第七十七話
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一通りの案内が終わり、ナターリエ様は姫様のところに戻られたので、改めて食料庫と厨房を確認する。
「さてと、どんな食材があるのかなー……ってさすがにすごい量ね」
大量の野菜や穀物、それに調味料や香辛料も、見たことない物までたくさんの種類が置いてある。さすが王宮。どんな要求にも対応できるように毎回補充しているのだろう。後でわたしも味を確かめておかなくちゃ。
次に冷却装置を覗くと、様々な肉や魚介類など、ここにも大量の食材が入っていた。これも姫様一人で食べきれる量ではない。はて、余った食材はどうするのだろう、と首を傾げる。まさか捨てたりなんてしないわよね。いくら何でも勿体なさ過ぎる。
「きっと使用人の皆様が召し上がる分も入っているのよね」
そしてわたし以外料理人がいないということは、おそらく彼女たちの食事もわたしの仕事なのだろう。研究所とは違い、ここでは料理に専念すればいいだけだから、別に構わないけれど。
次に持ってきたレシピと食材を見比べながら、メニューを考えていく。
前菜は何にしよう。あまりちゃんとした食事が取れていなかったのなら、しっかり栄養が取れる物の方がいいわよね。魚料理が好きっておっしゃっていたから、主菜には白身魚を使おうかしら。確か冷却装置にたくさん入っていた筈。
メニューが決まれば自前のエプロンをつけて、早速調理に取り掛かる。あまりのんびりとはしていられない。知らない場所は思いのほか時間がかかるからね。
最初に大事なブイヨンから作ろう。これがなければ始まらない。まずは手羽や鶏がらをサッと茹でようと、鍋に水を張る。
えっと、瓶にたっぷり入っているこの水は、魔法が使えない(ことになっている)平民のわたしの為に、ナターリエ様が用意してくれたものかしら。一口飲んでみるが、味や匂いに変わったところはない。わたしが魔法で出す水とまるで同じだ。しかし一応用心の為に、水や氷は自分の魔法で出したものを使うことにした。
そして万が一に備えて、懐に魔石を忍ばせておく。魔憑き疑惑の時にフェリ様が作ってくれた、例の水が出る魔石だ。もし魔法を使って水を出したところを見つかっても、これを持ってさえいれば説明ができる。
処理を済ませた鶏がらや香味野菜などを煮ている間に、翌日の準備。当日では間に合わないものは、今のうちから仕込んでおくのだ。
それが終われば今日使う他の食材の下拵えをする。それはもう切ったり茹でたり捌いたり。いつもより大人数なので、その分扱う食材の量も増える。ただ、こういう時に一人だと大変だわね、とふと思ったりもする。
「前にアニエスが手伝ってくれた時はすごく捗ったなぁ」
手間のかかる作業も嫌がらず、その上調理の邪魔になる洗い物も率先してやってくれた。あの時彼女に罪の意識があったとはいえ、こちらとしては随分助かったし、嬉しかったのも事実だ。
あれからルディウス様のところを辞めて、今は新しい職場を探しているらしいけど、さすがにここへは誘えないわよね。姫様が大変な時だし、そもそもそんな権限は持ち合わせていないもの。
じっくりコトコト煮込んだブイヨンが出来上がれば、あとは料理を仕上げていくだけだ。
鍋にバターを溶かし、みじん切りにした大蒜と玉葱を香りが立ってしんなりするまで炒め、小さく角切りにしたトマトとベーコンも投入し更に炒める。そこにブイヨンを入れて塩胡椒で味付け、しばらく煮込む。
その間に前菜を仕上げよう。塩茹でした立派なアスパラガスを厚めにスライスして、直線的に盛り付ける。その間に削ぎ切りにしたつぶ貝とからし菜を挟み、周りには淡い黄色のソースをこれまた直線的に流す。
このつぶ貝は、綺麗に処理した身を大蒜とハーブで香りづけしたオリーブ油に浸し、低温でゆっくりと火を入れたもの。柔らかな食感に仕上がっている筈だ。
そしてソースは牛乳で茹でこぼしピューレ状にした大蒜に卵黄と塩胡椒を混ぜ、攪拌しながらオリーブ油を混ぜ込んで乳化させ、レモン汁で味を調えた。所謂アイヨリソースだ。
玉葱やトマトを煮込んでいた鍋には、茹でた麦と、こちらも茹でて皮を剥いた小さなそら豆を入れてもうひと煮立ち。食べる直前に盛り付け、刻んだパセリとほんの少しのオリーブ油を振りかければ完成。
主菜にはヒメジを使う。三枚に下したものに塩を振ってしばらく置き、出てきた水気を拭き取る。そして皮に小麦粉をはたき、オリーブ油で皮目から焼けば、赤がとても綺麗なソテーの出来上がり。
ソースはヒメジの骨を利用して作る。香味野菜と共に炒めた骨にブイヨンを注ぎ、しばらく煮出して丁寧に濾す。それを煮詰めていき、焦がしバター、レモン汁、黒胡椒、塩で味を調えれば完成。ヒメジの上にディルやセルフィーユをふんわりと飾れば見栄えも良い。
「よし、こんなものかな」
たまらない香りをたてるそれらを見て、中々上手くできたんじゃないかと自賛する。これもアルトマン家と図書館の本で覚えたレシピのおかげだ。
出来上がった料理をワゴンに乗せて、これまた姫様専用だという食堂へと向かうと、何故だかすでに姫様が待ち構えていた。
ひぃぃっ、どれだけ楽しみにしていらっしゃるの!? プレッシャーが半端ないのだけれどっ。
期待されればされるほど気が重くなってきた。あ、なんか胃が痛いかも。
恐る恐る料理を並べていくと、じっと見つめる姫様の大きな瞳がキラキラと輝いた。もしかして見た目は合格? 喜んでくれているのだろうか。
毒見はやはりナターリエ様だ。少しも躊躇うことなく、わたしの料理を口にした。
主菜を食べた瞬間、一度だけ目を見開いたから、何か不味いことでもあったのかと不安になったけれど、何事もなかったように姫様に食事を促したので大きな問題はなかったのだろう。
「うふふ、おいしそうねぇ」
「アスパラガスとつぶ貝の前菜です。そしてこちらは麦とそら豆のスープになります」
「綺麗だわ。色とりどりでまるでお花畑みたい」
スープの赤や緑がそう思わせるのだろう。姫様はうっとりした表情でお皿の中を覗き込んでいる。久しぶりに食べる王宮でのまともな食事ということで、若干テンションが上がっているのかもしれない。
しかし、時折料理のについて訊ねられたり、感想を伝えてくれるものの、それ以外は静かなものだ。カチャカチャと食器の音が小さくするだけ。
王族の食事というのは、いつもこういう感じなのだろうか。いつも賑やかな研究所とはまったく違う雰囲気に、つい落ち着かなくなってしまう。
「ご馳走さま、リリアナ。おいしかったわ。特にお魚、ヒメジだったかしら? しっとりとした身がソースと合っていて。スープも麦がプチプチしていてとても面白い食感だったわ」
「ご満足いただけたようで良かったです」
「ええ、でも……」
姫様は濁すように呟いて、小さく息を吐いた。
え、何かまずいことでもあったのですか!? わたし初日から料理人クビですか!?
途端にぶわりと冷や汗が溢れる。まずい、送り出してくれたブライル様の名前に傷をつけてしまう。
「あ、あの……どうかなされました?」
ビクビクしながら訊ねる。だけど姫様は軽く目を閉じて、首を横に振った。
「いいえ、何でもないわ。それよりジルヴェスターやフェリクスたちも、毎晩こんなに綺麗でおいしい食事を取っているのね。羨ましいわ」
「味は同じくらいだと思いますが、研究所でここまで見栄えがするものは」
「あら、わたくしだけ特別なの?」
「フェリ様のお祖母様、イレーネ様に貴族の皆様は盛り付けにも拘った料理がお好きだと教えていただいたのです。でも研究所の方々……いえ、フェリ様以外の方々は、それよりも味や料理の内容の方が大事なようですから。ブライル様に至ってはデザートがなければ機嫌が悪くなるほどですし」
「ふふ、ジルヴェスターってば相変わらずなのね」
ブライル様たちの名前を出せば、姫様の顔が簡単に綻ぶ。それがとても可愛らしくて、おこがましいが守ってあげたくなる。
そしてブライル様とフェリ様、このお二人には本当に心を許していらっしゃるのだなとわかった。ならば姫様の為にも、是非とも仕事を早く終わらせていただきたい。そして皆でごはんを食べれば、きっともっとおいしくなると思うのだ。




