第九話
気付いたのは、洗濯物を干している時だった。
「ん?」
おかしい。
なぜか妙に視線を感じる。
しかも館の中ではなくて、外から。
「んん〜〜?」
まただ。
わたしが振り向くと、当たり前だけど視線は立ち所に消える。
でも目の前の茂みが揺れているので、そこに隠れているのはバレバレなんだけど。
何だこの見つけてください感は。
こんなにもあからさまな監視に付き合う気もないので、その視線の元へ近づいていく。
「あのー誰ですかー? そんなところに居ると不審者に間違えられますよ」
「きゃーーーーーー!」
その茂みの奥を覗き込むと、なぜか悲鳴をあげられた。
まるでわたしが不審者のようだ。
すると館を囲む茂みの至るところから、わらわらとたくさんの人が現れ、一目散に逃げ出した。
え、こんなにいたんですか。
わたしが声をかけた人も慌てて逃げようとしたので、そこは引っ捕まえておいた。申し訳ないが、あからさまな視線と逃げ遅れた自分を恨んでほしい。
青ざめた顔で小さく震える女の子。年はわたしと同じくらいだろうか。服装もわたしと同じような格好をしている。こげ茶の髪を肩まで伸ばした、大変可愛らしい娘さんだ。
しかし見た限りお貴族様ではなさそうなので、とりあえず厨房へお越しいただいた。
「それでわたしに何の用ですか?」
「…………」
女の子は震えたまま喋らない。優しく声をかけたつもりなのに、そんなに怖いのだろうか。
「なぜあんな大人数で、わたしを監視していたのですか?」
「か、監視などではありません!」
お、喋った。
「では一体どういうつもりで?」
「……それは」
あらら、まただんまりだ。そんな言い難いことなのだろうか。
仕方ないのでお茶でも淹れよう。温かいものを飲むと、少しは落ち着くかもしれないし。
そしていつものようにでポットに手をかざして、はたと気がついた。
問・今わたしは何をしようとしているでしょう?
答・お湯を入れようとしている(魔法で)
「ば、馬鹿かわたしはーーーー!」
思わず出てしまったツッコミに、女の子の肩がびくりと揺れる。
小動物のような怯えた目が、「どうしたの?」と尋ねてきた。あ、この子、悪い子じゃないわ。
「い、いえ。すみませんが、お水を汲んできてもらえませんか? 井戸はすぐそこなので」
「……はあ」
分かっている。言いたいことは分かっているからそんな目で見ないでくれ。
なぜ厨房なのに水がないのか。水汲みは朝一番の仕事なのに、なぜまだしてないのか。それになぜ自分が行かなければならないのか。
そういった疑問を貼り付けたまま、彼女は言う通りに動いてくれた。その隙にかまどへ走る。
そう、彼女に一度ここを離れてもらわなければ、湯を沸かす為の火もつけられないのだ(魔法で)。
「汲んできましたけど……」
「ありがとうございます! さ、どうぞこちらに。今お茶を淹れますので」
何事もなかったかのように水瓶を受け取る。
それにしても水汲みの際に逃げようと思えば逃げれたのに、そうはしなかったな。やっぱり良い子だ。
お茶も無事淹れられたので、改めて向かい合う。
一口お茶を飲んで、彼女もやっと観念したようだ。
「じゃあもう一度聞きます。あそこで何をしていたのですか?」
「……お察しでしょう。貴女を見ていたのです」
「あそこに居た人達全員がわたしを?」
「……はい。お恥ずかしいことですが、皆噂を確かめたかったのです」
噂?
わたしの?
「それはどういった噂でしょう」
ここに来て、まだ数日。噂になるようなことはしてないけれど。
「ジルヴェスター・ブライル様とフェリクス・アルトマン様のお二人が……」
「ご結婚でもなさるのですか? 二人共、とても仲がよろしいですしね」
「結婚? いえ、噂ではお二人で一人の女性を囲っていると」
「は?」
囲う、囲う、囲う……。
頭が混乱していて、ちょっと処理が追いつかない。
「あのぉ、すみませんが囲うというのは……」
「女の口から申すのは憚られるのですが、そういう意味です」
ですよね。
大人の意味ですよね。
「それでその女性というのが……」
「貴女です」
わ、わたしだと!?
「いやいやいやいや待ってください! そんな筈ないでしょう」
「ブライル様が貴女をいたく気に入り、無理やり連れて来たと」
「無理やり……かどうかは分かりませんが、気に入られてもいませんし、わたしは自分の意思でここにいます」
「それにどこへ行くのもアルトマン様がエスコートしていると」
「最初だけです。それにフェリ様は女性ですよ?」
「いいえ、男性です」
きっぱりと断言された。
恐ろしいことに、男性だと分かっていても脳が勝手にフェリ様を女性として判別している。しかしそれに関して何も支障はないので、このままにしておこう。
「とにかくわたしは研究所のお世話係として雇われただけですから」
「ええ貴女の仕事ぶりを見て、それは理解しました。他の皆様もそうでしょう」
誤解が解けたようでなによりだ。
そして彼女も白状したことで気を緩めたのか、わたし達はしばしお喋りに興じた。
聞くところによると、彼女、アニエス・タルナートは、わたしと同じ十八歳だとわかった。そしてこれまた同じく、お城に勤めるお貴族様に雇われているのだとか。
今日ここに来たのも、そのお貴族様に命令されてのことらしい。
雇い主が噂好きだと大変だな。わたしの雇い主は甘味好きで大変だけど。
「アニエス。わたし達同い年なんだから、もう敬語はなしにしない?」
「ええ。でも今日は本当にごめんなさいね、リリアナ」
「良いのよ、命令なら仕方ないわ」
そう言って笑顔を向けると、アニエスも初めて笑ってくれた。はにかんだ笑顔がとても可愛い。
そしてしばらくした後、アニエスは仕事に戻ると言って帰っていった。
こうしてお城での初めてのお友達が出来たのである。
わーい。
昼食の際、ブライル様とフェリ様に今回の噂と事の顛末についてお話すると、フェリ様は爆笑しながら、「面白いからそのままにしておきましょう」と言い、ブライル様は、「お前の頭は腐っているのか!? 何故私がフェリクスと結婚するなどという発想が出てくるのだ!」と憤慨していた。
「あら、リリアナちゃんを囲っていることについては何も言わないのね」
その後ブライル様が心底冷えた目でフェリ様を睨みつけたのだけれど、フェリ様には何の効果もなかったのでした。