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第15話 ユキさん

「お疲れさま。朝食にしましょう。」


「は、はーい…。」


 自転車後の山道マラソンが終わりようやくこの会話になった。今まで朝からこんなに泳いだり走ったりしたことはない。今の時点で体力はほとんど残ってない。ふらふらになりながらシャワーを浴びて朝食。朝からステーキと山盛りのサラダ。『食べるのも合宿』と言われているから無理矢理にでも食べる。ただ、目の前にはツッコミたくなるような光景が…。


「ドクゼツさん…、毎日そんなに食べるの?」


「私は毎日変わらないわ。」


「そ、そう…。」


 目の前には僕のよりも大きなステーキや山盛りすぎるサラダ。それがどんどん消えていく。


 どこにそんなに食べ物が入るのか…。


 そんなことを考えているとドクゼツさんが僕を見ていた。


「早く食べないと休み時間なしで次の課題になるけど、いいかしら?」


「…。頑張って食べます…。」


 『食べることも合宿』という言葉の本当の意味を知った。何とか食べきって休憩時間を確保できた。たった10分だったけど…。




「さあ、行くわよ。」


「はい…。」


 ドクゼツさんを追って合宿所を出発。山を下りていくらしい。とりあえず徒歩だということにホッとした。


 体が重い。眠さやだるさを感じる。まだ合宿が始まったばかりのに…。


 ただ、弱音を吐いても何も変わらない。何よりドクゼツさんは今朝も同じ時間に起きて僕を指導している。普段のドクゼツさんを知らないけど、今朝の時間があれば何人かの相談くらいは聞けたはずだし。その時間を無駄にしてはいけないと思った。


「どこへ向かうの?」


「駅前に私が作った塾があるの。あなたにはそこで授業をしてもらうわ。」


「え、え?」


 聞きたいことが一瞬であふれた。『塾を作った?』『高校生で経営者?』『どうやって?』と、ここまではドクゼツさんという人に対する疑問。ただ、今聞きたいことはそっちじゃない。


「授業って?僕は誰かに教えられるほど頭は良くないよ。」


「大丈夫よ。その頭を良くするための課題なんだから。」


「え?でも…、」


「少し急ぐわ。つべこべ言ってるとおいていくから。」


 次の瞬間、ドクゼツさんは速度を変えた。けっこう早い。小走りになるギリギリくらい。


 体が重い…。昨日と今朝の疲労で足が痛い…。


 心の中で不平不満をつぶやいて、それでも頑張ってついていく。『この人がさせること全てに意味がある』、それがドクゼツ相談所に通って一番学んだことだから。


 気づくと目の前の景色が山から町に変わった。道の先には昨日降りた駅が見える。昨日は山の中としか思わなかったけど、狭い範囲に住宅が並び商店街みたいなところもある。


「平田さん、おいていくわよ。」


 ドクゼツさんの声に驚いて顔をあげると、ドクゼツさんはすぐそばの立派な建物に入っていく。慌てて僕も入る。建物内は大人数用の教室と個別指導用の教室に分かれていた。


「ユキ姉ちゃ~ん!」


 子供たちが10人くらいドクゼツさんに駆け寄ってきた。ドクゼツさんは学校では見せたことのない笑顔だ。その光景に僕はただただ驚かされていた。


「ユキ先生、その人はどなたですか?」


 奥の教室から出てきた中学生くらいの人がそう聞いた。みんなの目が僕に集まる。


「平田均さん。春休み中に手伝ってくれる人よ。みんな仲良くして。」


「はーい。」


 このやりとりだけでドクゼツさんがどれだけ慕われているかがわかる。僕は頭を下げるのが精一杯だった。



「じゃあ、私は大人数教室で授業をするから。あなたは個別の質問に答えてあげて。」


 ドクゼツさんはそう言って教室に入っていった。その姿は教師そのものだった。


「平田先生、質問です。」


「あ、はい。どうぞ。」


 僕の教室も入るなり質問が次々と飛んできた。教室の机にはドクゼツさんの作ったノートが各学年、各教科ごとに並んでいた。質問を受けて自分でわかれば答え、わからなければそのノートを開いて答える。ただ、その説明でわかる人とわからない人がいるから場合によって教え方を変えないといけない。思った以上に大変だ。


「平田先生。先生は高校生ですか?」


 突然、教室の一番後ろから声がした。見るからに頭の良さそうな男の子だ。


「春から高校2年です。ドクゼ…、ユキさんと同じ学年です。」


 そう答えると男の子はさらに質問してきた。


「先生は何であの高校を選んだんですか?あの高校は楽しいですか?他の高校じゃダメだったんですか?」


 全部に答えてもいいけど、他の子供たちの質問に答えられない。


「君の名前は?」


高見望タカミノゾムです。」


「高見くん、休み時間ならどんな質問にも答えるから。今は授業の質問をしてください。」


「じゃあ、いいです。」


 その言葉を最後に高見くんは話さなくなった。そのことが気になったけど他の人の質問に次々答えるのに必死で時間はあっというまに過ぎていった。チャイムの音が鳴り子供たちは教室を出ていく。高見くんだけは教室にいた。僕は近づく。


「高見くん、質問は?」


「特にないです。」


 彼の即答に驚いた。


「え?さっきはあんなに聞いてきたのに?」


 そう問いかけると彼は僕を見た。


「さっきの質問にすぐに答えなかったってことは明確な目的があったわけじゃないんでしょ?Sクラスの人なら即答するはずだから。一般クラスの人には興味ないから。」


 淡々と答えた言葉にSクラスの人と同じ気配を感じた。


「君はSクラス志望なの?」


「はい。Sクラスにさえ入れれば…。 」


 そこで言葉が途切れた。彼の顔に影みたいなものを感じた。僕が何かを聞こうとしたとき、チャイムが鳴った。他の生徒たちが戻ってきた。僕は定位置に戻り次の授業、というより質問コーナーを再開した。




「お疲れさま。昼食にしましょう。」


「はい。」


 ドクゼツさんは僕を食堂に案内した。子供たちは家に帰るらしく、僕たちは広い食堂に二人だけだった。


「午前中でやるべきことはわかったみたいね。午後もその調子でお願いね。」


「はい。頑張ります。」


 そう答えて隣を見るとドクゼツさんは笑っていた。


「あなたは本当に正直バカね。昨日と今朝も体育会系の人の依頼で作ったメニューだから一般の人ならすでにギブアップしているはずなのに。」


 そんなにすごいメニューだったのか…。


 体は痛いけど何とかしてしまった自分に驚く。でも、それには理由もある。


「ドクゼツさんが何をしても結果を出せない僕に結果を出してくれたからだよ。結果が出るのがわかったから言われるままに無理してみようと思えるんだよ。」


「それをバカと言うんだけど。呆れるほどだわ。」


 ドクゼツさんがまた笑った。いつもながらその姿にはドキッとさせられる。毒舌モードさえなければ、その容姿は高峰さんと並ぶような気がする。


「とりあえず春休みの課題の勉強はこのスタイルよ。わからない人に教えることであなたの理解を深めるのと同時に間違いやすいところを確認。ここでは中学までの学習内容を完璧に頭に入れること。高校に入ってからの復習は2年になってから課題で補うから。」


「はい。」


 できるだけ元気に返事をしてみた。ドクゼツさんは僕を見てうなずく。


「じゃあ、そろそろみんなが戻ってくるから。午後の準備よろしくね。」


「ドクゼツさん!もうひとつ。お願いというか…。」


 そう言って教室に戻るドクゼツさんを呼び止めた。ドクゼツさんは不思議そうに僕を見た。


「僕も『ユキさん』って呼んでいい…、でしょうか?せめて、ここのみんなの前だけでも。何か『ドクゼツさん』と呼ぶのは微妙で…。」


 ドクゼツさんは少しだけ驚いた顔をした後、今まで聞いたことがない大きな声で笑った。


「それこそ今さらよ。他の人は3日もしたら、そんなに仲良くなってなくても普通にそう呼ぶわ。 もう2ヶ月以上も私のところに通って、まだドクゼツ呼びの方が珍しいわ。」


「じゃあ、今からはユキさんで。」


「どうぞ。じゃあ、午後もよろしくね。平田さん。」


「はい。ユキさん。」


 不思議な感じだった。今まで恐怖の象徴だったドクゼツさんをユキさんと呼べたことに。すごいことは何もしていない。それでも少し前進した気がした。


 一歩ずつ。それでもまた一歩、少しでも前へ。

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