第六十五話
星屑亭
リリアナが王都で働いていた料理店。
ブライル様と出会った例の店。
「さてさて、今日はどんな料理を食べさせてくれるのかな?」
にこやかに微笑むクラウス副局長を先頭に、ルディウス様たちが入室してきた。一礼して出迎え、挨拶もそこそこに全員が席に着いたのを見計らって料理を並べていく。
「おお! これは綺麗だ」
「何とも鮮やかですな」
感心したように声を上げたルディウス様の仲間二人は、ルディウス様の睨むような視線を受けて慌てて口を噤んだ。力関係はルディウス様が上なのだろうと予想できるが、今はどうでもいいことだ。
先日フェリ様のお屋敷で見たのだけれど、夕食の際にジョエルさんはイレーネ様たちに料理の説明をしていた。なのでそれをを真似てみる。テーブルの近くに立って、出来るだけしっかりと。研究所では一緒に食事を取りながらなので、ジョエルさんみたいにきちんとは説明はできていないのだ。
「前菜には海老を使っております。下に敷いてあるのは海老とトマトのソースです」
「緑と赤と黒か。フム、色のバランスがとても良いね」
「他には貝柱のサラダにバルサミコとマスタードのドレッシング。メイン料理に鶏むね肉のローストを用意致しました。クリームのソースにはベーコンの風味をつけております」
皆様方は早速前菜から手を付けた。
「うん、まず食感がとても面白い。柔らかなアボカドを舌で押し破ると、中からプリプリの海老とシャキシャキした野菜が現れるんだから」
「ソースも海老とトマトが合ってて美味い」
「まったりとしたところにほんのり香るレモンが爽やかで、これは前菜にぴったりだ」
飛び出す賛辞に、ホッと息を吐く。少し安心してルディウス様を見ると、一口食べて驚いたような顔をしていた。
「うまい……」
思わず零してしまったであろう言葉を飲み込むように、ルディウス様は表情を引き締めた。
その後はサラダにメイン料理と食べ進めていくが、副局長からの賛辞は続いていた。
「いや、こんなに素晴らしい料理を毎日食べているジルヴェスター卿が本当に羨ましいな」
「ありがとうございます」
良かった。副局長はもちろん、ルディウス様からもクレームは出なかったのだから、見た目も味も一応はお貴族様のお眼鏡に叶ったのだろう。
「ルディウス君の話を聞いて、少々疑っていたのだよ」
「何を、でしょうか?」
「ジルヴェスター卿が料理人と偽って魔憑きを匿っているのではないかとね」
ギクリと肩が揺れそうになるのを必死に堪える。反対にルディウス様が盛大に立ち上がった。
「そうなると、ジルヴェスター卿への罪を問わなければならない。だがここまでの料理を出すんだ、彼女が料理人なのは違いないだろう」
「し、しかしたとえ本物の料理人だとしても、魔憑きである可能性は残っています!」
「それはそうだが、ジルヴェスター卿への疑惑は消えるのではないかい?」
その言葉にハッと顔を上げる。
そうか、わたしが魔憑きだとしても、ブライル様がそれを知らなければ大きな問題にはならない。彼が「知らなかった」とさえ言ってくれれば。
副局長はブライル様が罪に問われないように自分の発言で道筋を作り、そしてわたしに料理を作らせることで間違いなく料理人だと確証を与えてくれたのだ。
こんなことでブライル様の、それ以上に公爵家の名に傷を付けるわけにはいかないとでも考えたのだろうか。それとも公爵家に恩を売ろうとしたのか。どちらにしろブライル様が咎められることがないのなら、わたしはそれで充分である。
理解はされないだろうけど、やっぱりわたしはブライル様を蔑まれたくはなかった。彼の雇っていた食事係は碌なものじゃなかったなんて思われたくはなかった。まあまあ良かったんじゃないか、それくらいには思われたかった。
だけと願わくば、最後はブライル様に作って差し上げたかった、と思う。
副局長を睨みつけるわけにもいかず、ルディウス様はその視線をわたしにぶつけてきた。もしかしてわたしと一緒に、ブライル様まで処分しようとしていたのかもしれない。ううん、そもそもルディウス様の標的は最初からブライル様だったのだ。わたしはその手段に過ぎない。
食事も終わり、テーブルの上が綺麗に片付いたところで、本題に入ることとなった。食事の時とは打って変わり、ルディウス様が生き生きとしている。
「それではリリアナ・フローエ。お前にかかっている魔憑き疑惑についての審問を再開する」
ショーの始まりかのように、パチパチと拍手する副局長。この審議を歓迎しているかのような振る舞いに、ルディウス様はようやく満足そうに頷いた。
「フフフ、今こそお前の化けの皮を剝がしてやろう」
ブライル様を直接罰することは難しくなった。だけどここで証明さえすれば、彼の元に魔憑きがいたという事実は曲げられない。そういう風に切り替えたのだろう。絶対に逃がさないというオーラがビシバシ出ている。
「改めて問おう。リリアナ・フローエ、お前は自分が魔憑きであることを認めるか」
「……いいえ、認めません」
「まあそう言うだろうな。では前回の続きだ。あの時はフェリクスに邪魔をされてしまったが、水汲みの件にはまだ答えが出ていない」
「ん? 水汲みとは何だね」
「副局長、それはですね……」
ルディウス様はまだ副局長がいなかった先日の審議の内容を揚々と説明する。それを受けて副局長は首を傾げる。
「何とも不思議な話だね。リリアナ、きみはどうやって水を用意したのかな?」
「わたしが水を汲んだのは井戸からです」
「だから僕のところの人間が見張っていたと言っているだろう! そんな姿は目撃しなかった」
「一秒も目を離さずですか?」
「……何だと?」
「少しも目を離さず一日中見張っていたのですかと申し上げたのです。何人で見張っていたのかは知りません。だけど食事をとる時も、用をたす時も、夜が更けてからも片時も離れることなく見張っておられたのかと」
「それは……」
「どうなのかね、ルディウス君」
「か、片時も、というのは無理かもしれませんが……」
「では見張りの方が目を離した時、偶然にもわたしは水汲みをしたのでしょう。それこそ夜に汲むこともあったかもしれません」
「そんなのは詭弁だ!」
「いくら詭弁に思われても完璧に見張れていない時点で、証拠としての効力はないと思われます」
舌先三寸としか思えない反撃に、ぐぬぬ、と歯を噛むような呻き声が聞こえてきた。申し訳ないが。こちらも必死なのだ。
「平民の分際で生意気な……っ」
「こらこら、ルディウス君。平民であろうがなかろうが、証言する権利は等しくあるんだから、そんな発言はよした方が良い」
そうルディウス様を嗜める副局長。もしかして良い人なのかも……いやいや、簡単に人を信じてはいけないとつい最近習ったじゃないの。
「貴族の僕に楯突いたんですよ!」といきり立つルディウス様の隣で、自分の愚かさに項垂れる。
簡単に信じて、痛い目にあうのは自分なのだ。自分だけならまだいいけれど、周りに被害が及ぶのは防がなければならない。
だけど、と甘い本心が顔を覗かせる。
人を疑ってばかり生きるのは、嫌だなぁ……。
「まあいいさ。この魔石に触れれば、すべてが判明するんだからね」
「ほう、魔石だって?」
どきりと心臓が鳴る。
ルディウス様が取り出した例の魔石に、副局長が興味を示したようだ。
「ルディウス君、魔石をどう使うのかね」
「この魔石は魔憑きであるこの者の魔力が満たされている可能性があります。なので術式を書き換えて、中に入っている魔力と同一人物が触れると反応するようにしたのですよ、この僕が」
「それはすごい! 触っても?」
「さすがにそれはちょっと」
「しかし術式を書き換えるとなると、それは大変だったのではないかい?」
絶賛の副局長は、ルディウス様に術式の内容を詳しく尋ね出した。気を良くしたルディウス様も詳細に答えている。
自分の魔力で染めておきながら、わたしには正しく「魔」の石しか見えないのに。
今頃遠い地で、ティアーナ姫の為懸命に採取しているブライル様を想う。
帰ってきたらびっくりするかしら。食事係が突然いなくなっているんだもの。そしてその時、一体どんな顔をするのか見てみたい。少しは悲しんでくれるかしら。でもその理由が食事だけだったら、本気でへこんでしまう。
「さあ、リリアナ・フローエ。触れてもらえるかな、お前に烙印を押すこととなるこの石に」
ルディウス様の満面の笑みに、とうとう来たかと理解する。
魔石をどうするか、結局まともな案は出なかった。フェリ様は、最後まで知らぬ存ぜぬで通すようにと念押ししてきたけれど、それもどうやらここまでのようだ。
これ以上は本当にどうしようもない。魔石に触れない方法も壊す手立てもないのだ。全力で魔力を使ったとしても、誰一人倒せる自信がない。そもそも攻撃魔法を使えないのだから。
一度だけ瞼を閉じ、そっと息を吐く。そして再び目を開けた時には、ある種の覚悟が決まっていた。
「副局長様、お願いがあります」
「……何だろうか」
「ブライル様たちに伝えていただけますか?」
「何をだね」
「一言、ありがとうございました、と」
本当にありがとうございました。
わたしを匿うなんて危険でしかないのに、それでも守ろうとしてくれたことは一生忘れません。
数ヶ月前、星屑亭で魔法使ってしまった時点でわたしはこうなる筈だった。ブライル様に拾ってもらえるまで、そう覚悟をしていた。自分の行く末を考えれば恐ろしくて震えたけれど、それでもちゃんと覚悟はしていた。できれば痛くない方向で、と胸の中で願ったものだ。
だけどわたしの行き着いた先は、優しくて温かい夢のような場所だった。毎日が楽しくて、充実していた。
それは研究所の皆がわたしに居場所を与えてくれたからだ。
ツンツンしているところもあるけど、可愛くて仕方ないクリス先輩。
先輩はご自分のことで悩んでいるかもしれないけれど、ちゃんと頼りになる男の子だってわたしは知っています。自分の為だと言いながら、ちゃんと周りのことを考えているもの。まだ若いから経験が少ないだけ。絶対に素晴らしい魔法薬師になれると信じています。
優しくて本当のお姉ちゃんみたいだったフェリ様。
わたしには兄弟がいないから、妹だと言われて泣きそうなくらい嬉しかった。たくさん甘えさせてくれて、幸せでした。フェリ様が居てくれたから、わたしはこんなにも早く馴染めたし、楽しい気持ちで働けたのだと思います。
そして無表情で何を考えているのかわからないブライル様。
貴方は一見冷たそうに見えるけれど本当はとても優しくて、思いやりのある御方。でもその優しさがわたしは少し苦手でした。だっていつまでもその優しさに包まれていたくなるから。
日々のちょっとしたやり取りが幸せで、わたしの作ったごはんを食べてピクリと動く眉がいつからか愛おしくなっていた。無表情の貴方の考えが読めた時はすごく嬉しかったし、貴方の長い指で触れられることも嬉しかったのだと思う。恥ずかしくて、苦しくて、それでも嬉しかった。
このままずっとブライル様の側にいられたなら、なんて叶いもしない願いを毎晩考えてしまうくらいには慕っていたのかもしれない。
「それは……認めるということかな? 自分が魔憑きだと」
「ーーいいえ、認めません」
フェリ様と約束したもの。最後まで絶対認めないって。わたしにはもう最悪の結果しか見えないとしても。
それに魔憑きの研究所に連れて行かれるということは、悪いことばかりではないと思うの。だってーー
「ですが、これ以上のご迷惑はおかけできませんので」
「戯言はどうでもいい。さっさと石に触れ!」
「痛……っ」
苛立った様子のルディウス様がわたしの腕を強引に掴み、魔石へと近づける。
ああ、本当にこれまでなのねーー
悔しさとか悲しみとか寂しさとか、たくさんの感情が溢れる。
そうして指が石に触れそうになった時、
「それ以上、私のものを虐めないでもらおうか」
声が聞こえてきた。ずっと焦がれていた声が。




