第二話 毒舌分析
僕たちの通う覇桜高校はこの地域で一番大きな高校だ。校舎は敷地の中央にあり塔のように高い中央棟と、それを囲う壁のような一般棟に分かれている。
一般棟は僕たちが通う普通科が6クラス、体育科が2クラスに進学科が2クラス。この10クラスは総称して『一般クラス』と呼ばれている。
それに対して高嶺さんのいるクラスが中央棟にある特別クラス『Sクラス』。各学校のいわゆる学年トップ、またはいわゆる資産家の子供しか入れないと言われているエリートクラスだ。しかも学力・運動ともに最低ラインが引かれそこを下回ると無条件で一般クラスに落とされるシステムで、いわゆる金持ちのバカ息子タイプはふるい落とされるようにできている。
中央棟は町のどこからも見えるため通称S塔と呼ばれ町のシンボルになっている。中に入ったことがある人の話では、冷暖房やエレベーターはもちろんのこと、コンビニや病院、ヘリポートまで完備されているらしい。またセキュリティーも万全で部外者はもちろん同じ高校でも一般棟の人は入ることは許されない。一般クラスの人がS塔に入るにはSクラスの誰かからの推薦状とSクラス生徒会からの許可証が必要。推薦状はともかく許可証は一般棟の限られた人にしか出されず、同じ学年に10枚出れば奇跡らしい。しかもそれを持っていたとしても一階ロビーまでが限界。それ以上はさらに厳格な審査などを受けなければならないらしい。つまり一般棟の人がS塔の人に会いに行くこと自体が不可能に近い。
一方でS塔の人は一般棟への出入りは当然自由。ただ、S塔の人が来るメリットは全くない。仮にS塔側で一般棟の人に用がある場合、放送でS塔入り口に呼び出せば済むことだ。一般棟の人からすればSクラスに呼び出されることが名誉なことだから、放送で呼ばれれば何よりも優先するはずだ。
つまり『Sクラスの高嶺さんがなぜか一般棟に来ていた奇跡』+『一般棟の僕がそのタイミングでプリントを落とす偶然』+『高嶺さんがそれを拾ってくれた奇跡』が、今の僕の状態だ。本当の意味で奇跡が起きたとしか言いようがない。
『一般棟の僕がS塔の高嶺さんに会う』、その無理難題を可能にしてくれる人物としてマミが呼んできたのは、一般棟で一番の有名人『ドクゼツ』こと『毒島雪巳』だった。
ドクゼツさんは長い黒髪と怖いくらいの目力を持ち、容姿だけなら学内でも五本の指に入る。そして一般棟の全学年で唯一『S塔無制限通行許可証』を持っていて、S塔と一般棟を自由に行き来できる人だ。なぜそれを持っているのかは謎で、『S塔の人間の弱味を握っている』という噂まで流れている。
また『ドクゼツ相談所』という部活を持ちどんな人からの相談も聞いてくれるらしい。ただ、相談した人のほとんどが泣き叫び逃げていくという。逃げ出さなかった人の中には『アドバイスで人生が変わった』という信者みたいな人もいる一方で『法外な報酬を要求された』と語る人もいる。
とにかく一般棟では『ドクゼツには関わらない方が平和』という説が一般的で、普通の人はなるべく避けて通りたい人だった。その人がまさか目の前に現れるとは思わなかったので、僕たちは今驚き戸惑っている。
「で?私に相談があるのは誰?」
不思議な威圧感を放ちながらドクゼツさんは部室のイスに座った。そのオーラみたいなものに圧倒され、当事者の僕でもしばらく口を開けずにいた。
「誰もいないの?じゃあ帰っていいかしら?私も魔窟に遊びに来るほど暇じゃないから。」
「ぼ、僕です。」
ドクゼツさんが立ち上がって出口に向かおうとしたとき、ようやく金縛りが解けたように言葉が出た。ドクゼツさんはゆっくりと振り返り僕の方をじっと見た。
「そう。私が受けた相談で一番大きな内容だからどんな人からの依頼者かと思ったら、ずいぶん普通の人なのね。」
ドクゼツさんがゆっくりとイスに座った。僕は恐る恐るドクゼツさんの前に立った。するとドクゼツさんの指がすーっと伸び僕のそばのイスを指差した。それが「座ったら?」という指示だと理解するのに約1分あたふたした後、僕はそっとイスに座った。
「ユキさんはすごいね。うちの部室なのにユキさんの部屋みたい。」
マミが僕たちの前に小さな机を用意して、お茶を置いた。僕からすれば『何でドクゼツさんと親しく話してるんだよ!』とツッコミたくなるくらいだったけど、ドクゼツさんは小さな声で「ありがとう」とつげてゆっくりとお茶を飲んでいる。何でも知っている幼馴染みであるはずのマミが、悪魔を召喚した魔法使いのように異質に見えた。
「さて、相談内容はマミさんから聞いたわ。だから一般的な回答からするわね。」
ドクゼツさんが僕のイメージと違う落ち着いたおだやかな声で話始めた。現時点ではとても『人が泣いて逃げ出す』ような感じはない。
「今までで私に『S塔許可証がほしい』という依頼は百件を超えるわ。そのうち許可証を渡せた人はたったの二人。一人は死ぬほどの努力の結果、もう一人は金で解決。ちなみに金額は百万。」
さらっととんでもない金額が出てきた。いきなりマンガのような展開だ。
「百万円で入った人は何をするためだった…のですか?」
質問していいのかもわからないけど、とりあえず聞いてみた。ただ敬語が必要だと気づき何とか軌道修正できた。
「敬語はいらないわ。同じ一年だし。ただ依頼者のプライバシーは守らないといけないから、その質問には答えられないの。」
弁護士のような答えに僕はただただうなずくしかなかった。この短時間でこの人がいかにすごい人かがわかった気がした。
「ちなみにあなたの依頼にはもう二百万くらい上乗せしないと無理だけど、あなたは払えないでしょう?というよりあなたはそんな感じの人ではないと思うし。」
『金持ちではない』または『金で解決するタイプではない』のどちらで判断されたかはわからない。ただ現実的にはそのとおりだから僕は黙ってうなずくしかなかった。ドクゼツさんはしずかに言葉をつつけた。
「あなたが会いたい高嶺さんのランクは理解できるわね?Sクラス全学年の事実上のトップ。ランク付けするなら低めに見てもSSランク。それに引き換えあなたたちはSSの下にS、さらにその下にAからEまであるとして、高く評価してもCかD。どう考えても届くことはないわ。」
恐ろしいほどわかりやすい評価。これもうなずくしかない。反論の余地は微塵もない…。
「高嶺さんのまわりには常にSランクの親衛隊がウロウロ。その親衛隊の中を割って入って高嶺さんに話しかけることは、はっきり言って今の時点では1000%不可能よ。どの数値から見ても人と虫けらくらいの差があるから、近づいても取り巻きのSランクにほうきとちりとりで片付けられるのがオチよ。」
冷たく抑揚のない声に泣きたくなるほどのまっすぐな正論。今ならわかる。泣き叫びながら逃げる感覚が今理解できた。
「確認するわ。今の現状を理解した上でそれでも高嶺さんに会いたいの?」
冷たい声と刺すような視線が僕に届いた。気を抜いたら吹き飛ばされそうな感覚を必死にこらえながら僕はうなずいた。
「うん。会いたい。」
「そのためなら何でもすると?」
「うん。」
「少しでも手を抜いたら願いは叶わない。そのとき私を恨まれても困るのだけど。わかってる?」
「うん。」
「失敗したら後悔しか残らないけど。それでもいいのね?」
「うん。構わない。」
ドクゼツさんの言葉が止むと部屋が静まり返った。みんなが驚いた顔で僕を見ていた。たぶん向かい風のようなドクゼツさんの言葉に対し、僕が確かな意思を示したからだろう。自分でも少し驚いている。たぶん高嶺さんに会ったことで、僕の中の何かが変わったのだと思う。
「あなたの気持ちはわかったわ。」
ドクゼツさんはそう言ってお茶を飲んだ。