第27話 過去(1)
ユキさんの過去の話です。羽生田さんの回想により、主人公は羽生田さんになります。
俺とユキちゃんは幼馴染み。年齢は俺の方がひとつ上。物心ついた頃から許嫁だった。その理由は簡単で、俺たちは昔から高嶺家の側近の家系だったからだ。ユキちゃんの毒島家は昔からナンバー2、俺の羽生田家はそれと比べるとだいぶ下の方。だからだと思うけど、俺の親の口癖は「ユキさんに嫌われないように。」だった。
「ユキちゃん…。僕で大丈夫?」
そんなことを切り出したのは俺が小学3年くらいだった。当時は自分のことを『僕』と言っていたし、スポーツも勉強も真ん中くらいだった。ユキちゃんは成績は優秀、スポーツは普通、穏やかな笑顔の優しい女の子だった。
親からのプレッシャーもあったけど、それ以上にその頃からユキちゃんのことが大好きだったから。俺の質問にユキちゃんは不思議そうな顔をした。
「トウ君は私を嫌いなの?」
「まさか。そんなはずないよ!だからこそ不安なんだ…。ユキちゃん、僕なんかで…。」
そこまで言ったとき、ユキちゃんは俺の両手をぎゅっと握って言った。
「私はトウ君がいいの。親が決めたことじゃなくても、トウ君がいいの。」
ユキちゃんの真剣な目に当時の俺はそれ以上何も言えなかった。
ユキちゃんはおとなしいけど正義感は強かった。小さないじめもすぐに止めたし、子供同士の激しいケンカにも割って入ってやめさせた。みんなもユキちゃんが止めに入った時点でそれ以上の騒ぎにはしなかった。ユキちゃんの言うことが正しいのもあるけど、ユキちゃんの後ろにある高嶺家が怖いのもあったと思う。
小学校も高学年になると今まで以上に自分の家や立場がわかるようになるらしい。誰もがユキちゃんに対して何となく気をつかったり顔色をうかがったりするようになった。ただユキちゃん自身は高嶺家や自分の家柄を気にすることもなく、みんなと同じように過ごしていた。だからこそ俺自身も自分のことを『僕』から『俺』に変えた以外は何も変わらず接していられた。中学に入るタイミングでユキちゃんは覇桜付属の中学へ、俺は普通の中学に入っていた。中学が別になって会える時間が少なくなったけど、婚約者という立場もあるから何も変わらずにこのままいられると思っていた。
あの事件までは…。
あれは俺が中学2年の6月頃。いつものようにユキちゃんと夏休みの計画を立てようと電話をすると、電話の向こうが明らかに慌ただしい気配だった。何かを察して家を飛び出し、俺はユキちゃんの家へ走った。全力で、ただ必死に。ユキちゃんの家の前で、ユキちゃんの家の家政婦さんに事実を告げられた。
「ユキさんが誘拐されました。」
俺は激しく動揺。事件の詳細を聞いたけど、教えてくれなかった。急いで家に戻り、親に連絡した。俺の父親はすでに知っていて、「お前は家で落ち着いて待ちなさい。」とだけ言われた。
ユキちゃん。ユキちゃん。
不安な気持ちで身体中のいたるところが痛い。
「ユキちゃん!ユキちゃん!」
不安が溢れて口から叫び声になった。
「ユキちゃん……。」
涙がこぼれた…。溢れた…。流れた…。俺は泣いていた。ただ泣いていた。それからしばらく俺は学校に行けず、ただただユキちゃんの無事を祈り、ただただ帰りを待った。ユキちゃんが無事に戻ってきたのはそれから3日後の夕方だった。
「ユキちゃん!」
知らせを聞いたのが夜だったけど、ただ会いたくて走った。ユキちゃんは泣きつかれた顔で座っていた。俺はユキちゃんをぎゅっと抱き締めた。自然と涙が流れた。ユキちゃんも俺に抱きつくようにして泣いた。その時の俺はただただユキちゃんが無事に戻ってきたことが嬉しかった。だからこそ気づかなかった。ずっと変わらないはずのものが音を立てて崩れていくのを。
しばらくしてユキちゃんは何も言わずに引っ越した。同時に親に『ユキさんとの婚約を解消した』と言われた。理由を聞くと『毒島家が高嶺家の側近ではなくなった。お前には次の婚約者を探す』ということだった。俺は激しく暴れ、叫び、家を飛び出した。
自分の立場なんてどうでもよかった。家柄なんてどうでもよかった。ただ、ユキちゃんのそばにいたかった。
気づくとユキちゃんの家の前に立っていた。もうユキちゃんはそこにいないのに…。すると家の前に車が停まった。車から降りたのはユキちゃんの家政婦をしていた人、運転手もユキちゃんの父親の秘書をしていた人だ。
「ユキちゃんに会いたい。会いたいんです。」
「お会いにならない方がいいと思います。お互いのために。」
家政婦さんは穏やかな声でそう告げた。ただ俺は引き下がらない。強引に車に乗り込んだ。
「ユキちゃんに会わせてください!」
秘書さんは困った顔で電話をかけ、俺はついていくことを許可された。携帯を借りて家に電話、「明日には帰る。」とだけ伝えた。車は町を離れ、山奥のホテルについた。一度だけ来たことがある。高嶺家の別荘として 建てられ、今も高嶺家の会合に使われる場所だ。
「こちらへどうぞ。」
秘書さんに案内され建物内を進む。奥の部屋の前に立つと秘書さんはドアをノックしてそっと開けた。目の前には広い部屋、その真ん中の机で本を読んでいる人影が見えた。
「ユ、ユキちゃん!」
俺は駆け寄った。ユキちゃんをぎゅっと抱き締めた。けれど…、反応はない。手を緩めて顔を見ると、そこには人形のように無表情のユキちゃんがこっちを見上げていた。
「来ない方がよかったのよ。あなたが傷つく姿は見たくなかったから。私はたぶんあなたを傷つけるから。」
抑揚のない声でそう言うとユキちゃんは部屋を出ていった。俺は動けずにその場で震えていた。
「大丈夫ですか?」
その声に反応して振り返ると、家政婦さんがお茶を用意してくれていた。俺は椅子に座ってお茶を飲んだ。家政婦さんは俺の前に座った。
「ここには私と、さっきの秘書だったあの方、あとはユキさんしかいません。ユキさんの両親は、今は海外にいます。」
俺を気にしてか、なるべく穏やかに話してくれているのがわかる。だからこそ俺は素直に聞けた。
「あの日、ユキちゃんが誘拐された日から、何があったか教えてください。お願いします。」
家政婦さんはやさしくうなずいてゆっくりと話してくれた。
ユキちゃんはあの日、学校から帰り、俺の家に向かう途中で誘拐された。家庭科で作ったクッキーを俺にプレゼントしようとしてくれたらしい。車に押し込まれ手足を縛られて倉庫みたいな場所に連れていかれた。犯人グループはユキちゃんの家に電話。その内容をユキちゃんは鮮明に覚えていた。
『娘を返してほしければ今から送る書類にサインをしろ。』
その書類は『高嶺家の側近を辞退することと、高嶺家のグループ会社が作った負債を全て背負え。』という内容だった。グループ会社の負債は高嶺家をも揺るがす金額だった。それを背負えば自分たち家族だけでなく、雇っている人たちまで路頭に迷わせることになる。さすがにユキちゃんの親もすぐにサインはできなかった。すると犯人はユキちゃんの服をズタズタに引き裂き、泣き叫ぶ裸同然のユキちゃんの写真を送りつけた。
『娘がどうなってもいいのか?今すぐAVの世界に売り付けることもできるんだぞ?』
ある意味で命を取る以上の脅しだった。家政婦や秘書もユキちゃんを守るためならと進言し、ユキちゃんの父親はサインした。次の日ユキちゃんは遠くの町で保護された。
ユキちゃんの両親は豪邸や資産を全て手放し、高嶺家のグループ会社を建て直すために海外へ。ユキちゃんは身の回りの世話をしてくれるこの二人と日本にとどまった。ユキちゃんは自分のせいで両親にもまわりの人にも迷惑をかけたことに傷つきながらも何とか学校へ通った。だが、そこで待っていたのは想像を絶するいじめだった。教科書やペンケースなどあらゆる物を壊され、体操着などカッターでズタズタにされた。しかもいじめの首謀者が高嶺家の側近についた家の子供、その取り巻きはかつてユキちゃんの家族を支えていた家の子供でユキちゃんのせいで親が仕事を失ったと思い込んでいた。いじめはさらにエスカレート。教師も止めてくれない事態になった。毎日誰も助けてくれない環境でユキちゃんの心は壊れ、ついにこのホテルに逃げてきた。
「許せない。」
話が終わったとき、俺は怒りで震えていた。そのとき、ユキちゃんの声が聞こえた。
「大丈夫。私、ちゃんと復讐するから。」
その声のする方には笑顔を失った、冷たい声をしたユキちゃんがいた。のちにドクゼツと呼ばれるユキちゃんが立っていた。




