第六十八話
「そんなことよりも聞け、リリアナ・フローエ。フェリクス様は追いかけても無理だとおっしゃったが、あれから僕は馬を走らせた。足りないと言っていた魔草の種類から、先生の向かった方向に目星はついたからな。審議に間に合わないとしても、どこかにお前を助ける手があるかもしれない。その為に少しでも早く戻っていただく必要があると考えたからだ」
「せ、先輩……!」
そうか、先輩が頑張って追いかけてくれたからブライル様においついて、そしてあのピンチにどうにか駆け付けれたのか。やっぱりクリス先輩は頼りになる。
「しかし馬を替える為、とある街に立ち寄った僕見たのは、優雅に茶を飲んでいる先生の姿だった」
「え、お茶?」
「そうだ。カフェで焼き菓子を摘まみながら、実にのんびりとしていた」
優雅な様子が目に浮かぶ。とても絵になっていたことだろうなんて、うっとりもしたかもしれない。。
但し今回の王宮からの依頼ような緊急事態でなければ。それにわたしが絶体絶命の当事者でなければ。
「ま、まあわたしが陥っている状況なんて、ブライル様はご存じなかったわけですし」
「確かに知りはしなかったかもしれない。だが気付いてはいたのだ、先生の留守中にルディウス様が何か仕掛けてくることを!」
「ええ?」
驚いて見上げると、いつものように飄々とした菫色が見返してきた。
「彼奴は監察課の人間だ。そんな奴が王宮関連の案件にしゃしゃり出てきて、何もないと考える方がおかしいだろう」
「では魔草はどうなったのですか? さっきおっしゃっていた、途中で見つけたというのは本当なのですか?」
「そんなもの、奴を欺く嘘に決まっている」
「じ、じゃあ姫様の薬は……!?」
「魔草なら、今頃うちの使用人が採取している頃ではないか?」
うちのって、ブライル家の使用人の方ですか。確かに今回はわたしではなく、お家の従者さんを連れて行かれたようですけど、公爵家の使用人ともなると、魔草採取までできるのですね。さすがの教育です。
「ルディウスの監視が来ることはわかっていたからな。それを引き付ける為に、採取に向かう振りをして私だけ途中の町に残ったのだ」
「で、ではブライル様は、最初からわたしを助けるつもりだったということですか?」
「早急に王都へ戻っても良かったが、下手に見つかると妨害があるかもしれない。ならば少し離れた場所で隠れていた方が得策だろう。フェリクスには時間を稼ぐように言っていたが、クリスが追いかけてきたことで、あまり余裕がないことが知れたのだ」
そこまで聞いたクリス先輩が、ぷるぷると震えだした。
「せんせぇ! なんとそこまで考えていらしたのですね。さすがです、素晴らしいです! なのに僕といったら吞気に茶をすすっている先生に腹を立ててしまって……」
「ほう、師である私に腹を立てていたのか」
「あ、いや、それは!」
隠れていると言ったわりに、カフェで堂々とお茶を飲み、そのうえクリス先輩に見つかっているのだけれど、そこを突いてはダメなのかしら。師弟のじゃれ合いを眺めながら、そんなことを考える。
「フェリ様もご存知だったのですね」
「ごめんなさい。ルディウスにこちらの動きを悟られないよう、極力情報を留めておきたかったの」
申し訳なさそうに謝られてしまえば、もう何も言えない。だってすべてわたしの為にしてくれたことだもの。
「じゃあ水汲みの件を知っていたのも……」
「ここに来る直前にフェリクスから聞いたに決まっているだろう」
「ではあの水の出る魔石は、どなたが用意したのですか?」
「私よ、私。刺激を与えて水を出すだけなんだから、別にジルの魔力じゃなくても構わないでしょ? あの状況でジルが魔石を取り出せば、勝手に勘違いしてくれるって確信はあったし」
「フェリクス様もお見事です!」
ブライル様はルディウス様の行動を予知し、色々と準備をしてくれていた。クリス先輩はわたしを助けようと、ブライル様を探しに走ってくれた。フェリ様は次々出てくる問題を対処する為に奔走してくれた。アニエスはルディウス様から離れることを選び、料理まで手伝ってくれた。
改めて実感する。わたしはたくさんの人に守られて、支えられて、この危機を乗り越えられたのだと。
研究所へと向かっていた足を一人止める。そして前を行く背中に深く頭を下げた。
「皆様、本当にありがとうございました」
こんな言葉だけじゃ感謝は表しきれない。だけど伝えられずにはいられなかった。
顔を上げると、優しく微笑むフェリ様が見えた。照れくさそうにそっぽを向くクリス先輩が見えた。そしてほんのちょっとだけ柔らかい表情のブライル様が「早く来い」と差し出す手に、わたしは嬉しさを隠すことなく駆け寄ったのだった。
◇◆◇
そして日常が戻ってくる。
三人はいつものように魔法薬の作成に集中し、わたしは皆が仕事に励めるようにごはんを作る。
そうして数日過ごした中、ブライル様の手によってティアーナ姫の薬が完成した。ブライル様とフェリ様が毎日のように投薬に向かい、王宮医師と共に治療に当たる。二人が王宮に通いつめることで、姫様の脚の症状は徐々に回復に向かった。もうすぐ薬も必要なくなるようだ。
「それでいまはリハビリを?」
「ああ、熱心にあちこち歩き回っているらしい」
「そこまで回復しているのですね。本当に良かったです」
そんな話をしながら昼食後のお茶を飲んでいると、突然来客を知らせる呼び鈴が鳴った。お客様を待たせてはいけないと、玄関へ急ぐ。
「お待たせ致しまし……」
「ジルヴェスター卿はいらっしゃるだろうか」
扉の先にいたのは、ヘンリック・ハイネン様。クリス先輩のお兄様だった。
仕事中なのだろう。真っ黒な軍服に身を包んでいて、逞しい雰囲気の彼にとても似合っている。いやいや、それよりもどうして彼がここに?
一瞬返事が遅れたことに、ヘンリック様が怪訝な目を向けてきた。おっと、いけない。
「あ、ブライル様なら……」
「よく来たな、ヘンリック。さあ奥へ入れ」
呼びに行く前に、背後から本人が現れた。どうやらブライル様が招いたようだ。茶の用意をとブライル様は言いつけてきたが、ヘンリック様がそれを断った。
「申し訳ありません。公務中なので手短かにお願いしたいのですが」
「そうか。では、ここで良かろう」
すると、
「兄上!?」
「まあ、ヘンリック」
身内の姿を見つけたクリス先輩が慌てて近づいてきた。その後ろからはフェリ様も。気軽に声をかける様子から、ある程度見知った間柄なのだとわかった。
「どうしたんですか、こんな所まで」
「ジルヴェスター卿に呼ばれたんだ。そうでなければ来る筈がない」
「先生が? 一体どうして……」
「卿の要件はわかっています。どうせそこの愚弟のことでしょう」
「え、僕!?」
先輩が驚いたように声を上げる。
ヘンリック様の言葉を聞いて思い浮かんだ。クリス先輩がこの魔法薬研究所を辞めて、武官もしくは文官になるならない、という例の話だ。
先輩も気づいたのだろう。真顔のまま、手を固く握り締めた。
「ああ、その通りだ。我が弟子が堅物な兄に悩まされていると聞いてな、それならいっそ私の前で決着をつけてはと思った次第だ」
「そんなくだらないことに時間を割く必要はありません」
「まあ、ヘンリック。可愛い弟の言い分くらい聞いてあげなさいな」
ブライル様の申し出を突っぱねるヘンリック様。そんな彼をフェリ様が宥める。
先輩は先輩でいきなり兄と対面させられ、しかも話をするように言われアワアワする始末。そりゃあそうでしょう。こんな所でさあ話し合いをと言われても戸惑いしか生まれない。
だけど師匠から提供された場である。逃げられないと悟ったのだろう。四方から浴びる視線に、はあああああ、と長い長い息を吐いた。そうして意を決したようにヘンリック様へと向き合う。どうやらヘンリック様も弟の覚悟を感じ取ったようだ。
「えっと、兄上。以前から言っているように、僕は魔法薬師を辞めるつもりはありません」
「我がハイネン家は代々武官の家系だ。そうしてこの国に仕えてきた」
「それは僕だって誇りに思っています。ですがこの仕事だって国の為になっています!」
「どこがだ」
思わず口を滑らせてしまったヘンリック様は、ばつが悪そうに眉を寄せる。「構わないから続けろ」と、ブライル様は先を促した。
「私は言った筈だ、成果を上げろとな」
「成果ならこの前……」
「何だ、言ってみろ」
「あ、新しい薬を開発しましたっ」
「確かにお前がそのことに懸命になっていたのは知っている。だが一体誰の助けになったんだ?」
「それは病に侵されていた平民が……」
「平民だと?」
ヘンリック様は鼻で笑った。
「それがお前の言う成果か。平民なんぞ助けて何になる」
「それは……!」
別にわたしが平民代表ではないけれど、ここまで言われて腹が立たないわけがない。ただここで反論しても意味がないのはわかっている。いまはクリス先輩のターンなのだから。
「我々は国に仕えているんだぞ。国、王族、貴族の為にならなければ意味はない」
「確かに第一に考えるのはそこです。しかし平民だって国の一部ではないですか!」
徐々にヒートアップしてきたが、残念ながらそこでハイネン兄弟の話し合いは中断された。またしても来客を告げる音が鳴ったからだ。しかも今度は返事する間もなく扉が開いた。
「いきなりで申し訳ないが失礼するよ。おや、何だか騒々しいね」
現れたのは、わたしが一度だけ会ったことがある人物。お茶の相手をして、お土産にチョコレートを持たせてくれたーー
「エアハルト様!?」
「やあ、リリアナ。久しいね」
驚いて声を上げると、ブライル様とフェリ様が物凄い速さでこちらに振り向いた。その目が「どうして知っている」と物語っている。あ、そうだ。エアハルト様と会ったことは、クリス先輩から口止めされていたのだった。
焦ってクリス先輩を見ると、先輩も、そしてヘンリック様も啞然としていた。
「客人をお連れしたんだけど、呼んでもいいかな?」
「客人だなんて、貴方がお連れする御方なんて、一人しかいないではないですか」
「ハハ、まあいつもならそうなんだけど。今日は別の方をね。さあどうぞ、お入りください」
面倒くさそうなブライル様を流して、笑いながらエアハルト様が招き入れた御方。侍女のような人に手を引かれ、もう片方の手は杖をついている。その方が現れた途端、全員がハッとして深く頭を下げた。わたしも皆と同様に頭を下げる。いや、それよりももっともっと深く。
細く煌めく金糸の髪に、凛とした美貌。
いつかどこかの店で見た王族の一人を描いた似せ絵によく似ていた。似せているから似せ絵なのだと、当たり前のことに気付くまでかなりの秒数がかかった。
「貴女がこんな所に足を運ばれるとは、ティアーナ姫」
そう、まさかのお姫様登場だった。




