第五十九話
魔法局は王城の隣に構える、それはそれは大きな建物だった。魔法が関係する機関(魔法薬研究所を除く)すべてがここに集まっているのだから当たり前だ。
とにかくわたしにとって、研究所と城門以外初めて踏み入れる場所である。なのにまったくウキウキしない。初めて王城に来た時と同じ気分である。
どうしてこんなことにと頭を捻ってみても、希望が持てるようなことは出てこない。代わりに嫌な予感がビンビンしている。わたしを呼び出すする理由なんて一つしかない。
「リリアナちゃん、大丈夫?」
同行してくれているフェリ様から、本日二回目の「大丈夫?」をいただきました。大丈夫なわけはなくて、不安しかないけれど、そこはまたしてもヘラリと笑っておく。
大丈夫、大丈夫、大丈夫じゃないけど大丈夫。そう自分に言い聞かせないと、不安に押しつぶされそうになる。
だってこれから行く先は魔法局。魔憑きの研究を行っている魔法局なのだから。
「ここよ」
フェリ様が立ち止まったのは、建物の入り口から随分と奥に入った所だった。重厚な扉の前には、警備の兵士が二人。腰には重そうな剣を携えている。もしわたしがここで逃げ出したら、この剣で斬り捨てられるのだろうか。ぶるりと体が揺れた。
落ち着いてと言わんばかりに、フェリ様が肩を抱いてくれる。そして扉が開いたと同時に耳打ちされた。決して誰にも聞こえないように。
「……リリアナちゃん。ルディウスと話すのは私よ。それともし魔憑きのことを訊かれても、絶対に認めちゃダメよ」
「え?」
わたしの返事を待たずに、フェリ様は歩き出す。おそらく彼女もわたしと同じ不安を抱いているのだ。
つんのめりそうになりながら後を追えば、相変わらず楽しそうなルディウス様が、右肩上がりの口角で待ち受けていた。
「来たか、リリアナ・フローエ」
その左右には偉そうな雰囲気のおじさんが二人。品定めでもするかのように、無遠慮な視線を投げかけてくる。
会議でも行う部屋なのだろうか。コの字型に置かれた長い机のちょうど中心に、わたしたちは立たされた。いや、フェリ様は椅子を勧められたのだけど、彼女自身がわたしから離れようとしなかったのだ。
「こんな急に、しかもジルがいない間を狙って、貴方何をする気なの?」
「フェリクス、きみも大概失礼だな。ジルヴェスターのことは偶然に決まっているだろう。それとも何か? 僕がわざと彼奴を追い出したとでも? それこそ不可能だ」
ククク、と楽しそうに喉を鳴らした。
確かにブライル様が王都を離れたのは、ティアーナ姫の件が理由なのだから偶然に過ぎない。だけどフェリ様の瞳は、ルディウス様を睨みつけて離さないでいる。まるで何かの疑念を抱いているかのように。
「では始めようか。来てもらったのは他でもない」
ショーの開幕だと言わんばかりに、パン、と手を叩いた。
「リリアナ・フローエ。お前に魔憑きの容疑がかかっている」
「!!」
くわ、と自分の目が大きく見開いたのを感じた。
不安に感じていた「やっぱり」と「どうして」が、頭の中で嵐のように乱れ飛ぶ。
早く違うって言わなくちゃ。そんなの知らないって。なのに言葉がまったく出てこない。
戸惑うわたしの横から、冷静な声が響いた。
「ねぇ、ルディウス。一体彼女のどこが魔憑きに見えるのかしら」
「魔憑きに身体的な特徴などない。魔力があるかないかだけだよ。そんな常識、きみだって知っているだろう?」
そうか、常識なのか。
魔憑き本人なのに、そんなこともわたしは知らないのだ。だって魔憑きなんて自分以外見たことないもの。
でもこの建物のどこかに、わたしと同じ魔憑きがいるのだろうか。研究材料として存在しているのだろうか。
「じゃあ何故リリアナちゃんに魔力があると判断したの?」
「最終的な判断はこれから行われる。ああ、そんな怖い目をしないでくれよ、フェリクス。今はまだ容疑がかかっているというだけなんだから」
「かかっているなんて他人事みたいに……どうせ貴方がかけたんでしょう?」
その問いに、ルディウス様は笑顔を返すだけだった。
「まずジルヴェスター・ブライルが平民を召し上げたところから始めようか」
「別におかしいところなんてないわ。彼は職場での食事係を探していたのだから」
「ああ、問題ないさ。普通ならね」
「……どういう意味かしら」
ルディウス様は、低い声を漏らすフェリ様からわたしに視線を移した。
「リリアナ・フローエ。料理を作るにあたって必要な物は何かな? この際味覚や料理の腕は除外するよ」
「え、ええと……食材、でしょうか」
「そうだね。他には何があるかな?」
「火、とか」
「ああ、火も大事だ」
「み、水も」
「そう! 水だよ!」
突然ルディウス様のテンションが上がって、ビクッとする。み、水がどうかしたのだろうか。
「僕のところの使用人、アニエス・タルナートを知っているね?」
「は、はい、仲良くしています」
「その彼女からの証言なんだけど……、ああ証言なんて言い方だと変に誤解を招くね。彼女はたわいもない雑談として僕に喋っただけなんだから」
一呼吸置いて、ルディウス様はニヤリと笑った。
ああ、やっぱり嫌な予感しかしない。至る所から警告音が鳴っているような気がする。
「初対面の時にリリアナ・フローエから水汲みを頼まれたのだと」
「あ……」
「思い出したかな? そうだよね、おかしいよね。朝食もとっくに終わった時間なのに、まだ水汲みもしてないなんて」
そうなの!? と、フェリ様が驚いた顔を向ける。血の気が引く感覚を覚えながら、わたしはどうにか頷いた。
確かに一度だけアニエスにお願いしたことがある。そしてその時彼女と話した内容に驚いて、ブライル様たちに報告した。だけどアニエスに水汲みを頼んだことまでは言っていない。
「そ、それは、水瓶を倒してしまって……」
「うんうん、僕の使用人もそう推測していたよ。もしくは朝のうちに使い切ったのかって。でもね、僕にはちょーっとだけ引っかかって、調べてみたんだよ。そして一つわかったことがある」
「わかったって、何を」
「リリアナ・フローエ、お前があの研究所にいる間、一度だって水汲みをしていないことがね」
あの研究所の使用人はこの女しかいないのですよ、と付け加えるように説明した。するとルディウス様の左右にいる方たちが、ほう、と声を上げる。
「そ、それは……」
「何だ、毎日毎日ジルヴェスターが水を出してくれていたとでもいうのかい? あのジルヴェスターが」
それにジルヴェスターやフェリクスがいない時も水汲みなんてしていなかったね。
ねっとりとした笑顔で、そう念押ししてくる。逃げ場なんて微塵も与えないように。
「あ、貴方まさか、それだけでリリアナちゃんが魔憑きだなんて決めつけたの?」
「それだけで僕には充分なのさ。それだけでジルヴェスターやこの女を疑う切欠になり得る」
たったそれだけ。だけどその迂闊さが、じわじわとわたしの首を絞めてくる。
「だからね、僕は確証が欲しい。ちょっとだけで良いから、これに触れてくれないかい?」
差し出されたのは、美しい浅葱色の石。一目で魔石とわかる。
どうしてこんな物を出してきたのだろう。ルディウス様の意図をはかりかねていると、わたしを隠すようにフェリ様が一歩前に進んだ。
「……仮に彼女が魔憑きだとしましょう」
彼女から発せられた言葉にギョッとする。魔憑きだと認めてはいけないんじゃあ……。で、でも「仮に」だから。これはあくまで仮の話だから。
「おそらくその魔石に触れると判別がつくんでしょうね」
「察しがいいね」
「そしてその結果が黒だった場合、彼女はすぐさま連行される」
「その通りだ」
「じゃあ今日その石に触れさせるわけにはいかないわ」
フェリ様の表情は見えない。だけどルディウス様たちの反応から、彼女が笑ったのだとわかった。
「今彼女は、我がアルトマン家に滞在しているの」
「何だと? そんな報告は受けていない」
偶然ですね。わたしもそんな報告は受けていません。
「貴方の部下が無能なだけでしょう。だけど事実だもの」
フェリ様が、茶化したように肩を竦める。
「そして彼女のことを、うちのお祖母様がいたく気に入っちゃってね。言うなれば、祖母のお客様というところかしら」
初耳だ。初耳にも程がある。
フェリ様のご自宅に伺ったこともないし、彼女のお祖母様という御方も知らない。だけどこれはフェリ様がわたしを必死に守ろうと芝居を打っているのだということだけはわかる。
「そのお客様を勝手に連行するとなると、いくら魔憑きの案件でも祖母は黙っていないんじゃないかしら」
その一言で、ルディウス様は唸り、左右の人たちは騒めき出した。
「あのアルトマン夫人が出てくるのか?」
「夫人を怒らせるのは不味いだろう」
フェリ様のお祖母様、そんなに恐ろしい御方なのですか!?
「し、しかし……」
「何も渡さないと言っているわけじゃないわ。お祖母様の了解が必要なだけ。たった三日ほどよ」
「三日だと……? 夫人の了解を得るだけなら一日あれば良いだろう!」
「そうしたいのはやまやまなんだけど、色々と予定が入っているのよ。三日でも短いくらい」
「いや、一日だ」
「三日よ」
「一日しか認めない」
「では間をとって二日でどうかな?」
突然後ろから降ってきた声に、全員が振り向いた。そしてルディウス様が心底驚いた声を上げる。
「ふ、副局長!?」




