第五話
翌日。
寝起きは大変良いものだった。ふかふかのベッドだと、こんなにも熟睡出来るとは知らなかった。お姫様ベッド万歳。
顔を洗って、着替えを済ませる。仕事着は前の職場で使っていたねずみ色のワンピースに白いエプロンを合わせたものだ。不潔な感じはしないだろう。
一人だけの朝食はビスケットで簡単に済ませ、早速大掃除に取り掛かった。
まずは厨房から始めようと思う。ここを綺麗にしないと、ブライル様どころか自分の夕食も作れないのだ。
調理道具などは新品の物を揃えてくれたみたいだが、それらを一度外へ出す。そして空っぽになった厨房に、力を調整した風魔法を送り込めば、ゴミや埃が一箇所に集まる。一々はたきをかけたり、箒で掃いていく必要がないのだ。
次にたわしで隅々まで磨いていく。
これには水魔法が役に立った。お湯を使えば、面白いように汚れが落ちていくのだ。
それにわざわざ井戸まで水汲みに行かなくて良いのも助かる。
飲食店の仕事では、魔法を使えないから、すべて自力でやっていた。それが当たり前なのだけれど、こうやって憚らず魔法を使えるのはありがたい。
次は風呂場だ。ここもたわしやモップを使って、どんどん磨いていく。
広めの浴槽は三、四人なら余裕で入れそうな大きさだ。
ブライル様達が使った後だけど、わたしもここを使って良いと言われた時は、小躍りしそうなくらい、嬉しかった。
今までは桶に湯を溜めて、下半身だけ浸かったり、体を拭くくらいしか出来なかったからだ。だけどこれからは毎日肩まで浸かることが出来るだなんて贅沢過ぎる。
「おはよう、リリアナちゃん。ここに居たのね」
「わ! おはようございます、フェリ様」
出勤してきたフェリ様が、風呂場にひょっこり顔を覗かせる。どうやらわたしを探していたみたいだ。
本日のフェリ様はクリーム色のドレスで、彼女の清楚な部分を一段と引き立てている。ああ、今日もお綺麗だ。
「厨房に入ったら、すごくピカピカでびっくりしたわ」
「皆さんの食事を作る場所ですから。早起きして頑張りました」
「まあ、嬉しい! じゃあその食事を作る材料も買いに行きましょうか。保管庫が空っぽだったでしょう?」
昨日フェリ様と一緒に見た時は、確かに何も入っていなかった。それを一緒に買いに行ってくれると言う。
なんとお優しいお方なのか。
「申し訳ありませんが、少し待ってもらって良いですか?
食材を入れる前に保管庫も掃除したいので」
「ええ、分かったわ。じゃあ終わったら声をかけてね。応接室に居るから」
「かしこまりました」
フェリ様を待たせてはいけないので、慌てて風呂場の掃除を終わらせる。そして小走りで館の裏に回り、保管庫の扉を開けた。
昨日フェリ様に案内された時も感じたが、埃臭さが充満している。しばらく放置されていたこの保管庫は、日の当たらない北側にあり、換気する窓もないのだ。
まずたわしや雑巾で棚を、デッキブラシで壁や天井まで磨いていく。そして風魔法で温風を送り込み、内部をしっかりと乾燥させていく。最後に冷風で冷やせば、使用可能な保管庫の出来上がりだ。
ひんやりとした空気が澄んでいる気さえする。
とりあえずこれで完了とばかりに汚れたエプロンを外し、応接室へと急いだ。
「すみません、お待たせしました」
「あら、もう終わったの? リリアナちゃんって本当に仕事が早いのねぇ」
「いえ、気にせず魔法を使えるので助かります」
「ふふ、じゃあ行きましょうか」
「はい!」
城下へは昨日と同じように馬車で下る。二日連続で、なんと贅沢な。
おそらくこれはフェリ様と一緒だから、乗せてもらえるのだろう。次からは自分の足で行かなければならないのだから、今日だけはこの馬車移動を堪能しようと思う。
石畳みの道をガタガタと車体を揺らしながら走る。だけどお尻が痛くなることはない。体を預けるそれはソファのように柔らかで、庶民が乗るあんな木の板一枚の椅子とは違うのだ。
しかし馬車とは便利なもので、堪能する前に目的地へと着いてしまった。お馬さんの力はすごいね。
街は様々な店が軒を連ね、多くの人が行き交い、とても賑やかだ。
そんな中をフェリ様はスイスイと歩いていく。そして市場に入っても、その足取りは変わらない。
台の上に雑多に陳列された商品。いくつもの屋台から漂ってくる庶民的な香り。そしてうるさ過ぎるとも言える売り子の呼び込み。
そういうものにも表情を変えないフェリ様を見て、おや、と思う。
「フェリ様は街に出てくることが多いんですか?」
「あら、なぜ?」
「とっても慣れている感じがします」
「そうね、普通の貴族よりは多いんじゃないかしら。あんな所に閉じ篭っていては息が詰まるもの」
「へぇ」
お貴族様も何かと大変なんだと、自分には分からない世界をなんとなく理解する。
でも慣れているなら話が早い。さくさく回らせてもらおう。
塩に砂糖、他にも沢山の種類のスパイスや調味料。そして様々な野菜や肉。とにかく必要な物を手当たり次第買っていく。あっと、小麦粉やハーブも買わなければ。それにチーズも!
気が付けばとんでもない量になっていたが、すべて館まで配達してくれるらしい。
ちなみに代金はフェリ様が払ってくれた。後からブライル様に請求するとのこと。
「魔法薬研究所の責任者ってブライル様なんですか?」
「そうよ。だからリリアナちゃんも、かかった費用は全部ジルに出してもらうのよ? 予算を組んで、予め渡してくれると思うけど」
「分かりました。それでも足りない時は、ブライル様宛に請求してもらうようにします」
そこでちょうど昼時を知らせる鐘が鳴る。
「ね、リリアナちゃん。せっかく市場に来たんだもの、昼食は屋台で済まさない?」
「わ、わたしは良いですけど、フェリ様がそんな屋台でなんて!」
「私なら平気よ? うーん、沢山あってどれにするか迷うわねぇ」
適当な屋台に近寄っていくのを見て、こっちの方がおいしいですよ、とフェリ様を別の所へ引っ張っていく。
飲食店で働いていたこともあって、市場に来ることも多かった。その度に屋台を巡っては食べ、密かに網羅しているのだ。
その中でも一番お気に入りの店に、フェリ様を連れて行く。
少し硬めのパンに野菜と薄切り肉を挟んだそれは、中身もおいしいけれど、特にソースが絶品なのだ。
女性一人には大きすぎるので、半分にしてもらったものを勢い良く齧り付く。
「おいしい!」
「ですね!」
まろやかな酸味の中に、バターや香草の風味が漂うソース。微かにピリリとした香辛料の刺激も感じる。それが肉の旨味や野菜の甘みと相まって、本当に屋台料理なのかと疑いたくなる程の味だ。
フェリ様も夢中で食べているみたいで何よりだ。
その後は焼き栗を摘みながら、市場をぐるぐる回る。
飲食店の仕入れやご婦人方の買い出しで、そこらかしこが賑わっている。
わたしも夕食の献立を考えなければ。なにせ記念すべき最初の料理なのだ。
そういえば普通にごはんを作る気でいたけど、貴族の方々は一体どんな物を食べるのだろうか。
「フェリ様フェリ様! フェリ様やブライル様の好物って何でしょう?」
「突然どうしたの?」
「どんな食事を作ればいいのか分からないことに気付いてしまって。お貴族様の召し上がる料理なんて、わたしには作れるかどうか……」
「大丈夫よ、貴族だからって特別な物を食べてるなんてことはないから」
「でも……」
「確かに必ず肉か魚は食べるけど、味付けは普通よ。リリアナちゃん達が普段食べているものと、さほど変わらないんじゃないかしら」
「そういうものですか?」
「ええ、だから気にせず作ってちょうだい。ジルも私も楽しみにしてるから」
フェリ様が笑顔でそう言うので、あまり気にしないことにした。ブライル様のことも、フェリ様に聞けば間違いないのだろう。




