第七十五話
取ってつけたような微笑みに幾分しょっぱい気持ちになりながらも、招き入れられた室内、そのあまりの豪華さに目を奪われてしまった。
フェリ様のご実家もすごかったけれど、そこはさすが王宮。柱や壁、家具に至るまで見たこともないような美しく細やかな模様が彫られ、細部は金や銀の細工で装飾されている。なのに年頃の女性の部屋ということもあり、調度品や家具の色味からか、どこか可愛らしい印象を受ける。
ブライル様とフェリ様が用意してくださったわたしの部屋も可愛くて充分素敵だけれど、これはちょっと次元が違う。
それに女性らしいほんのりと甘くて華やかな、とても良い匂いがする。わたしが男性なら、きっとこれだけでドキドキしてしまう。
あまりの豪華さに目を白黒させていると、姫様からナターリエと呼ばれていた中年の女性が席を勧めてくれた。凛とした雰囲気が、どこかイレーネ様を彷彿させる。姫様の側仕えと思しきこの方も、きっとどこかの貴族なのだろう。仮にも直接王族に仕えるのだから、平民の筈がない。
しかしわたしなんかがこの様な場所に座って良いのだろうか。一応お仕着せではなく、それよりかは少しマシなワンピースを着てきたのだけれど、こんなにも繊細な刺繍が施されたソファーに座るとは考えもしていなかった。いつものようにブライル様たちの後ろに控えている予定だったのに。
どうしたものかと二人を見上げると、わたしの困惑などどこ吹く風といったように腕を引かれた。姫様の隣にフェリ様、向かいにはブライル様が。そのことが何となく不自然に感じたけれど、わたしは命じられるまま空いているブライル様の隣に腰を掛けた。
だけどこれは、いいのかしら? ナターリエ様が立ったままなのにわたしが座って、婚約者である筈のブライル様が隣に座らず。ああ、頭がこんがらがってきた。
「ティアーナ。其方の要望通り、本日こうして我が研究所の料理人を連れて来たわけだが」
「もちろん感謝しているわ。ふふ、嬉しい。ちゃんと話すのは初めてよね? 研究所では貴女に近寄らないよう、ジルヴェスターにきつく言われていたから」
「は、はい! こ、この度はわたしのようなものをお取り立ていただき、ありがとうございますっ」
わたしに近寄るなとはどういうことだ、と「?」を浮かべながら勢いよく頭を下げると、まるでコントのようにテーブルで額をぶつけてしまった。一体いくらするかわからない物体との衝突に、思わず「ひっ」と声が漏れてしまう。
こ、壊れてないわよね。頑丈そうだもの。あ、でもちょっとおでこの脂がついちゃったかも……。
「リ、リリアナちゃん、大丈夫? すごい音がしたけど」
「だっ、大丈夫です。申し訳ございませ……っ」
「そんなに緊張しなくてもいいのよ、リリアナ。それよりも皆でお喋りでもしましょう」
姫様のその言葉が合図のように、周りが動き出した。といっても、この部屋にいる側仕えはナターリエ様も含めてたった二人だけ。王族というのは、もっとたくさんの使用人に囲まれているものだと思っていたのだけれど、何だか寂しい感じがする。
だけどもう一人の側仕えの方が用意したお茶をナターリエ様が毒見した後、わたしたちの前に出してくれたのを見て、やっと使用人が少ない理由がわかった。
姫様に毒を盛った犯人や混入方法が判明していない状況で、使用人は何人も置けないのだろう。そして例の毒見役が機能しなくなった今、ここではお茶一つ飲むことも大変なのだ。
しかしいくらついでといえど、お貴族様がわたしの分まで毒見するなんて、畏れ多いし申し訳なさ過ぎて、もし毒が入っていたとしても一滴残らず飲み干してしまいそうである。
「それで? 脚の具合はどうだ」
「貴方なら回復具合なんてわたしよりわかっているのでしょう? 医者よりも的確なんだから。何ならもう走ることだってできるわ」
そう答えた姫様の後ろで、ナターリエ様が眉根を寄せた。
「姫様、淑女は走るなど致しませぬ」
「いやぁね。喩え話よ、喩え話。子供のような真似、するわけないじゃないの」
「どうでしょうかね。先程といい、貴女様は時々ご自分の立場をお忘れになることがございますから」
「お小言はさっきのでお腹いっぱいだわ」
姫様が戯けたように肩を竦める。わたしは見ているだけで冷や冷やしてしまうお二人のやり取りだけど、誰一人表情を変えないのだからこれもいつものことなのだろう。ブライル様たちだって幼馴染みだけあって気安く接しているのだから、姫様も大概心が広いのだろう。
「これでも悪いと思っているのよ。リリアナは貴方たちの料理人なのだから、いくら王族といってもわたくしが勝手に取り上げていいものではないわ。だけど今回は本当に困っているの」
「ああ、わかっている。それにそんなにも長引きはしまい」
「そうね、近衛兵団もよく働いてくれているもの。だからここの料理人たちの無実が証明されて、食材の搬入ルートの安全が確認されればすぐにでもお返しするわ」
「でも一番は貴女の生活に平穏が訪れることよ。早く解決すればいいんだけど」
「ええ、本当に。わたくしも無実の者まで疑わなければならないのが心苦しくて」
そう言って溜め息を吐いた姫様の頭を、フェリ様が心配そうに撫でる。それに応えるように、姫様はフェリ様に手を重ねた。その美しい光景に、ロザーリエ様との賑やか姉妹もいいけれど、姫様との百合百合しい姉妹関係もいい、などと不謹慎なことを考えてしまった。
いけない、いけない。真剣な話をしている最中なのに。
「でもブライル様たちは、その間の食事をどうなさるのですか? 臨時の料理人を雇ったりは……」
「いや、出入りする人間をこれ以上増やしたくはない。面倒だが以前のように食堂に行くしかないだろう」
「でもリリアナちゃんの味に胃袋を掴まれちゃっているから、食堂の料理はこれまで以上に味気なく感じちゃうでしょうね」
「そんな……」
フェリ様が嬉しいことを言ってくれる。料理人冥利に尽きるというものだ。
それを聞いた姫様が「そうだわ!」と手を打つ。な、何事!?
「貴方たちもわたくしと一緒に食事を取ればいいのではなくて?」
「なんだと?」
姫様の弾んだ声に、ブライル様の眉がピクリと上がったように見えた。えーと、一緒にとは?
「朝昼は難しくても、夕食なら大丈夫でしょう? 貴方たちも仕事があるから毎日は無理かもしれないけれど」
それはブライル様たちがここまで来るということかしら? 確かに朝昼は無理でも、夜なら仕事終わりに寄ることはできる。馬車移動なら、研究所から遠い食堂にいくのと然程変わらないだろう。
だけどいくら姫様が親しみやすい御方といっても、王宮内で会食だなんてクリス先輩は絶対来ない。断言できる。
それに気付いているのかどうか、ブライル様がフム、と顎を撫でた。
「そうだな、其方の提案も悪くない」
「まあ、それなら私たちもリリアナちゃんの様子を見られるわね」
「皆で食べる方が楽しい筈よ。ね、リリアナ。いいでしょう?」
「え、ええ。もちろんです」
わたしが姫様のお願いを断れる筈もなく、ブライル様たちの訪問が決定した。そして研究所の時と変わらず、食後のデザートまで作ることも決定したのだった。




