第八話
体の芯まで温まり、ふかふかのお姫様ベッドでぐっすり寝たら、昨日よりも目覚めが良かった。いつもより体も軽い気がする。
これはお風呂の効果に違いない。
着替えを済ませ、早速仕事に取り掛かるが、昨日より断然捗る。勝手を覚えたというのもあるが、これも体が動くのが大きいのだと思う。
魔力にも心なしか活力が漲っている気がする。
やっぱりお風呂ってすごい。
それに一つに結った髪は、とてもサラサラで良い香りがする。これはわたしの部屋に置いてあった香油ーーおそらくフェリ様が用意してくれた物ーーを使ってみたのだけれど、その威力は絶大だった。
それだけで女子力が上がった気になるのだから、我ながら単純なものである。
調子に乗って、朝食のオムレツにトマトソースでうさぎの絵を描いてみたら、
「……何だ、これは」
「うさちゃんです」
「うさちゃ……兎なのは分かる」
「えへへ、可愛いく描けました」
「だから何故私の目の前にそんなものがあるのだ」
「え、お嫌いですか? うさちゃん」
「そういうことではない!」
ブライル様から早々にダメ出しをくらった。
可愛いものを愛でて、少しでも心穏やかに過ごしてほしいというわたしなりの気づかいは、彼にとって素晴らしく余計なことだったらしく、朝からしっかりと怒られた。
さっきまでのやる気と女子力がへにょりと下を向いてしまった。そんなわたしを見て、渋々だがオムレツを食べてくれた彼は、早めに出勤してきたフェリ様に何故か爆笑されていた。お可哀想に。
その後は洗濯に掃除と、おとなしく仕事をこなしていく。
昼食を終えた後は、買い物に出掛ける。今日は一人なので、もちろん徒歩だ。
城門を通る際に、フェリ様から受け取った首飾りを見せると、初めてお城に来た時に揉めたあの貴族係官が心底驚いた顔をした。そしてまたしても偽物ではないかと疑ってきたのである。
もちろん本物に間違いないので疑惑は早々に消えたのだけど、係官は忌々しそうにわたしを睨みつけてくる。わたしは何かこの人に恨まれるようなことをしてしまったのだろうか。
気を取り直して。買い出しである。
昨日たくさん買ってもらったので在庫はたっぷりあるのだけれど、足りない物を細々と買っていく。
そして市場を出ると、その足で本当の目的地に向かう。
華やかで上品な店や、女の子が好きそうな可愛らしい店が立ち並ぶ大通り。歩く人も小綺麗な人が多い。中にはきっとお貴族様もいらっしゃる。
何故わたしがこんなところに来たかというと、もちろん食後のデザートを手に入れる為である。
果物で良いか、なんて最初は考えていたけれど、昨日砂糖漬けを食べたブライル様の様子を見るに、それよりも甘味がお好きなんだろうと窺い知れた。
なのでこうして買いに来たわけだが、さすが贅沢品、中々のお値段である。このケーキ一つで、一体いくつの庶民パンが買えるのか。上流階級向けだからこそ、ここまで値段を上げれるのだろう。
自分で作った方が随分と安くあがるが、今日は時間もないので、予定通り買って帰ることにする。
夕食後、ブライル様の前にそのケーキをお出しすると、少しバツの悪い顔をしたものの、明らかに目が輝いた。眉も大きく動いている。喜んでくれたようで良かった。
しかし一口食べたところで、その端正な顔を僅かに歪めた。
「甘過ぎる」
そんなに甘い物が好きならと、砂糖衣をたっぷり纏った一番高いケーキを選んだのだけれど、どうやら口に合わなかったらしい。
これも良かれと思ってのことだったが、どうやら裏目に出てしまったようだ。うーん、甘いだけでは駄目なのか。
そしてその日の夜から、ブライル様による勉強会が始まった。
フェリ様は今日も帰られてしまったので、必然的に二人きりだ。
普通ならこんな綺麗な顔をした男の人と二人きりだなんてドキドキしたりするのかもしれないけど、いかんせん相手がブライル様なので、ドキドキよりもビクビクの方が大きいという現実。
そんなくだらないことを考えていたら、冷ややかな視線を向けられた。さて、お勉強お勉強。
「まず魔法薬というのは何か分かるか?」
「ものすごく高価だけどよ良く効くお薬だと聞きました。でも使ったことはありません」
「そうだ、通常の薬とは効果が明らかに違う。怪我にしろ病気にしろ、治る確率が上がる。それに完治までも早い。あの子供に塗ったのも魔法薬だ」
そうだったのか。だとしたらきっと痕にも残らないだろうから良かった。
なので最初からブライル様に任せておけば魔憑きのこともバレなかったとかはこの際考えない。
「では何故そこまで効果があるのか。名前の通り、魔法によって作られているからだ。正確には魔力を加えながらだが」
「魔力、ですか」
「そうだ。薬によって手順は変わるが、魔力を注入しながら製作することによって品質は格段に上がる。値段が跳ね上がるのは致し方あるまい」
「それって魔力を持つお貴族様だけにしか作れませんよね。なのに平民には手が出ないってズルくないですか?」
「お前達が普段使っている薬とは、少し材料が違う。遠方から取り寄せなければならなかったり、魔物が生息している場所で採取したりだな。それに魔力を込めるのだから、一日に作れる数にも限りがある。そういった理由から、殆ど貴族の中でしか出回ってないのだ」
うーん、そう言われると納得せざるを得ない。
魔法薬作りも大変なわけだ。
「では基本的な薬の種類から教えていく」
せっかく習うのだから教えてもらえることはすべて覚えたいと、わたしは必死にペンを走らせた。
塗り薬。
怪我をした時、直接肌に塗る薬。患部に塗り込むことで、傷を修復していく。切り傷や炎症、火傷や捻挫などもこの薬が用いられる。酷い外傷の場合は、飲み薬と併用することもある。
飲み薬。
服用することによって、体の内部から治癒していく。症状によって材料が異なる為、塗り薬と比べて種類が多い。
点眼薬
目に直接差すことによって、眼球の炎症などを治癒する薬。老化によるかすみ目にも効く。視力が回復することもある。
点耳薬
耳に直接差すことによって、内部の炎症などを治癒する薬。音を聴き取り難い症状が回復することもある。
「ほかにもいくつかあるが、今日覚えるのはこれくらいで良いだろう」
「効果が違うといっても、塗り薬と飲み薬は平民が使っている物と目的は一緒ですね。でも点眼薬や点耳薬というのは初めて知りました」
「まだそれほど研究が進んでいないというのもあるが……。それに平民なら多少目が痒くても放っておくのだろう」
確かに目が赤くなったり痒くなったりしても、数日すれば自然に治っているから、医者にかかるということもなかった。
ブライル様曰く、空気や水の綺麗な場所に生活していれば、そんなに悪化する病気でもないらしい。そうか、わたしの出身は自然豊かな田舎町だから、酷くならなかったんだ。
「では次だ。塗り薬の種類から。これは液状の物とクリーム状の物がある。液薬は患部に直接振りかけ、傷に浸透させていくというもの。なので切り傷のように肉まで傷ついた場合に使用する」
反対に、クリーム状の物は擦り込むことによって浸透させる為、切り傷などには向かないそう。なので捻挫や打撲のように患部に人の手が触れても良い場合に使用する。
ふむふむ、塗り薬という同じ括りでも怪我の状況によって使い分けるのですね。
「そして飲み薬は丸薬と液薬がある。これは単純に液体を混ぜ合わせたり、固形物をすり潰して丸めたりと、素材によって作成方法が違うだけだ」
「じゃあ例えば腹痛に効くのはどちらですか?」
「効き目に多少違いはあるが、腹痛の場合ならどちらにもある。ただ液薬は嵩張る為、丸薬の方が一般的だな」
「なるほど。荷物は少ない方が良いですもんね」
「だからといって、すべての飲み薬に丸薬と液薬があるわけではない。たまたま腹痛の場合はどちらとも作成出来たというわけだ。両方存在するのは少ない」
「偶然の産物ですか」
「馬鹿者、研究の成果と言え。新しい調合方法や組合せを試していけば、どちらもいずれ作成出来る。ただ既に効果があるものを探すより、未だ治せない症状を研究するのが先だ」
これは患者さんの為なのか、研究者としての矜恃なのか。さすが魔法薬師である。
「点眼薬と点耳薬は液状の物だけだ。投与のし易さから、液薬以外は不要だと考える」
「でも目に何か入れるのって怖くないですか? ちょっとでも異物が入ったらすごい痛いじゃないですか」
「治療するのに怖いなど言ってられないだろう。それに点眼薬は刺激のない液体だ。お前は涙で目が痛くなったことがあるのか? だとしたら大変特異な体質なので、是非とも研究させてほしいものだ」
「なりません! わたし普通の体でした!」
慌てて首を横に振る。
確かに馬鹿なことを言ってしまったが、なんて意地悪なお人なのだろうか。
そのうち雑用で研究室出入りするようになったら、この部屋を徹底的に片付けてやる。そしてどこに何があるのか分からなくしてやる、と一人静かに復讐を決意する。
この後もうしばらく授業は続き、やっとお開きとなった。ノートも頭も知らない言葉で埋め尽くされている。これ以上何も入らない。
そして終わると同時に、わたしは逃げるように研究室を後にした。