第七話
「まさか、そんな、デザートなんかで……」
「それが意外や以意外、甘い物が大好きなのよ。可笑しいでしょ、あの風貌で」
意外過ぎます!
ブライル様とデザートって、間逆の存在じゃないですか。
「甘味なら何でもイケる口だけど、ケーキやプディングなんかが特に好きよね」
「ケーキ! プディング!」
「クッキーやフィナンシェなんかも大好きよ。あのしかめっ面で笑っちゃうわよね」
「クッキー! フィナンシェ!」
甘く可愛らしいそれらを食べているブライル様を思い浮かべようとしてみたが、まったく浮かんでこない。
それどころか薄ら寒くなってきた。
「だからお願いリリアナちゃん、毎食後じゃなくて良いの。でも夕食だけはデザートを付けてもらえないかしら?」
その後、帰宅されるというフェリ様を見送り、厨房へ戻った。
高そうな食器を割らないよう丁寧に洗い終えれば、することがなくなってしまった。
いや、することはあるのだ。明日の夕食の為に魚をマリネしたい。近いうちに焼き立てのパンを出せるようにパン種を仕込みたい。
だけど言いつけを守らなければならない。もう片付けは終わってしまったのだ。
とりあえずお茶を用意して、フェリ様に教えられた部屋の前に立つ。
後は入るだけなのに、ドアノブを持つ気になれない。しかしなれないからといって嫌だ嫌だとは言ってられない。ご主人様の命令なのだ。
「ブライル様。リリアナです」
「入れ」
意を決してノックすると、中から間違ってもご機嫌とは言えない声が返ってくる。ああ嫌だ。そこまでデザート食べたかったんですか?
逃げるわけにもいかないので、仕方なく部屋に入ると、そこは如何にも研究室といった様子だった。
壁一面の本棚と、そこに入りきらずに積み上げられた本の山。研究道具であろう器具が乱雑に置かれ、その横には薬草らしき残骸が、こちらも山になっている。
そして机の上には書類の山が……。
何故だ。何故すべてのものを山にする必要があるのだ。
理解出来ないこの部屋の現状に目眩がしてきたが、今だけは無視する。
良い頃合いになったお茶を出し、それに口を付けるブライル様を待つ。あ、また眉が動いた。
「それでご用は何でしょう」
「お前の勉強についてだ」
「勉強?」
はて、おっしゃる意味が分からないのだが。
デザートを用意してなかったことに怒ってるんじゃないんですか?
「弟子にしてやると言っただろう。ならば魔法薬について学ばなければならない」
「あの、わたしお世話係だったのでは?」
「確かにお前の主な仕事はそれだ。しかし弟子にしてやるとも言った」
「何もそこに拘らなくても。お世話係で良いじゃないですか」
「私は一度決めたらやり遂げる人間だ」
「無理にやり遂げなくても良いんですよ。しかも勉強するのわたしじゃないですか」
一応読み書きや算術は、昔どこかの町でお金持ち向けの店で働いていたという母から習っている。そういう店では下働きまで読み書きなどを覚えなければならないのだそう。
だけど魔法薬なんて、そんなのとは比べ物にならないくらい難しいに決まっている。
「お前は自分の魔力を有意義に使いたいとは思わないのか?」
「お世話係として、それはそれは有意義使わせてもらってますので」
「その世話係の業務に雑用も含まれているのだが。もちろん雑用というのは私の仕事についてのものだ」
「……ぐっ」
「そしてその雑用を任せるに当たって、魔法薬の基本は学んでおかなければ話にならない」
「……ぐううっ」
そうして折れたのは、もちろんわたしだった。というかブライル様に言い付けられた時点でわたしの負けは決定していたのである。
くっそおおお! 階級制度が憎い。
「あれですよ、時間が空いている時だけですよ」
「となればこれくらいの時間からか。まあ良いだろう」
勉強は翌日から開始することになった。今からやると聞かないブライル様をやっとの思いで説得し、なんとか明日からにしてもらったのだ。
しかも講師はブライル様だ。ぜひお優しいフェリ様に! と願い出たのだが、夜は今日のようにご自宅に帰ることも多いらしく、敢え無く却下された。無念。
これで話は終わったらしく、もう用はない、と退室を促された。だけど中々出て行こうとしないわたしに、もう一度目の動きだけで退室促す。
「あ、あの……」
「何だ」
「知らなかったとはいえ、すみませんでした」
「だから何がだ」
皆まで言うのは憚られ、わたしは持ってきた紙包みを差し出した。ブライル様は訝しむ様子で、包みを開ける。
「これは……」
「こんな物で本当に申し訳ないのですが、少しでも召し上がっていただければと」
中に入れていたのは、干し果物の砂糖漬け。
保存食にと自分で作っていたのを、この館まで持ってきていたのだ。
少し甘過ぎるかもしれないが、保存するには砂糖をたくさん使わなければならない。それに甘いのもお茶には合うと思うのだけれど。
「フェリクスが喋ったのか」
「わたしが無理に聞いたのです。フェリ様はブライル様のことを思って」
「チッ、あいつがそんな殊勝な真似をするものか。大方面白がって言ったのだろう」
確かにそうですけど。笑ってましたけど。拗ねてるだの子供っぽいだの言ってましたけど。
だけどわたしがそれを言えるわけがない。あんなにも良くしてくれたフェリ様に対する裏切りである。それに彼のことを思って教えてくれたのは間違いないのだ。
眉根を寄せたままのブライル様は、干しいちごを摘んで口に放り込んだ。するとまたしても眉がピクピクと動いたのだ。むしろさっきよりも激しく。
「悪くない味だ」
お気に入りのスープに大好きな甘味。まさかこの眉は、好きな物をや美味しい物に出会った時に動くのではないだろうか。
そう思うと、少しだけこの無表情の彼が可愛らしく感じるのだから不思議なものである。
部屋を辞して厨房に戻ると、手早く夕食を済ませる。
立ったままで行儀が悪いけど、ここにはテーブルや椅子がないのだから仕方ない。
メニューはもちろん二人に作った物の残りだ。
時間が経って冷めてはいたが、それでも充分美味しかったので安心した。少し味見はしたけどやっぱり心配だったのだ。
しかしこんな贅沢な食事が毎日食べれるなんて、最高の職場ではないだろうか。自然とそう考えてしまい、慌てて首を振る。
いやいや、家事はともかく、これから毎日勉強しなきゃいけないのよ。それもあのブライル様に教わりながら。
現実逃避とばかりに、明日の準備をすることにした。
買ってきた鮭を切り分け、塩胡椒を振ったらそのまま少し置く。出てきた水分を拭き取り、オリーブ油、レモン果汁、バジルの葉、みじん切りにした大蒜を混ぜ合わせた中に漬け込む。
これを氷で冷やしておけば、明日は焼くだけで良いから、何てお手軽な料理だろう。
後はパン種を、とも思ったが、もう今日は止めよう。
わたしは疲れたのだ。だからお風呂に入って寝たいのだよ。
「おっふろ、おっふろー」
鼻歌交じりで風呂場を開けると、たっぷりのお湯がお出迎えしてくれた。といっても自分で生成したものだけど。
ブライル様はもう入られたらしく、これで心置きなく楽しめる。
掛け湯の後は、まずは髪と体を洗う。おお! さすが貴族の使う石鹸だ。香りと泡立ちが素晴らしい。
そして全身が綺麗になったところでどぼんと湯船に浸かれば、もうここは天国だ。さっきまでの嫌な気分も一気に消し飛んでしまう。
「あ゛あ゛あ゛あ゛ーーーー、最っ高……」
女の子とは思えない声が出てしまったけど、これはもう仕方ない。こんな気持ち良いものを備え付けている方が悪いのだ。
そしてこの広さ。ここぞとばかりに体を伸ばしても、まだ全然余裕がある。
それから一時間、わたしはお風呂というものを、ふらふらになるまで存分に堪能したのだった。




