第三十九話
「わ! 美味しいっ。リリアナ、本当に美味しいわ」
「ああ良かった」
初めての氷菓子作りから数日後。仕事の合間を縫って、アニエスとの小さなお茶会を開催した。
一応ブライル様の許可は取っているが、「ちゃんと仕事をこなしているのだから、空いた時間は好きに使え」とまでおっしゃってくださった。理解ある雇い主で、大変ありがたい。
簡単な焼き菓子とお茶、そして約束通りソルベを出すと、彼女はとても喜んでくれた。研究所の皆に食べてもらった時も、美味しいと言ってもらえたので、アニエスにも安心して食べてもらえる。ちなみに今日は爽やかなオレンジ味にしてみた。
そしてお茶とお菓子を楽しみながら、お喋りに興じる。同世代の女の子とお茶会なんて、この研究所に来るまで経験したことがなかったから、こんな風な時間が本当に楽しいと思えた。
生まれ故郷の村では絶対に有り得なかったことだし、ベルムに来てからも、お茶会をするほどの金銭的な余裕はなかったのだ。
「それにしても、リリアナがこんなにお菓子作りが上手だなんて知らなかったわ。ブライル様たちの食事も貴女が作っているのでしょう?」
「炊事も業務の一つなのよ。寧ろそれがメインと言っても過言ではないくらい。研究所には、いつも誰か居るしね」
「わたしも簡単な物なら作れるけど、ご主人様は食堂に行かれることが多いから。召し上がっていただくことは少ないの」
そういえば、この城で働く人たちは、食堂を使うことが多いのだった。まあお偉いさんでない限り、己の食事の為だけに人を雇うなんてことはしないから、食堂はありがたい存在だろう。
そうすると、ブライル様は? 魔法薬研究所の責任者というのは、お偉いさんに分類されるのだろうか。わたしにすれば、お貴族様ってだけでお偉いさん認定確実だから、そこら辺の基準がわからない。
「以前はブライル様たちも食堂に行かれていたみたいなのだけれど、ここって王城の中でも外れじゃない? 毎日食堂に行くのが大変だからっていう理由で、わたしも雇ってもらえたから」
「そうね。魔法局棟や騎士団棟は食堂までそこまで離れてないから、わたしたちは大して苦じゃないけれど、ここだとそうもいかないわね」
魔法局棟というのは、正門からこの魔法薬研究所に来るまでの間あるそうなのだけれど、この屋敷以外は彷徨かないようにと、ブライル様から言いつけられている為、どの建物なのかは未だ不明だ。
それに、わたしも魔法局の人に捕まるわけにはいかないので、知らない所には下手に近づかないようにしている。いや、魔憑きのことを知る為には、逆にもっと踏み込まなければならないのか。
「そういえば、この魔法薬研究所も元々は魔法局棟にあったのでしょう?」
「え? ええ、数ヶ月前までは」
数ヶ月前。
きっとわたしが魔憑きであることを、ブライル様に知られてしまった直後のことだ。
「……リリアナは、魔法薬研究所が移動することになった経緯を聞いたことがある?」
「ここに来た最初の日に、フェリ様が教えてくれたわ。魔法薬を作っている際に、ブライル様が爆発させる事故を起こしたって。でもその騒ぎさえなければ、こんな辺鄙な場所に来ることもなかったのよね」
そうなると、わたしも雇ってもらえなかったわけだが。
その事故は、わたしにとっては都合が良かったけれど、他の人たちからすれば、えらく迷惑な話だっただろう。ほんの一部とはいえ、棟が崩れたのだ。怪我人が出たとは聞いてないが、仕事に影響しないわけがない。
「それにしても、何故こんな場所を与えられたのかしら。もう少しマシな場所もあったでしょうに。ひょっとして爆発を起こした罰とかかしら」
城内のことなど何も知らないが、そう言ってみると、アニエスが不思議そうに首を傾げた。
「この場所を選んだのはブライル様なんでしょう?」
「え、そうなの?」
「ええ、そう聞いているわ。再び爆発が起きても、外部へ被害が広がらないように、この離れた場所を選んだんだって」
まあ確かにここなら爆発が起きても、わたしたち以外に困る人間はいないだろう。本当にそんな殊勝な理由なのかはさておき。
しかし教えてくれた当の本人の表情が、あまり芳しくない。どうしたのか訊いても、「何でもないわ」と視線を晒せるばかりだ。そう言われて、「ああ、わかりました」で片付けれる筈がない。
「アニエス。わたしだって魔法薬研究所に勤める一人よ。雇い主は違えど、職場や職員に何かあるのだったら、ちゃんと知っておく必要があると思うの」
それでもまだ言いにくそうにしているのを、どうにか丸め込んで、無理やり吐かせる。
「えっとね、これはあくまで憶測としての噂話なのだけど……」
「うんうん」
「爆発騒ぎが起こったのは、ブライル様の自作自演なのではないかと……」
「わざと事故を起こしたってこと? そんな、まさか」
もしそれが事実なら、事故ではなく事件になってしまうではないか。
せっかくのお茶会が、何やらきな臭い話になってきましたよ。
「わたしもあの方がそんなことをなさるとは、思っていないわ」
「そうよね。でもどうしてそんな話が出たのかしら」
「どうも爆発が起きたのが夜半過ぎだったらしいの。その時間にもなると、魔法局棟にはほとんどの人間は残っていないわ。夜回りする衛兵も少ないし。だからその時間を狙って故意に爆発をさせたのじゃないかって」
近くには誰もいない時間帯だった、というわけだ。そうなれば、建物が少し崩れても怪我人は出ない。
「でも、それだけの理由で決めつけるなんて」
「もちろんそうよ。だけどその少し前から、ブライル様は城の外れにあるこの建物に移動したがっていたらしいの。だからその為にわざと研究所をめちゃくちゃにしたって……」
「アニエス、その話は誰から聞いたの?」
「う、うちのご主人様よ」
「もしかして、アニエスの雇い主というのは、魔法局に所属している方なの?」
「ええ、そうよ。言ってなかったかしら、魔法局のーーーー」
◆◆◆◆
「それでですね、アニエスのご主人様も魔法局にお勤めされているのですって。もしかすると、皆様もご存知の方かもしれませんね」
その日の夕食後。
食後のデザートを食べながら、お茶会の許可をくれたことに、改めて礼を述べた。そしてその流れで、アニエスから聞いたことを、皆との会話の中で話すことになったのだ。
もちろん、自作自演うんたらかんたらという話を聞いたことは内緒だ。
あの後、もっと詳しく話を聞こうとしたのだけれど、アニエスが仕事に戻らなければならなくなったので、うやむやなまま終わってしまった。
「そうねぇ。でも魔法局っていっても結構な人数が在籍しているから、それなりに有名な人じゃなければ、わからないかも」
「先生やフェリクス様ほどになると、名も知れ渡ってますからね。で、その雇い主というのは、どこの誰だ」
「えーと、ルディウス・カリエール様という御方だそうです」
聞いた名前をそのまま告げると、フェリ様の動きがぴたりと止まる。ブライル様に至っては、デザートを食べているにもかかわらず眉毛の動きまで止まった。一体どうしたというのか。
「ルディウス様というと、以前、攻撃魔法課に在籍しておられた方ですよね。今は鑑査課に異動されたんでしたっけ」
おお、クリス先輩も知っているということは、アニエスのご主人様は有名な人なのだろうか。
攻撃魔法というのは、魔石採取の時にブライル様が見せた、あの恐ろしく殺傷能力が高い魔法のことだろう。ルディウス様とやらが、それを専門にしていたとなれば、アニエスもそれに関わっていたのだろうか。いくら直接ではないにしろ、ちょっと想像できない。
「それに、確か先生たちのご学友ではありませんでしたか?」
「そうなのですか!?」
「え、ええ、まあ一応は、そうね……」
答えにくそうに、フェリ様が頷く。ブライル様に至っては、心底嫌そうに溜め息を吐いている。
アニエスとわたしの関係者が同級生だなんて、すごい偶然だ。なのにお二人がこんな反応をするとは、ルディウス様とはどんな御方なのだろう。
「二号」
「何でしょう」
不機嫌な表情を抑えようともせずに、ブライル様はわたしを睨み付けた。
「アニエスという使用人との付き合いを、今一度考え直せ」
は?
突然何を言い出すのだ、この人は。




