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第四十六話

 翌朝、朝食に下りていらっしゃったブライル様は、昨日とは打って変わって、いつもの感じに戻っていた。


「おはようございます、ブライル様」

「ああ」


 反応が薄いのはいつものことだけれど、やっぱり纏う雰囲気が違う。昨日は近寄れもしなかったもの。

 それは出勤してきたフェリ様とクリス先輩も感じ取ったようだ。安堵の息を吐いた二人から「良くやった」と無言だけれど褒められた気がしたので、神妙な顔で頷いておいた。

 あんな無茶苦茶な言葉やら感情をぶつけても機嫌を直してくれたのだから、ブライル様の懐の深さには感謝せざるを得ない。


 魔法薬の講義についても、あの休み宣言は呆気なく撤回された。それからはお馴染みの厳しくも真剣な声に、夜毎耳を傾け、必死にペンを走らせる。

 勉強は好きではないけれど、何となく以前よりこの時間が嫌ではなくなった、ような気がする。本当に、何となく。



 ◇◆◇



「ーーでは胸が痛ければ、即ちそれは心臓の病ということで良いのですか?」


 そして講義の内容が専門的なことを含んできたこともあり、ここ最近気になっていたことについて尋ねてみることにした。


「そうとも限らないな。異常は他の部位にあるのかもしれないから、簡単に判断は下せない。何にせよ詳しい症状を聞いて診断するのが不可欠だ」

「でもそれってお医者様の仕事ですよね? いくら薬の知識が豊富でも、薬師が診察というわけにはいきませんよね?」

「まあ、普通はそうだな。医師が診察をして、薬師は必要に応じて薬を提供するだけだ。しかし場合によっては医師が近くにいない可能性もある。そんな時の為に、薬師は医療についても多少なり学ぶのだ」

「魔法薬の勉強だけじゃなくて、医学までですか……。薬師になるのは大変なのですね」

「だから希望者が少ないのだろう。それにせっかく学生時代に魔法薬を専攻しても、殆どの奴は別の部署への配属を希望する。この研究所が多忙だという噂が出回っているせいだな。何処に所属しようが、忙しいことに変わりないのだが」


 いくら魔法薬が殆ど貴族以上にしか流通しないとはいえ、王都の薬師が三人では確かに少な過ぎる。三人共……特にブライル様なんて、こっちが心配になるくらい働いていらっしゃるのだから。

 ーーはっ!

 だからブライル様は、こうしてわたしに魔法薬の勉強を教えているのではなかろうか。いずれわたしに魔法薬を作らせる為に。

 自分の手伝いをさせる為に必要だなんて言葉に上手く丸め込まれたけれど、つまりはそういうことなのではないだろうか。

 まあ、わたしにお手伝いができるのであれば、頑張ってやりますけどね。きっと今後の人生にも役に立つだろうし。

 だけどわたしだっていつまでもお世話になるわけにはいかないのだから、どうにか薬師の数を増やしてもらわなければ。

 いやいや、今はそんなことより病気の話だ。


「もし……もしですよ? わたしが心臓を患っていたとして、お医者様に見てもらったり魔法薬を処方してもらったりすれば、一体いくらくらい掛かるのでしょうか」


 そう訊けば、ブライル様の目尻が鋭く上がり、眉間には深く皺が刻まれる。おっと、これはヤバい。わたしが子供だったら、軽く泣いてしまうレベルだ。


「……お前が? まさか身体の調子でも悪いのか?」

「だ、だから例えばの話ですって。わたしはいたって健康体ですよ」


 そう答えれば、「紛らわしいことを言うな」と睨まれた。


「心臓の病か……。それも病状によって材料が違うから一概には言えないが、魔法薬の処方だけでも金貨数枚といったところか」

「き、金貨……っ!?」

「ただ、まだまだ研究が及んでいない病も多い。そうなるといくら金貨を積んだとしても、必ず治るという確証はない」

「……そうなのですね」


 普段扱っている魔法薬のあまりの金額に、ただただびっくりしてしまう。


「でもどうしてそんなに高額なのでしょうか。もう少し安くはできないのですか?」

「前にも言ったであろう。費用が嵩む上に、生産量も少ないのだと。そもそも魔法薬は国によって価格が決められている。私にそれを変更する権限はない」

「そんなぁ……」


 傷薬などはもう少し手頃なのかもしれないけれど、それでも庶民には手が出ないだろう。それに庶民向けに販売されているとも思えない。


「それより何故急にそんなことを知りたがるのだ。やはりどこか悪いのではないのか?」

「い、いえ。本当に単なる興味で……」


 わたしが気になっていたこと。それは胸が痛いと言っていた市場のおばさんのことだ。一時は店を休まなければならない程だった。今はその痛みを我慢しながら、どうにか営業している。

 ただ、いくら自分で店を持っているとはいえ、市場で露店を構えているに過ぎない。そんなおばさんに金貨が必要だなんて言えるだろうか。それも一枚ではないのだ。

 仮にどうにか用意できたとしても、一回分の薬では治らないかもしれない。ブライル様のおっしゃるように、治るという確証もない。

 せっかく魔法薬という便利な代物が身近にあるのに、どうすることもできないのか。そんな自分に歯痒さを覚える。

 しかし意外にも、解決案はすぐ近くにあった。というか、向こうからやって来たのだった。



 次の日。憂いに満ちた顔で出勤してきたのはクリス先輩だった。その愛らしいお口からは、溜め息さえ漏れている。どうしたものかと周りを見渡したが、仲良し二人組は揃って研究室に入ってしまっていた。


「クリス先輩。顔色が優れないようですが、どうかなさったのですか?」


 そう尋ねれば、その優れない顔色のままわたしを見た。どんよりとした空気が、こっちにまで移ってきそうだ。


「朝から兄上に、例の約束について聞かれたんだ」

「ああ……進捗状況というやつですか」

「そんな簡単に成果を上げれるのなら、既にやっているというのに」


 確かに狙ったとして、簡単に上げれるものではないだろう。


「この間のような騎士団からの無茶な依頼をこなしたというのではダメなのですか? 先輩、すごく頑張られていましたもの」

「あれは研究所全体での案件じゃないか。兄上が求めているのは、僕自身が成果を上げることだ」

「ううん、厳しいですねぇ」


 そう考えれば、これってすごく難しいことなのではないだろうか。

 この研究所は、ブライル様が中心となって動いている。フェリ様だってブライル様の指示で動いているのに、二年目のクリス先輩が自分だけで何かを達成するなんて、きっと不可能に近い。

 それにクリス先輩はブライル様に相談することを良しとしていない。そんなことをすべて見越して、先輩のお兄様は条件をつけたのではないかと疑ってしまう。


「ああ、どこかにそれなりに難しくて、且つ兄上が納得するような案件はないのか……」


 だからこそ、クリス先輩は今こうして頭を抱えているのだ。


「おい、リリアナ・フローエ。お前も考えろ。僕の妹弟子なんだからな」

「そう言われましても、わたしは魔法薬に関してまだまだ…………あ、」


 慌てて口を押さえる。

 思い出したのは、もちろん市場のおばさんのことだ。だけどこれはまだ、どうすれば良いのか考えがまとまっていない。お願いするのは簡単だけれど、自分にはどうしようもないことに巻き込んで良いものなのか憚られる。


「何だ」

「い、いいえ。何でもありません」

「少しでも思い当たることがあるなら言え。今すぐ言え。どうするかは僕が判断する」


 そう強く言われれば拒めない。追い詰められた先輩の目は真剣だ。

 確かに何の成果も上げられなければ、先輩はこの研究所を辞めなければならなくなる。それはわたしだって嫌だし、何よりも先輩自身がブライル様の側を離れることを許さない筈だ。

 悩んだ挙句、おばさんのことを話すことにした。そしてすべてを話し終えると、先輩は考え込むように眉根を寄せた。


「うーん、胸の痛みか……」


 やはり難しいのだろう。わたしにはわからない単語を織り交ぜながら、ぶつぶつと呟いている。しかし眉間の皺が解けた頃には、幾分すっきりとした顔に戻っていた。


「しょうがない、それに賭けてみるか」

「え、本当ですか? 既に薬が存在したりはしないのですか?」

「それは調べてみないとわからないな。だけど薬師が成果を上げるとなれば、新しい薬を開発するのが一番だろ。開発するには、病気を患った人間が必要不可欠だ」

「そんな……それでは実験体みたいではないですか」

「まさに実験体だからな。大丈夫だ、今より悪くなることはない」


 そうは言っても、結構な負担がかかるのではないだろうか。まだまだ魔法薬に詳しくないわたしには、不安ばかり湧いてくる。

 しかし先輩はやる気満々で、「早速話を聞きに行くぞ」と当たり前のように言い放った。まあ、わたしが一緒でないと、おばさんと引き合わせられないから仕方ない。

 それに突然貴族が現れて病気の話をされても、おばさんからすれば恐怖でしかない筈だ。

 ということで、本日の買い出しに先輩も同行することとなった。


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