと高嶺家を支えてきた毒島家の力なんだ。」


 俺に格闘技を教えてくれている右藤ウドウ先生が言った。俺がその真意を聞くと、言葉を選びながら話し始めた。


「高嶺家が光なら、毒島家は影。高嶺家が表なら毒島家は裏。文字通り表裏一体なんだ。高嶺家が何かをするとき、まずは他の側近が根回しやシミュレーションを行う。ただ、それはいつも完璧というわけではない。実際海外のグループ企業は高嶺家に大きな損失を与えた。だからこそ高嶺家が大きな決断をする時は必ず毒島家が動いていた。それがどんなに不可能なことでも毒島家が影で動くことで可能にしてきた。その行動は時には法に触れたかもしれない。誉められる方法ではないときもあっただろう。それでも毒島家は高嶺家のために動いてきた。と、同時に動ける手段を常に磨いていた。だから、毒島の家に生まれると、その手段、知識、技術など全てを受け継ぐことができるように幼少期から教育されるんだ。ユキさんの習得速度が異常なのはそんな理由もあると思う。」


 納得できる説明だった。高嶺家と毒島家の絆もよくわかった。それと同時に正しい覚悟を持てた気がした。


 もしもユキちゃんが何事もなく毒島家を継いだとして、高嶺家に何かがあったときはユキちゃんが毒島家の人間として『何か』をしなければならなくなる。ユキちゃんならできると思うし、セイカさんのためならするだろう。ただ、俺はそれをユキちゃんにしてほしくないし、させたくない。そのためには…。


「先生!俺がユキちゃんより強くなれるようにお願いします!」


 俺を見て右藤先生は少し驚いて、その後笑った。


「その強い意思があれば大丈夫。より厳しくするから、ちゃんとついてくるように。」


「はい!」


 右藤先生は言葉通りに厳しくなった。何度も攻撃を受けて、何度も倒れた。それでも立ち上がれたのはそれ以上に倒れるユキちゃんを見たから。笑顔を失ったユキちゃんを見たから。泣き叫ぶユキちゃんを見たから。


 守らなきゃ。守ってあげなきゃ。


 それからは毎日ハードな日々を過ごした。朝から晩まで体力アップと格闘・戦闘技術の習得と向上が続いた。毎日死ぬほど疲れる。ただ辛くはない。ユキちゃんのためになるし、何よりユキちゃんのそばにいられるから。ユキちゃんは日に日に強くなっていった。俺が追い付けるか不安になるほど。だからこそ俺ももっと頑張った。もっと頑張れた。




「トウ君、少し話があるんだけど。」


 夏休みも後半に入ったある夜、ユキちゃんが俺の部屋へ来た。毎日顔は合わせるけど、そんなに話もできなかった。だからこそ俺は嬉しさのあまり何度も大きくうなずく。


「当たり前だよ!」


 ユキちゃんは俺の姿と言葉で少しだけ笑った。思えばあの日以来、ユキちゃんの笑顔を見ていなかった。だからこそ俺は余計に嬉しかった。ユキちゃんはゆっくりと俺の部屋に入り、イスに座った。俺はあたふたしながらも部屋にあった紅茶をユキちゃんに出した。ユキちゃんは何も言わずに飲んでくれた。



「話って?」


 しばらくの沈黙のあと、俺から切り出した。ユキちゃんは紅茶を少し飲んでから俺の目をじっと見た。


「私、トウ君のことが好き。」


「え?う…、うん。お、俺も。」


 バカみたいな反応をしてしまった自分が情けない。ただ、思った以上に驚いて、思った以上に感動している自分がいた。ユキちゃんに好きって言ってもらえたのは小学3年のとき以来。婚約解消を親から告げられてからは初めて。嬉しすぎて涙が出そうだった。


「でも、トウ君は私を嫌いになるかもしれない。」


 ユキちゃんの言葉は、まさに天国から地獄だった。ただ、


「ならない!俺がユキちゃんを嫌いになるなんてありえない!」


 早かった。俺の口はすぐに動いた。頭で考えるより早かった。ユキちゃんは俺をじっと見て、それからゆっくりと話した。


「私が今からすることのひとつは、あなたを幻滅させること。もうひとつはあなたに絶望させることなの。確証はないけど、限りなく可能性は高いわ。あなたのショックは私があの事件で感じたものかそれ以上。だからあなたは私を嫌いになると思うの。」


「そんなの、やってみないとわからない!俺がユキちゃんをどれだけ好きか知らないでしょ?どんなショックなことが起きても、俺はユキちゃんのそばから離れない!絶対に嫌いになんかならない!」


 俺の声が響いたあと、部屋はしばらく静寂に包まれた。お互いに何も言わない。じっと相手の目を見つめる時間が流れた。静寂を破ったのはユキちゃんの方だった。


「じゃあ、あなたを信じるわ。ただ、あなたの婚約者という立場に戻れないのは変わらない。だから事件が終わった後、もう一度今の言葉を聞かせて。その後も定期的に聞くからその度に聞かせて。あなたの気持ちが変わらないことを。私が信じられるように。信じ続けられるように。」


「わかったよ!何度もいうよ!何度も伝えるよ!俺の気持ち!ユキちゃんへの気持ちを!」


 ユキちゃんは静かにうなずくと「おやすみなさい。」とつぶやいて部屋を出ていった。俺は力が抜けてしまい、後を追うこともできなかった。ただ、気持ちは伝えられた。それだけは、それだけが確かなことだった。




 翌朝から変わらない日々が始まった。毎日走って泳いで戦って…。俺は少なくとも前よりは格段に強くなれた。ただ、それよりもユキちゃんの方が強くなっていた。セイカさんが連れてきた二人を相手に互角以上に戦い、場合によっては二人を倒してしまう時もあった。その姿を見て、俺はさらに過酷な修行をした。どうしても、何が起きてもユキちゃんから離れないために。



 そして夏休み最終日。荷物をまとめた俺にユキちゃんは一枚のディスクを手渡した。


「これをダウンロードすれば私のすることがリアルタイムで見られるわ。私があなたにする最後のお願い。これを家で見ることと、目を離さないこと。」


「わかった!ちゃんと見るよ!目も離さない!ただ…、ユキちゃんがピンチの時は飛んでいくから!」


 ユキちゃんは小さくうなずいた。荷物を積んだ車が俺を乗せて走っていく。ユキちゃんは見えなくなるまで手を振ってくれた。



 そして新学期から三日目の朝、ユキちゃんからメールが来た。


『始めるわ!どうなっても目を離さないでね!」

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