第五十一話
書籍版「魔法薬師〜」の発売まで、あと一週間となりました。
皆さま、宜しくです( ^ω^ )
「気をつけろ、あまり足元が良くない」
「どこまで行くのですか?」
「もう少しだ」
先を歩くブライル様を追えば、段々と道幅が狭くなってくる。思いのほか奥の方まで進むらしい。
ふと、鼻腔の奥に変化を感じて顔を上げる。微かだが、どこからか甘い香りが漂ってくる。そしていつの間にか、その甘く華やかな香りは、辺りすべてを包んでいた。
香りの正体に薄々気づきながら、ブライル様の後に続いて茂みを抜ける。すると、視界いっぱいに鮮やかな色彩が広がった。
「ーーわあ!」
そこは一面の花畑だった。色とりどりの花が咲き乱れ、穏やかに吹く風にその可憐な身を預けている。
「綺麗! すごく綺麗です、ブライル様!」
思わずはしゃぐわたしを、ブライル様が「落ち着け」と窘める。
そうだ、まだ授業の最中だった。ということはーー
「まさかこれも薬草なのですか?」
「当たり前だろう」
なんと! こんなにも綺麗なうえに薬にもなるとは。神様は花にまで二物を与えるのか。
「これは茎が鎮静薬や睡眠薬の材料になる。それに花弁も精油が取れるからフェリクスが喜びそうだ。いくらか採取して帰るか」
「わかりました」
ちゃんとフェリ様のことまで考えているブライル様に感心しながら、せっせと花を摘んでいく。
こうしていると、昔を思い出す。まだわたしが魔憑きだと判明する前、村の子供たちと仲良く遊んでいた頃のことを。
楽しかった思い出に懐かしくなり、なんとなく童心に帰ってみたくなった。花はたくさんあるのだから、少しくらいは良いだろう。
「何をしている」
「花冠を作っているのです。故郷の村の近くにも花畑があって、幼い頃はこういう風に遊んでいました」
「ほう、器用なものだな」
くるくると編まれ、形ができていく様を、ブライル様が物珍しそうに覗き込んでくる。その距離が微妙に近くて、過剰に反応した心臓がドクンと跳ねた。
少しは慣れたと思っていたのに、花畑という非日常の空間がそうさせるのか。
常々感じてはいたのだけど、ブライル様は人との距離が少々近いように思う。フェリ様は親しいご友人だし、クリス先輩は男性同士なので構わないのだけど、わたしは一応女なのだからちょっとは考えてほしい。
だけどこの僅かな距離を嫌だとは思っていない矛盾に、心臓が反応する。それを打ち消すように口を開いた。
「ど、どうですか? 中々の出来でしょう。これならフェリ様に似合うと思いませんか」
「貸してみろ」
「え、」
ブライル様は、取り上げた花冠をわたしの頭に乗せた。
いきなり過ぎて、びっくりしてしまう。まるで恋愛小説に出てくるようなことが、わたしの目の前で起こっているのだから。
「フェリクスなどより、お前の方が余程似合うだろう」
「そんなことは、ないです……」
真顔でそんなことを言われて、動揺しない人間がいるだろうか。こんなところで無駄に美男子っぷりを出さないでいただきたい。
いつもより穏やかな目でわたしを見つめるブライル様。だけど彼が一体何を思っているのかわからない。
そんなことを考えていると、花冠を乗せた辺りで何かが動く気配がした。そしてブライル様の口から、「あ」と漏れた。
「な、何ですか」
「動くな。少しじっとしていろ」
「だ、だから何ですかっ」
「大したことではない。髪に虫がついているだけだ」
「むむむ虫!?」
その単語を聞いて、手と頭を思い切りばたつかせた。落ち着いてなら、どうにか対処できるけれど、自分の体の、しかも見えない部分にくっついているなんて、どれだけ恐ろしいかーー
「おい、暴れるな」
「だって虫が!」
「うわっ」
「きゃあっ!」
勢いあまってブライル様にぶつかり、そのまま押し倒してしまう。だけど固く目を瞑っていたわたしは、そのことに気づかず、虫を優先した。
「ブライル様……む、虫はどうなりました?」
「……大丈夫だ。逃げていった」
倒れた拍子に、花冠が落ちた。それと一緒に虫も逃げたのだろう。
ああ良かった、と安堵の息を吐いたのも束の間。自分がどんな体勢でいるのか、わたしはやっと理解した。
地面に手をつき、その両腕の間にブライル様がいる。所謂床ドン状態だった。
どうしてブライル様がわたしの下に!? 押し倒された本人も驚いて目を見開いている。あ……ちょっと、まんざらでもない顔しないでください。
それよりも、こういう場面は普通男女が逆じゃないかしら。どうしてブライル様がヒロイン的立ち位置に!?
動揺して的外れなことまで考えてしまう始末だ。
「も、申し訳ございません!」
慌てて退こうとしたが、わたしの体はそこから伸びてきた腕に絡め取られた。そしてそのままブライル様の胸の中へ落ちていった。
ーーああ、わたしもヒロインになれた……。
じゃなくて!
今考えなければならないのは、どうしてブライル様に抱きしめられているのかということだ。
「は、離してください……っ」
消え入りそうな声でそう訴えれば、更に強く抱きしめられた。まるでそれが答えだと言わんばかりだ。
鳥のさえずりと緑が揺れる音しか聞こえない。だけど胸に抱かれているせいで、そこにブライル様の心音が加わった。
一定のリズムを刻むそれは、徐々にわたしの気持ちを落ち着かせていく。
何故だか、とても幸せな気分だった。
わたしたち以外誰もいないのだから、しばらくこのままでもいいのではないか、と馬鹿なことを思ってしまうほどに。
「……ブライル様、お召し物が汚れますよ」
「気にするな。洗濯をすれば済む話だ」
「洗濯するの、わたしですけどね」
「そうだったな」と、ブライル様が小さく笑う。その顔が見えないことがすごく残念だった。
「お前は虫とか平気だと思ったのだがな」
「田舎育ちですし、視界にさえ入っていればある程度は平気ですよ。好きではないですけどね。でも見えないところで自分の体の上を這っているなんて、あんなの恐怖でしかありません」
「ならばそういう時は私を呼べばいい」
「ブライル様を? 虫を追い払う為に?」
「そうだ。それだけではなく、困ったことがあればいつでも」
「いつでも……」
「例えば、ルディウスにちょっかいをかけられた時などな」
そう言われてわたしの言葉が途切れたことに、ブライル様は息を吐いた。
「何時ぞやの私は彼奴のことには関与しないと言ったが、それは奴に関わりたくないということが一番の理由だ。だがそれよりも、あの男がお前に接触することの方が不味いし、私としても好ましくない。魔憑き云々の話を抜きにしても、面白くないと思ったのだ」
頭上から語られるブライル様の気持ちが、あの時我を張ったわたしに突き刺さる。
「だからその時はお前が判断すれば良い。頼ってきたお前を私は無下にはしない」
「ブライル様……」
その優しさにいたたまれなくなって、ブライル様のシャツをそっと握りしめる。そしてその手に、ブライル様の大きな手が重ねられた。
謝りたいのに、謝らなければならないのに、胸がつっかえて言葉が出てこない。だけどブライル様は、わかっているとわたしを再度抱きしめてくれた。
しかし、甘く優しい時間はそこで終了する。
「せんせぇー、何処におられるんですかぁー!」
ブライル様を探すクリス先輩の声が聞こえてきたからだ。慌てて飛び起き、どうにか居住まいを正す。そしてやって来たクリス先輩を満面の笑顔で迎えた。その不自然さに、先輩の第六感が働く。怖い。
「……二人で何をしてたんですか?」
「何も」
しれっと答えるブライル様に同調するように、わたしは何度も頷いた。
そこでもやはり訝しむクリス先輩に、「ちょっとこっちに来い」と、腕を引っ張られいく。そして案の定ーー
「……先生の注意を引けとは言ったが、二人で消えろとは言ってない!」
「す、すみません。色々と薬草がある所を彷徨っていたのです」
「お前は妹弟子なんだから、僕の目の届く所にいろ!」
「は、はい!」
小声での雷が落ちた。せっかく幸せな気持ちになっていたのに、散々な終わり方である。
更に翌日、三人で出掛けたことがフェリ様に知れて、美しい彼女は盛大にへそを曲げてしまった。
「皆、酷いわ! 私だけ仲間はずれなんて」
「も、申し訳ありませんフェリクス様。僕が勝手に計画してしまったんです」
素直に謝るクリス先輩とは対照的に、ブライル様は優雅にお茶を飲んでいる。
「クリス、此奴を甘やかさない方がいい。それにフェリクス、大の男が仲間はずれなどと気持ち悪いことを言うな」
「そんなの男も女も関係ないでしょう。それに自分だけ楽しんじゃって、ジルってば狡いのよ」
「ならば休日も出勤してくればよかろう。……ああ駄目だ、やはりそれは駄目だ」
「そうやってリリアナちゃんを独り占めする気なのね。姉として許せないわ!」
「誰が姉だ。お前はただの上司でしかない」
「そんなのジルだって同じでしょう!」
まあまあ、と宥めると、わたしの姉の立場を確定したフェリ様に、次は必ず全員で出掛けることを約束させられた。
ブライル様が嫌そうな顔をしたので、ならばわたしとフェリ様二人でと提案してみれば、「……四人で良い」となんとか折れてくれた。
本当に優しいお師匠さまである。
 




